2017年7月27日木曜日

スプラトゥーン2はじめました

基本的に流行にのらないわたぬきですが、スプラトゥーン2はじめました。
やっぱり体験版的なものがあると面白さがわかってやってしまいますね。
前夜祭が楽しかった!

ランクはただいま15です。
勝ったり負けたり…楽しいですね。
前夜祭ではローラーがいいかなと思ったんですが、いろんな武器が増えてくると狙われやすくなり…今はプロモデラーMG使ってます。
たくさん塗れるように頑張ってます。
でもうまい人と当たるとどんどん自陣に攻め込まれてきちゃいますね。
いやー駆け引きが難しい。
でも、これは流行りますね。
とてもルールがわかりやすくてやりやすい。
それにキャラやグラフィックがポップで可愛くて細かいところまで作り込んであって、ストーリーはないけど、そういった部分で世界観を語っているのがいい。
ヒーローモードにはストーリーありますが、別に世界観は語ってません。
語ってるとしたら、収集要素のミステリーファイル。
まだ全部は集めてないけど、いろいろ想像をかきたてますね。
こういうの面白い。

ゲームやってると、やっぱり自分はゲーム好きなんだなと思います。
子供の頃から基本的に、遊べるものが好きで、だからホビーアニメなんかも好きでした。
流行にのってハガレンとかガンダムも見てましたし好きでしたが、やっぱりハマるのはゲームの方。
やっぱり自分で進めてく方が好きみたいです。
じゃあ、なんで聖闘士星矢が好きなのかというとゲームやってて気が付いたんですが、この作品はいろんな解釈が受け入れられる懐があるんだなーって思ったこと。
物語を進めるのに必要なことしか語られてないからこそ、そこからくみ取っていく面白さ。
あと、展開が予想外。
想像の範囲内で終わるとああそうだよなで終わっちゃうんだけど、そうじゃないから驚きとともに覚えてる。
最近の作品は丁寧に解説しすぎです。
突き放して、読者の想像力を信じてくれてもいいと思う。
ゲームは製作者とプレイヤーの殴り合いだと思っております。
製作者の想定外の遊びも許容できればこそ、作品世界も広がる。
漫画も多分そう。

スプラトゥーン2はどんな遊びができるんでしょう。
これからのアップデートも楽しみです。

2017年7月20日木曜日

写真を撮ることを趣味にしたい気分

カメラを持っているものの、あまり撮影はしないし、撮ったら撮ったで人に見せるわけでもなし。
せっかくブログもあることだし、撮りためた写真をのせようかなとか考えてます。

以前、バイト先でブログを書かないといけなくてそれで写真を撮りためるようになりましたが、その経験上やっぱり自己満足で撮っているよりは人に見せる気になっている方が、撮り方を工夫したりとかするし、ちょっと構図とか勉強したいなと思ったりしたので、人に見せるのは大事かなと思いました。
あと、写真を撮り始めたのはイラストの背景とかに使えないだろうかと思ったのと、イラストの構図の勉強にならないかなという感じです。
何を書くかとか考える必要がない分、構図に集中できる気がします。

ちなみに、使っているカメラはCannonのpowershot s120です。

 夕焼け空。この時間帯は、目に見えた色に近づけるのが難しい…
でも、写真で撮れた色の方がよかったりもするのが面白いです。
なんかこう対角線構図っぽくなっていい感じな気がします。

 水面に映るお堂。コンデジだと反射を消すのは難しいんだけど、こういう感じに水面に移り込んでいるものを撮影するには十分。
もう少し緑が濃くなるように写したらよかったかも。


私の趣味。知っている方はみればわかるかもしれません。聖闘士星矢です。
黄金聖闘士という黄道十二星座を守護星座に持つキャラクターたちで、文字のごとく金ぴか。
金ぴか感出てますかね?
あ、知ってるけどこんなんだったっけ?と思った人。実は2015年に新作アニメが作られてまして(聖闘士星矢黄金魂っていうのです)そこで出てくる黄金聖衣の進化系です。
神聖衣って言います。原作でも星矢たちが最終決戦に臨むときに青銅聖衣がこの神聖衣に進化してました。
みんな羽根もしくは羽根っぽいものがついててより金ぴかです。
ちなみに、今度はセインティア翔という派生作品のアニメ化も予定されております。
最近はリバイバルみたいな感じで昔の作品やってたりしますね。
私もリアルタイムでは見てなかったんですが、後になってハマりました。

設定をいじったり、撮影モードを変えてみたりするようになってから、ちょっとずつですが狙った写真も撮れるようになりました。
やっぱり機能を知らないと、ですね。
パパッと撮るならオートでも十分ですが。
でも、少し高いコンデジだったので、もうちょっと機能を使いこなしたいところ。

今時コンデジを持つということ


学生の頃、絵画とか工芸の課題でレポートを描くのに作品の写真を撮影する必要があった。
携帯のカメラでも可とは言われていて、最初はそれで撮っていたものの、あのころ今のような高精細に写せるスマホはなかったし、私の携帯は数年前の機種で古く他の人のレポートと比べたら見劣りしていた。
親のカメラを借りる方法もあったが、結構大きかったので大学まで持っていくのもなんだかなと思い、コンパクトデジタルカメラを買った。

でも、今だったら多分スマホのカメラで十分だろう。
多分、あのころ買ったコンデジのカメラと同じぐらいの性能はあると思う。
だから、多くの人は写真を撮るにしてもスマホで撮影している。
そして、写真にはしない。
昔だったら、写真は現像しなければちゃんと写せているのかわからなかった。
デジカメに代わっても、写真にする目的があるからこそカメラを買っていたはずだ。
でも、今やカメラは写真に現像する目的で撮影するものではなくなっている。
デジカメで現像したのは結局、人に見せるのが大変だからで、SNSで簡単に共有できる今、よっぽどのお気に入りや残しておきたい写真でなかったらなかなか写真にはしない。
写真を趣味にしたりするのは、一眼レフとかそういうすごいカメラを持っている人。
そんなイメージだ。
やっぱりそういうカメラで撮った写真はすごくきれいだし。
となると、コンデジって中途半端な存在になってしまった。

それでも私はコンデジを使っている。
ちょっとお高い高級コンデジというタイプ。
一眼レフには敵わないけど、まあ、スマホよりはいい感じ。
そんなカメラ。
何故それを持つのかといえば、スマホのカメラじゃ星は撮れないから。
双子座流星群という、天体現象の撮影がしたかった。
カメラに詳しい人が聞くと、ん?って思うかもしれない。
それだったら一眼レフとか買った方がよかったんじゃないかって。
もちろん、そっちの方がより綺麗に撮れるのはわかってる。
でも、コンデジがよかった。

まず一つ。これで星が撮れる事がいい。
コンデジで星が撮影できる、その事実がいいのだ。
一眼レフで撮影できるのは、当たり前。
当たり前じゃないからいいという天邪鬼というかなんというかそんな理由だ。
あともう一つ。カメラを鞄に突っ込んでおきたかった。
いつでも撮れる。そのためにはコンパクトでないといけない。
おや、上でスマホのカメラはいいって言ったじゃない。
だったら常に持ち歩いているスマホで撮影すればいいんじゃない?
そう思うかもしれないが、写真撮影アプリを使うとスマホの電池を喰うから嫌なのだ。
それだったらコンデジを持ってた方がいい。
そういう理由だ。

それにお手軽になったからこその弊害がある。
フィルムカメラの頃は一枚一枚大事に撮影していた。
でも、いくらでも撮影できるようになったら、大量に撮影しはじめる。
そうすると、いらない写真もあるのに、お手軽にとったのであとから整理することもない。
容量が大きいとはいえ、スマホで写真が何千枚と並んでいるのは正直見返す気がしないし、やっぱり容量を圧迫している。
カメラはカメラでしかない。
容量がいっぱいになっても困るのは写真が撮れないことだけだ。
スマホだとそうもいかない。
だから、カメラはカメラだけにしておきたいのだ。

とはいえ、スマホのカメラも使うことはある。
やっぱりすぐにSNSにあげられるのは楽だ。
ちょっとしたものならそれで撮るのが一番。
それでも、そうやって撮影しているだけでもすでに数百枚あるんだから、カメラとして撮ってたらもう、はじめに撮った方なんて見る気がしない気がする。
今だって過去の画像を探すのが大変なんだから。

コンデジの困ったことは、参考書がないことだろうか。
カメラを趣味にしたい人はたいてい一眼レフだ。
別にそういうのが参考にならない訳じゃないけど、コンデジに特化した参考書も見てみたい。
うーん、難しい。

2017年7月19日水曜日

誰かと遊べばより楽し

スプラトゥーン2発売まであと3日…
発売が楽しみです。

ゲームってあまり私のまわりではやってる人いなくて…
いることはいるんだけど、スマホゲーだったり、CSでも私がわりとマイナーなゲームをやることが多いせいか、結局仲間を求めるとネット上ということにばかりなる。
でも、スプラトゥーンは前作が流行りましたし今回も盛り上がってて遊ぶ人がいて、そのおかげでよりワクワクしています。
スプラトゥーンは一緒に遊べるゲームですからそれはそれで面白いんですけど、ゼルダなんかのプレイヤーが一人のゲームも同じゲームで遊んでいると面白いですね。
ここはどうだ、あそこはどうやってクリアするんだ…
そんなことを話している時間がとても面白い。
大人になってゲームから離れていくのは、やっぱりこういう話ができないからなのかもしれません。
みんなの興味がゲーム以外にも増えて、ゲームだってジャンルが違ってきちゃったりして…
ゲームだけじゃなく、ネット上で実況というものが行われるのも、結局は楽しみを共有したいってことなんだろうと思います。
いつの間にか、交流とか共有することがメインになっていて作品はそのための媒体でしかない…なんてことも起きたりしてますが。
そういえば以前、任天堂の宮本茂氏がいっていたと思うのですが、相手がいれば面白い、だからメールって面白いんだ、そんな風なことを言っていた…はずです。
どの記事だったか思いだせなくてソースが出せないんですが、でも、確かにそうだなと思います。
ゲームだって、なんていうか、思った通りに動かせることも面白いけど、自分が思いもしなかった反応が返ってくるというのが楽しい。
ゲームじゃないけど、漫画家の車田正美先生が週刊少年漫画は読者との殴り合いだみたいなことを申していました。
殴り合いということは、双方向なんですね。
双方向だから面白い。
反応が返ってくる。
ゲームはプログラムなので、長くやってるとある程度反応が予測されてきちゃうけど、対人だとそうもいかない。
だから、誰かとやるとより長く楽しめるんだと思います。

ゲームが楽しいって素晴らしい。

2017年7月17日月曜日

「失うこと」が紡ぐ物語 死にネタについて

以前「死にネタ」についてブログを書いた。
「死にネタ」に思うこと 2017/02/19

時々、アクセスがあるみたいで、語りきれなかったことを語ろうかなと思いこの記事を書いています。
以前の記事を読んでいない方に軽く「死にネタ」について説明しておくと、死にネタというのは字の通り死を扱うネタの事。
多分、この単語で作品の内容を表すのは二次創作が多いと思う。
二次創作で原作のキャラを原作のストーリーと関係なく殺してしまう、死なせてしまう時に「死にネタ注意」と書く。

さて、私は学生の頃、漫画研究会に所属していた。
漫研で7本オリジナルの漫画を書いたが、そのうち5本は人が死ぬ話だった。
あのころは二次創作の漫画をネットで発表したり、同人誌を描いたりはしてなくて、半分はそこでやりたかったネタをオリジナルで描いていたから、ある意味二次創作だった。
以前の記事に書いたけど、「死にネタ」は嫌われることもある。
二次創作だもの、好きなキャラが活躍しているところを見たいと思って読んでいるのに、その好きなキャラが死んでしまう話なんて、知らないで読んでたらきっと気分が悪い。
それゆえに実際に書いて発表するのは、なんだかとても気が引けたのだ。
オリジナルなら、そういう話だと納得してもらえる。
だから、描いていた。
最近は、注意書きしとけばいいやと二次創作でもやってるけど。

でも、二次創作でやっていると死にネタもだんだん扱いづらくなる。
何せ、今やってる二次創作、原作中で自分の好きなキャラはすでに死んでいるから。
死んでいるから、他の人だと生き返らせる創作が多いんだけど、死にネタでそれをやったらそれこそ本当は嫌いなんじゃねと思われる気がする。
だって、わざわざ死なせるために生き返らせているのだもの。
それはさすがに気が引ける。
でも、ふと、死にネタ以外を想像していて気が付く。
死とは生命を失うこと。
他のネタにかんしても、何かしら失っていくことを描いていた。
私は多分「失うこと」が生み出す物語を描きたいのではないかなと思い至った。

「失うこと」に関して、とても印象深い話が合った。
「爆走兄弟レッツ&ゴー!!」という作品はご存じだろうか。
第二次ミニ四駆ブームをけん引した作品で、いわゆるホビー漫画。
私は子供の頃それが大好きで、学生の頃に中古ショップで見つけたレンタル落ちのVHSを全部買って見直した。
ホビー漫画だと、よく出てくるのが新しい玩具に乗り換えるシーン。
性能がよりアップした玩具を手にして、強い敵に挑む。
レッツ&ゴー!!にももちろんそういうシーンがある。
その一つ。これがとても印象深かった。
ある研究所に招かれた烈と豪の兄弟(主人公)
それは敵側の罠で、なんと、二人の大事にしていたミニ四駆を容赦なく溶岩の中に落としちゃいます。
二人は大事にしていたミニ四駆を失って意気消沈。
博士が新しいミニ四駆を、二人が大事にしていたミニ四駆のデータをもとにより改良して作ったんだよと用意してくれても、それは自分たちのじゃないと拒否。
でも、最後にはそのミニ四駆で走り出す。
大事なものを失う辛さ、その代わりはいないこと、でもその魂を受け継いでいるんだと気が付きまた走り出す二人。
他のホビーアニメだと、結構すぐに乗り換えてたりするんだけど、この話、乗り換えるまでに2,3話使ってて、ホント、失ってしまったことの悲しさ辛さを強調していました。
それは、大事な友人を失ってしまったかのような…

それはある意味、死んでしまったことと同じだった。
ただ壊れただけじゃないんですよね。
溶岩に落ちたら、跡形もなくドロドロに溶けちゃいます。
もともと、この漫画の主人公二人って、あんまり強いレーサーじゃなかったんだけど、対照的な兄弟だから同じマシンを与えたらどう改造してくるんだろうと、博士が二人にマシンを与えるんですね。
そこから自分の手で作り上げたマシンだから、本当に大事なもので。
唯一残されていたのは、使い古してしまいこんでいたモーターだけ。
モーターって使い古すと速く走れないんですよね。
それをあえて使って走る。
そうやって、大事なマシンの魂をのせる。
そうやって、確かに二人の走りのデータをもとに作られたマシンなんだと実感する。
なんだかその一連の流れが感動的でした。
まるで、死に向き合っていったような感じ。
こうして、乗り越えていくんだなと思ったものです。

よく、物語というのは失ったものを取り戻しに行くことで作られると言います。
何かが足りない状態も、足りている状態から失っているということです。
王道の魔王を倒しに行く物語も、魔王によって失われた平和を取り戻しに行く話。
ある意味、失うことをテーマに描くことは、王道なのかもしれません。
そして、死もまた、失うことである。
だからこそ、物語が紡がれるのだと、思いました。

2017年7月16日日曜日

スプラトゥーン2前夜祭遊びました。

さてさて、スプラトゥーン2の発売まであと5日となりました。
1をやっていなかったので、これを機会にやってみようかなと今回前夜祭遊びました!
試射会もやったんですけど、その時はホントダメダメな感じで…
これでだめならどうしようかな…と思ってたんですが。
今回は、何となく掴めた!そんな気がしました。

まず、初心者はローラーがいいのかなと思いました。
ローラーで前線に出ないで隙間なくぬりぬり。
地道に陣地を広げていく。
広げていくうちに戦いの真っただ中にいちゃったりするんだけど、ローラーだと轢いてしまえば一発で倒せるので、毎回うまくいくわけではないけどあっさり倒せてしまったりして面白かった。
試射会の時は、やっぱりガチ勢の中に初心者じゃ到底かなわないな…と思ったのですが、今回はなかなかいい戦績。
もうちょいやれば勝てそうだ!とか思えるとがぜんやる気になりますね。
試射会のときは、他のレベルが高すぎてもう越えられねぇ…って感じで。
そういうのってやっぱりやる気をそぐじゃないですか。
どうあがいても越えられそうにない。
スポーツで言ったら、アマチュアなのにプロの世界に放り込まれてもどうにもならない。
そんな感じでした。
でも、今回は時間の長さ的にもいろいろ試せて、あと前回よりもフィールドが広くていろいろ遊べましたね。
誰もいないフィールドを散歩したりもできるんですね。
チュートリアルやってから日が空いてたので、あそこで少しでも練習できるのはよかったです。
実際のゲームの場合はヒーローモードっていうのをやればだいたいの操作に慣れるらしいので、発売日が楽しみです。

こういう、体験版みたいなものはいいですね。
ゲームってやってみないとわからないところがあるんですよね。
体験版をやって購入を決めたゲーム、本当に面白かったです。
バテンカイトスっていうんですが。
キャラクターデザイン、結構癖のある絵柄だったので敬遠してたんですが、ゲームのアンケートに答えたら体験版が送られてきまして、せっかくだからとプレイしたらそのシステムが面白くて面白くて。
やり込んだゲームです。

スプラトゥーンも絵柄は結構癖のある感じですよね。
どちらかといえば、アメコミとかなんか海外の雰囲気。
昔やってたパワーパフガールズみたいなデフォルメの強い感じ。
でも、こういうのって楽しければやってるうちに愛着が湧いてくるんですよね。
バテンカイトスもそうでした。
システムが面白いので、これが流行るのはすごいわかりました。
ゲームが流行れば、癖のある絵柄でも受け入れられる。
それがすごく表れているのがスプラトゥーン。
それにあの絵柄のおかげで、スプラトゥーンの世界観が唯一無二って感じになります。
絵柄がリアル系な洋ゲーって詳しい人に言わせたら全然違う!って言うんでしょうが、外から見てると世界観の違いがよく分からないじゃないですか。
それが任天堂のゲームだと、マリオはマリオ、ゼルダはゼルダとそれぞれのテイストがあってデザインとしてまとまっているのでわかりやすい。
ちぐはぐさがない。
システムなんかも感じますが、グラフィックに関しても、どう見せるかをすごく考えているんだろうなと感じさせますね。
全てのものに理由があるとは言いませんが、でも、ゲームとか創作物って人の手で作られているもの。
そこにある意味付って結構大事だと思います。

ゲームの話からちょっと逸れてしまいました。
スプラトゥーン2楽しみです!

2017年7月14日金曜日

デザインと模倣と 図工、美術でアニメキャラを描いてはいけない訳

ネットニュースを見ていたら、こんな記事を発見。

白山陶器、ダイソーに抗議
波佐見焼白山陶器 ダイソーに抗議 「デザイン模倣」 販売中止、在庫破棄求める

白山陶器が販売している「ブルーム」という食器シリーズに使われている柄そっくりの扇子を販売していたことで、白山陶器がダイソーに抗議したということらしい。
記事に載せられた写真を見てみると一目両全。
(ぜひ見に行ってもらいたい。この写真構図思いついた人のセンス好きです)
しかも、陶器柄の扇子として販売していたとか。
もう、わかってやってますよね。それを許可もなしに販売する。悪質です。

Yahoo!ニュースだと、元のデザインも北欧食器の模倣じゃんなんてコメントがありました。
でも、私個人の意見としては、たとえ模倣だとしてもこのブルームシリーズは、和っぽいテイストに昇華されているのでいいと思います。
ダイソーの商品の場合は、そのまんまです。それはダメ。


図工、美術でアニメキャラを描いてはいけない訳

それで、この記事のタイトルに行きつくわけなんだけど、え?なんで?って感じでしょうか。
意識しないだろうけど、アニメやマンガ、ゲームのキャラクターだって、デザインの一つ。
それをただただ描くのは結局のところ模倣でしかないから。

とはいえ、私も子供の頃はそれが不満だった。
好きなものを描けというのに、本当に好きなものは描いてはいけないのだから。
実をいうと後ろ向きの姿で描いてみたり、いろいろ誤魔化してたりしてはいたが。
ずっと、なんで?と思ってた。
3DSで「ポケモンアートアカデミー」というソフトが出た時は、やっぱり学ぶなら好きなものを題材にしてた方が楽しいよねと思った。
というか、多分、やっぱりその方が正解なんじゃないかと思う。
興味がない題材じゃ面白くない。

さっきと話が違うだろうって?
いやいや、そうじゃない。
ポケモンアートアカデミーの場合は、ポケモンを題材にして、あたりの取り方だったり色の付け方だったり、そうした指導をしてくれるのだ。
ポケモンを使って、ものの見方を、それの表現の仕方を教えてくれているのだ。
対して、美術の授業の場合…それは教えてくれない。
みんな描くものが違うのに、指導してはいられないのだ。

好きだから描く、それが許されるのは、幼稚園保育園のお絵描きまで。
お絵描きだから許される。
でも、図工や美術は違う。
物の見方を、捉え方を教えなくちゃいけない。
教えられているかどうかは、ちょっぴり疑問だけど。
豊かな感性だとか、そんな言葉にふりまわされているような気がしてならない。

ポケモンアートアカデミーって、絵心教室のポケモン版なわけで、ポケモンが描けて楽しい!っていうのもあるんだろうけど、その先にもっと自分で絵を描いてみて!というのがある。
だからこそ、見方を指導しているのだと思う。
技術を教えればこそ、豊かな表現につながる。

模倣は悪いことではない。ただ、それを商品として、作品として発表したらダメ。
だって、模倣は練習方法だから。
その作品に使われている技法とかデザインのバランスとか、見てわかるよ!と思うかもしれないけど、自分で実際にやってみることでより深く理解できる。
そこを発表することは、計算問題で使う方程式だけ書いて提出してるようなものだ。
答えが出ていない。そんな回答に意味はない。

最終的に自分の中に取り込み、昇華させられるようになる。
いろんなものを見て、いろんな表現を知って…それはそのための手段。
そういえば、美術教育って個性を重んじるよね。
何となく模倣はいけない気分にさせられる。
常に、発表できる作品を作らされるわけだから、息も詰まる。
もっと気楽にいろいろ試せる時間と余裕が欲しい。

昇華された表現だったら、アニメや漫画のキャラでもいいんじゃないかな。
ただ、著作権とかの問題もあるから、やっぱり公に発表はできなくなるけど。
子供の場合、やっぱり単に好きだから描いちゃう。
そこを、どうしてそのキャラクターを描く必要があるのか?どうしてそれでなくてはならないのか?じっくり考えて、そこに自分なりの答えを出せるのなら、そういう授業があってもいいと思う。

大学生の頃、漫画を持って行ってその中からコマを選んで、先生のいう表現方法の通りに描く授業があった。
まずは模写してみて、それから線を増やしてみたりとか、周りに何かを描くならなにを描くか?とかいろいろ試してみた。
面白かった。

物は使いよう。
模倣から、昇華へ。

2017年7月13日木曜日

自分の同人誌が売られてた話

二次創作の同人誌を時々出しているのだけど、時々感想とかないかなぁと思いながらサークル名とかPNなんかで、いわゆるエゴサーチをしてみる時がある。
先日、それをやってみてたら、「買取」の文字が見えた。
弱小サークルだし、需要もあまりないのはわかっていたので、同人誌専門店みたいなとこに卸してはいないし、いったい何だこれ?とクリックしてみたら、自分の同人誌の表紙が見えてびっくり。
ビックリしたのは、「買い取ってくれるんだ…!」ってことだった。
先に言った通り弱小サークルだから、在庫だって20~30刷っても数回イベントに出てようやくはけていくような感じなのに、買い取ってくれるところがあるんだと。
しかも、売られたらしいのはすでに買われていたようで品切れ状態なのにもびっくりだった。
いやー世の中、何があるかわからないですね。

しかし、困ったことに「BL」表記なんですよね。
うーん…女が描いたら男同士の友情ってそう見えるんかなぁ。
確かにまあ、ベタベタした感はあるかなぁとは思いますがね。
男じゃないんで、実際問題どんなもんかっていうのは、本とか見たりするしかないわけで。
でも、やっぱり感覚の違いは埋められない。
それでも、描きたいから描いてはいるのだけど、それをBL表記されちゃうのはなんか違うなぁって思ってしまう。
そこに、恋愛感情はないんだもの。
たとえそう見えようとも。

いやしかし、もっと困惑したことがある。
作中で初めの方しか出てこないキャラと終わりの方しか出てこないキャラで、CP表記されていたことだ。
こうしてみると、読解力を疑いたくなった。
さすがにそれはおかしいだろうと。
表記するのに何を参考にしてるのかわからないから何とも言えない。

外に出してみると、思いがけないことがおこるものですね。
売られてるのがそれだけだったから、みんな大切に持っていてくれているのでしょうか。
単に、そこがたまたま買い取ってくれただけで、他は買い取り不可なだけかもですが(笑)
もっと、絵がうまくなってしっかり描けたら売れるかも?…とそこを目指すのも変だけど。
何が起こるかわからないね。

2017年7月12日水曜日

絵が描きたくなくなったら

学生の頃、もう絵なんか描きたくない!と思ったことがある。
でも、残念なことに美術科だったのもだから描かなきゃいけなかったわけだけど。
情熱を傾けることもできず、かといってサボることもできず。
やる気のない絵を描いていたと思う。
もう、絵を描くことなんて嫌いになった。いや、最初から好きだったわけじゃなかったのかもしれない、そんなことさえ考えた。

でも、いまだに絵を描くことをやめてはいない。
最近はちょっと楽しくなってきた。
そんな経験を踏まえて、私のケースだけだけど、描きたくなくなったという人の参考になればと書いてみる。

私は長いこと絵を描いてきた。周りにも絵を描く人がいた。
いつだって、私よりうまい人がいる。
努力しても敵わない(今思うと努力の方向性を間違えていたのが悪いとわかるのですが)
ずっと、下手なのがコンプレックスだった。
それが多分、大学生になって静かに爆発したんじゃないかと思う。
田舎の少人数の学部とはいえ、美術科に集まる人は絵が上手いのだから、自分で下手だと思っている人間が敵うわけがない。
ずっと、本当は絵を描くことなんて好きなんかじゃなかった、ただただ、称賛されたかっただけだったんじゃないか。そう悩み続けていた。

でも、そんなとき。
ある人に息抜きにどう?と漫画を紹介された。
その人はいろんな漫画やアニメをそれまでも紹介してくれてはいたんだけど、ゲームの方が好きだったのでそこまでハマらなかった。
でも、その漫画は自分でも驚くぐらいにハマっていた。
何故かというと、やっぱりゲームなんだけど。
その漫画はゲームにもなっていて、それで遊んでいるうちにもっと知りたいと漫画を自分で買い揃えて、そして描きたくないと思っていた絵を描いていたのだ。

なんで、描きたくないと思っていた絵をまた描いていたのか。
それは多分、自分の「好き」を伝える手段が、絵にすることだったからなのだ思う。
また、漫研に入っていたことも影響していると思う。
伝える手段がそれでも、伝える相手がいなかったら、多分やっぱり描いてはいなかったと思う。
だから、伝える相手がいるってすごく大事なんだと思うのだ。
それが特定の相手でなくてもいいし、自分自身でもかまわない。
とにかく、好きを形にして見せる相手を作ること。
そして、伝えたら反応を貰うこと。
それで結局今まで絵を描き続けている。

でも、それでも最近やっぱり描く気がなくなってきていた。
どうしてなんだろうと考えていた。
飽きてきたのかなと思っていた。
それが正解だった。

長くやっているとどうも保守的になる。
上手くなりたいと言いながら自分の絵というのを変えたくない。
それだから、小手先のテクニックぐらいしか試すものはなく、結局変わらない。
変わらないから、絵がうまくなった気にならない。
変わらないから飽きる。
ただ、それだけだった。
それに最近気が付いた。
描き方をちょっと変えただけで、楽しくなっていた。


多分きっとずっと、変わらないことにイライラしていたんだと思う。
だから、描く題材を新しく手に入れた時や描き方を変えた時に、楽しくなってきたんだと思う。
絵が描きたくない。
その理由は人それぞれかもしれないけど、もしかしたら私と同じように、変化しないことに飽きていた、ただそれだけなのかもしれない。
ちょっとだけ変えてみたらいいと思う。
例えば、私は下書きを水色シャー芯に替えただけで、楽しくなった。
そういえば、子供の頃、顔の書き方を前髪から描くのをやめて、輪郭からにしたときもやっぱり楽しくなっていた。
変化が大事だ。
くだらないことでも変えてみたら楽しいかもよ?

2017年7月10日月曜日

水色シャー芯のススメ 

最近は、デジタルが主流、スマホなんかでも絵が描けるようになったのであまりアナログで絵を描かなくなったかもしれない。

それでも私は、らくがき用にクロッキー帳を持っている。
なんでかっていうと、デジタルで下書きができないから。
どうも変になる。だから、クロッキー帳に描く。
クロッキー帳というのは、本来その名の通りクロッキー用(ささっと描くデッサンのようなもの)だけど、学生の頃、美術科の学生はネタ帳にしたり、課題を練るためにいろいろ書いたりしていたものです。
最近、らくがきに水色のシャー芯を使うようになった。
水色で下書きして黒で清書する。
そうすると黒だけで描くよりなんだかうまくなったような気がするのです。

もちろん、道具を変えたからっていきなりうまくなるわけじゃないよね。
だけど、うまくなった気がするというのは大事。
人間変化がないことには飽きるんだよ。
下手だ下手だと思い続けるということは、画力に変化を感じていないということもあると思う。
変化がないから飽きてきているのに、それでも描き続けて苦痛になってた。
趣味はイラストと言いながらも描けないのは、下手だ下手だと思い続けていたからなんだと最近感じています。
だから、気がするだけでもいい。それでやる気が出るのなら。

さて、どうしてうまくなった気がするんだろうか?
黒で下書きすると、うまく消さない限りラフな線が結構残ってしまう。
ざかざかした線が残っていることで、ちょっとプロっぽい感があってそれでもいいかもしれないけど、下手だと思ってたらあんまり意味はない。
対して、水色は色が薄いので、線が残っていても上から黒で清書した線が目立つ。
下書きしてあるから線が綺麗にひける上に、まるで一発で綺麗に描けたように見える。
それゆえにうまく見えるのだと思う。
それに黒だと、何度も修正しようと消しゴムをかけたりしてたら紙が汚くなってしまうが、水色だとどうせ目立たないからとあまり消すこともしないので綺麗なまま。
そういったところもうまく見える点なんだと思う。

そう、何というか、黒で描いていたときより気楽に描けるんだ。
どうせ下書き。見えない。
見えないから雑に描いていいって訳じゃないけど、とにかく気楽になれる。
力が抜けていい感じになるのかもしれない。
デジタルで下書きできないというのも、多分それに尽きる。
なんだかデジタルで描き始めると、はじめからうまく描かなきゃいけない気になってしまう。
身構えてしまう。

それを、ちょっと道具変えるだけでいい感じになるんだったら、それでいいよね。

2017年7月9日日曜日

牧場物語2はじめました。

先日ついにVC化ということで喜び勇んでブログを書きました。
そして、ついに、WiiUでDLしてきました!
手元でできるなんて幸せです。
しかし、軽い。ささっとDLできちゃった。やっぱり昔のゲームは容量が少ないんだなぁ。

懐かしい音楽、懐かしい街並み…思い出が蘇ってくるような感じです。
しかし、OPでどうして主人公が牧場を始めるのか流れるものの、ほぼいきなり放り出される状態。
一応、上の画面を見てもらうとわかりますが、遊び方を説明してくれるメニューはあるものの、そんなのよりさっさと遊ぼう!なんてゲームをはじめたらチュートリアルなんてありません。
ゼルダの伝説ブレスオブザワイルドも何もわからず放り出された感がありましたが、あれはあれではじまりの大地という場所自体がチュートリアルになっていてやってくうちにわかるんだけど、これは町の説明や出荷の説明はしてくれるものの、いきなり放りだされてはじめなきゃいけなくて、昔のゲームだなと感じました。
でも、意外と操作方法とか覚えてるもんですね。
どのボタンが、64のコントローラーのボタンと対応してるのかわからなかったものの、わかればだいたい思いだせました。やっぱりやり込んでると、覚えてるもんですね。

しかしまあ、一日がホントに短い!
あれ、もう真っ暗だ!なんて、何度も思いました。
とくに序盤なんて、荒れた牧場を開拓しつつ街に行ったりしていたら、平気で寝るのが夜中の3時とかになってました。
一番最後にやった牧場物語はふたごの村という作品だったのですが、あれはもっとゆったり時間が流れてました。
牧場仕事に慣れないうちから、山にいって採集とかしてても余裕だったのに、2は久しぶりにやってみたら全然時間が足りない。
早く寝るほど体力も回復するんですが、寝るのが3時とか4時の生活を続けていたら、もう2回も風邪ひいて一日潰してしまいました…
眠るのは大事です。

でも、だんだん慣れてくると余裕ができるんですよね。
なんだかそこがリアルに感じました。
仕事に慣れてきて、やれることが増えて…
山や街を散策してまわる時間もできて、心に余裕ができる感じでしょうか。
そうなってくると、だんだん一日の予定をたてて行動できるようになりますね。

予定をたてるのが結構大事。
このゲームでは牧場に蒔く種を街に買い出しに行ったりしないといけないんですが、一日中ずっと店が開いてるわけじゃないんですよね。
夕方には閉店。定休日もある。
だから、この仕事は後にしてタネを買いに行こうとか、今日は動物について聞きに行こうとか、時間がない中で考えなくちゃいけない。
でも、それがメリハリになりますね。
決まってるからこの時間に行かなきゃってなるし、後でいいかがきかない。
季節によって育てられる植物も違いますからね。たくさん収穫したいなら一日でも早く買い出しに行かないといけない。
不便かもしれないけど、季節の移り変わりを感じたり、あ、この人は今日は休みだから外にいるんだとかそういう発見があっておもしろいです。
便利さも大事だけど、ちょっと不便って方がどうしたらいいか工夫を考えるのでいいのかもしれません。

昔やってたときは、朝牧場の仕事をして、山で採集、街に降りてきて散策、最後は海で夜釣り…なんて生活してました。正直どうやってその時間を作れていたのかわかりません(笑)
うーむ、効率重視でその域に戻れるのはいつの日か…

このゲームの中に他の地域から放浪してきて、友好度によっては定着してくれるキャラがいるんですが、そのキャラがいうんです。
この町は親切にしてくれるけどそれが過度に干渉してくるものでもなくて、適度な距離感を保ってくれると。
お互いの生活を尊重している。そんな感じがして、物悲しさを感じさせつつどこか温かい。
やっぱり、これが好きなんだなと思いました。
ベタベタしてない、さっぱりしてる。互いにそこまで干渉しないのは、冷たいわけじゃない。
そこが好きです。

まだまだ、一年目の秋。
まだまだ、楽しめそうです!

2017年7月6日木曜日

ゼルダの伝説やってたらスマホゲーにほぼ触らなくなった話

今年の3月、NintendoSwitchで発売された「ゼルダの伝説ブレスオブザワイルド」
それをはじめてから、一つ生活の中で変わった事があります。

スマホゲーに触らなくなったことです。

たまに「ねこあつめ」(これをゲームというのかわからないけど)で猫に餌をやったり、ちょっとした暇つぶしに昔入れたシンプルなパズルゲームをやるぐらいで、毎日ログインしなきゃとやっていたゲームには一切触らなくなりました。

ちなみにやっていたのは、聖闘士星矢のキャラゲーとカフェ経営するゲーム。
昔は結構キャラゲーがCSでもいろいろあったんだけど、今キャラゲーの主流はスマホアプリなんでしょうか。いっぱい配信されてますね。
星矢のゲームはPS3とか4で発売してたんですが、本体を持ってないし本体を買うほど欲しかったわけでもなく…でもスマホは持ってたので、せっかくだからとDLしてました。
はじめは面白いんですよね。
新しいキャラをガチャで手に入れたりストーリーを進めたり…でも、だんだん内心嫌になってきてたんです。
自分のことはゲーム好きと思ってはいますが、毎日帰ってきたら即ゲームとかそんな風に遊んでいたことはなく、やる日とやらない日がありました。
でも、スマホゲームだとログインボーナスがあって、毎日ログインした方がお得なんですよね。
とくに課金するほどではないなと思っている私のようなプレイヤーは有利に進めたいならログインは欠かせません。
それを続けていると…ただただログインしてアイテムを貰ってそれだけ、遊びはしない。
そんな風になっていました。

何故かというと、そのゲームの調整が悪いのかもしれませんが、だんだんストーリーを進めてくのが難しくなっていくんですね。
経験値が全然たまらない。
課金していれば、経験値を得られるアイテムを買えばいいんですが課金してなくて戦ってもらえる経験値だけで進めようとすると長時間拘束されます。
バトルが面白ければいいんですが、正直、ただ眺めてるだけの戦略性も乏しい感じで面白くない。

ストーリーだって正直不満です。
収録されているキャラクターが少ないせいでしょう。
あるゲームでは、なぜか物語の主人公である星矢やその仲間たちを頻繁に敵側で出してくる。
そこに理由なんてとくにありません。そんな細かいとこ気にしなくてもと思うかもしれませんが、敵キャラのグラフィックだって一応用意されているんです。
何故主人公が立ち向かってくるのか?そんな理由考えてもないでしょう。
そういうのが嫌いでした。
それに、やはりこの手のゲームは好きなキャラが使えるというのが売りだと思います。
が、無課金だと好きなキャラを手に入れるのだって大変ですし、手に入れたって一から育てないといけないとなると貰ったって結局使わないんですよね。
むしろ、アニメや漫画では特に愛着もなかった、でも初期に手に入れたキャラの方が愛着が湧いてたりする。
そこはゲームのいい点かもしれません。
けれども、どのみち、ストーリーに関わってくるのは、漫画やアニメでその場面にいた
キャラだけ。
いろんなキャラがいたところでただただ棒立ちしてるだけです。何にも面白くない。
使ってるキャラでストーリーが分岐するわけでもなし、ただただ有利に勝ち進めるパーティを組むだけ。
何にも面白くない。育成もめんどくさいシステムでしかない。

正直なところ、不満に思ったすべてがお金をかければ解決するんです。すべて完璧にではないにしろ。
とにかくそういう風に仕向けられたシステムの作りが嫌で嫌で仕方がなかった。
暇つぶしのためにやってるのに、なんでこんなにやらされている感を感じなければいけないのか。
とにかく、私はやらされてる感というのが嫌でだからこそスマホゲーはやらなかったんです。
それでもやったのは、好きな漫画のゲームだからで。
私がキャラゲーに求めるのは、そのキャラの違う一面とかそういうのが見れることであって、好きなキャラ集めたって面白くない。
こういうゲームで集めたってどうせ新しい何かをしゃべらんし棒立ちだし。

結局、私スマホゲー向いてなかったんだと思います。
最初は面白いなと思っても、だんだん作業感感じてくし、やらされてる感が強くなるし。
なんていうか、CSのゲームだったら、進めないのは自分の腕が悪いと納得できるんですけど、スマホゲーだと進めないのは金を払ってないから、そんな気しかしない。
カフェ経営のゲームはそうでもなかったんですが、こっちはこっちで、何度も開いてはコーヒー入れなおしたり掃除したり、サイドメニューチェックしたり(ほおっておくと焦げる)ゲームに時間が縛られていくことが嫌になっていく。

ゼルダに使った時間、それもまたゲームに縛られていたのかもしれないけど、そっちは好きな時に始めて好きな時に終わっていいんです。
時間の使い方はこっちの自由なんです。だから、同じぐらいの時間を使っていたのだとしても、イライラしてない。
遊んでて楽しい。試練をクリアすると、達成感を感じる。
その楽しさに触れたら、本当にゼルダばっかりやってて、スマホゲーにログインしなきゃと思うことさえなくなっていました。
もちろん、面白いスマホゲーだってあるんだろうけど、探す気にはなれません。
CSの方で楽しいゲームがあればそれで充分。
ずっとゲームばっかりやってるわけでもないですし。

最近、イベントで好きなキャラがもらえる!みたいなことをやってるみたいですが、それさえ魅力に感じませんので戻ることもないでしょう。
だって、確かに好きな漫画だからと始めたけど、別にキャラクターあつめたくてやってるわけじゃないんですもん。
ただただ、面白いゲームがしたい。
ただ、それだけなんです。
どうせ遊ぶなら、イライラしない方がいいでしょ?

「牧場物語2」日本でも配信です!!



今年の2月ごろ、海外での配信が決まったニュースが入ってきていつか日本でも…と思っていたら、しれっと配信開始してました!
価格は1,028円。1,028円で遊べる…!

YOUTUBEを見てたら、おススメの動画を載せているところに懐かしいスタート画面がWiiUゲームパッドに表示されている絵と「牧場物語2 プレイ映像」のタイトルが。
え?と思ってのぞいてみたら、なんと知らないうちに配信されているじゃありませんか!
もう、嬉しくてうれしくて!
64というハードで出されたせいか、マイナーなゲームになっちゃってますが、私はこの牧場物語2が大好きで!
牧場物語というタイトルなのでもちろん牧場を経営するゲームなんですけど、住人達と交流するのが楽しいんですよね。
毎日話しかけたり、プレゼントをあげたりしてるとだんだん仲良くなっていく感じがいいです。
最初はお客さんって感じの対応だけど、だんだん仲良くなっていくたびに受け入れていってもらえてる、そんなセリフのセンスが素敵でした。
牧場経営だけだと、単調になりがちなんですが、住人達との交流や時々開かれるお祭りなんかに参加してると楽しいですね。
ほのぼのしていて、それでいてどこか田舎の物悲しさが感じられて。
しんみり温かい世界観が、本当に練り込まれていて素敵です。

子供の頃、親がでかけていないときに延々と遊んでました。
昼飯時になっても、まあいいかって延々とプレイ。ゲームの中ではケーキ食べたりしてたけど(笑)
ジャガイモの収穫時期がわからなくて、花が咲いたまま夏を迎えて枯らしちゃったなぁ。
植物って、花が咲いてそれが散ってから実がなるイメージがあったのでジャガイモの事知らなくて花が咲いた後まだ何かあると思ってたんですよね(笑)
あのころは(今もですが)知らないことが多かった…

1999年発売のゲームなんで、できることは今の牧場物語シリーズと比べたらホント少ないし、時間経過も結構速い。
でも、その限られた時間の中で、日々の生活のための農業畜産をこなしつつ、街の人との交流をしていくために時間を作る…それが楽しくて楽しくて。
日常に追われつつも、住人たちとの交流で心が温まるというか癒されるというか、そういうホッとする時間とのメリハリがいいなと思います。
イベントもいろいろ凝ってるんですよね。
めっちゃやり倒したつもりだったのですが、ネットで検索したら出てくる出てくる知らないイベント。
嫁さんが実家に帰っちゃうイベントとか、わざと無視し続けないと出てこないからやったことなかった(笑)

今のゲームに比べたら、行動パターンも数えるほどしかなく、街も狭いし外の世界を感じさせても外には行けない。そんなゲームですが、遊んでいるとキャラクターたちがその世界の中ですごく生き生きしてるのを感じます。
できることが少なかったからこそ、表現できたゲームなんじゃないかなぁと思います。
イベント事があると強制参加なんてゲームもありますが、参加しないで牧場の仕事してても別にいい。
そういう、自由さもいいですね。
実際の田舎だと参加しないとあれな時もあるけど、ゲームなんでそういうことはないし。
田舎暮らしではあるけれど、みんなある程度距離感を保っていてくれている。
そういうのが心地いいのかもしれません。
相手を尊重している。それぞれの生活に過剰に干渉はしてこない。ゲームのキャラにそういうこと言うのもあれなんですが。
過剰に干渉してこないところが、自由さを感じさせてくれます。

WiiUでもいいんですが、ぜひSwitch版も…!
WiiUだとつなげるものがいろいろあって面倒なところもあるんですよね。
その点Switchは本体だけでOK。ホントこのハード、楽です。
ま、とりあえずWiiUで遊びまーす!!
この機会に、当時64持ってなくてやらなかった方も、もちろん興味がある方もぜひぜひ遊んでください!

2017年7月3日月曜日

100均のレジンとちょっとお高いレジンの違いを比較

最近プラバンにハマりまして、表面保護のためにUVレジンを使っています。
レジンは紫外線に当てると固まる樹脂のこと。
100均でも売っているので、ずっと100均のものを使ってました。
が、使う量が多くなってきたので、せっかく会員価格で買えるし…と清原というところが出してるUVレジンを買ってきました!
というわけで、比較をしてみます。

左がセリア、右が清原です。
4グラムと25グラムですからだいぶ大きさが違いますね。
どちらもノズルがついてて流し込みやすい。
ただ、セリアのはどうも空気が入りやすく、それゆえに気泡ができやすいです…

そして、色を比較してもらうとわかりやすいですが…
左が清原、右がセリア。
プラバンに塗ってる時は、あまり違いがないかな?と思ってたんですが、中にものを封入しているとはいえ違いは歴然。
お高い方がやっぱり透明感が強いです。
それから、硬化しやすい。
セリアのはちょっと分厚くしてると太陽光だからかもしれませんが、底の方がなかなか硬化してくれませんでした。
でも、同じくらいの時間でやっても清原の方はきっちり硬化してくれます。
やはり高いものはそれなりの理由があるんだな…と思いました。

とはいえ、やはりちょっと試そうかなというにはやはりお高い。
それを思えば、セリアのレジンも十分使える範囲だと思います。
ちなみに、100均よりはやはりお高くなりますが5グラムぐらいのチューブも売ってたりしますから、試してみたいけど100均のはなと思う方はそちらを使うのもいいかもしれません。

本日の手芸はここまで~

妄想ができないのは情報が足りないから

以前はもっといろいろ想像できてたのになぁ…
二次創作をしていると、そんな風に思う時がある。
もう飽きちゃったのかなとかそんな風に思うけど、多分、半分正解で半分間違いだなと考えた。
私は基本的に二週目というのをやらない。
同じ本を二度読むときは、数年たってからあるかないか、完全に内容を忘れてしまったときだけ。
ゲームだって、どんなにハマっても二週目はまずやらない。
一度読んだ本、一度やったストーリー、つまり同じものを何度もやりたくないのだ。

妄想できたころを思い出してみる。
漫画やアニメ、ゲームにハマった時。
それは、本や映像を読んだり見たりした直後。
まだまだ、いろんな記憶が鮮明な時。
そういう時は、細部まで結構覚えていたりして、この時のこの行動は?とかこのセリフはとか考えられていた。

だけど、記憶というものはだんだん薄れていく。
自分は結構記憶力がいいと思っていた。
忘れる部分は確かにあるけど、思い起こせる部分から考えていけば思いだせる。
そう、思っていた。
だけど、人から借りた漫画でどうしてもわからない部分があって、よし、自分で買って読むか!とはじめて漫画を2回読んだとき、あまりに覚えていないことに気が付いた。
確かに印象的な部分は覚えている。
だけど、細部を覚えていないのだ。
わからなかった部分は、そういった細部を読み取っていけば理解できた。
読み返す大事さを感じた。
そして、読んだ直後というのはいろんな想像、妄想が出てくる。
時間が経つと、それが減っていく。
それに気が付いた。

少ない情報だからこそ、想像させられるとは、よく聞く。
だけど、少ない情報で想像できるものは、多分、自分がわかっている範囲のことでしかない。
でも、自分がわかっている範囲が広ければ、想像もかきたてられる。
つまり、結局、自分がすでに持っている情報が多ければ多いほど、想像は容易くなるのだ。

最近、絵ばっかり描いてるから物語の方が妄想できないのかなと思っていたけど、簡単なことだった。
以前、気が付いたことだった。
薄れた情報を頼りに妄想してたって、同じことしかできないのだ。
何度も何度も見直すことで、新しいことに気が付くことだってあるはず。
ただ、アニメにしろ漫画にしろ、読み返すのって結構労力がいる。
時間がかかるのだ。
それをかけられるうちはまだ飽きてない。
かけられないのなら、飽き始めてる。
多分、きっとそう。
もしくは、同じものばっかり見てたから、視点が凝り固まってしまっているのかもしれない。
それゆえに、妄想ができなくなっている。
いろんな情報を取り入れ、いろんな視点を探る。
それが妄想するために必要なものなんだろうと思う。

さて、久しぶりに読み返そうかな。

やる気とメンタルと体調

 やる気というのは意外と体調に影響を受ける。 いや、考えてみれば当たり前だった。だって、風邪をひいてる時に、よし!何かを始めよう!なんて気にはならない。病気の時なら簡単に気が付くのに、例えばちょっと疲れてるとかそんなときはわからないものだ。 メンタルも疲れてる時は駄々落ちする。人...