2017年1月20日金曜日

ゲームで描かれる死

ゲームで死を描くことはできないのか

最近はどうなのかわかりませんが、よくゲームに対する批判としてリセットできるから命を軽く見てしまう…というものがありました。
でも、私は子供の頃にそんなことはない、むしろゲームにしか描けない死があるのだと考えていました。
そう考えるにいたったのはあるゲームソフトを遊んだからです。
そのゲームに描かれた死は、いまだに心に響いています。

さて皆さんはゲームで描かれた死というとどんなものを思い浮かべるでしょうか?
相手の兵士を撃ち殺し、名もなき兵を槍や剣でなぎ倒しその数を競う。
批判する人が思い浮かべるのはこういう死でしょうか?
もしくは、ストーリーのあるゲームで仲間や味方、力のない市民が死ぬ。
FF7はやったことがないのですが、それでもエアリスの死というのは聞いたことがあります。
仲間だったキャラクターが死んでしまうのは衝撃的ですね。

でも、私が思い浮かべるのは、そういう戦いを題材にしたゲームではありません。

牧場物語2というゲーム

子供の頃、ゲーム雑誌を読んでいてふと惹かれたゲームがありました。
その雑誌に、ゲーム内で女の子と仲良くなっていく様子が日記形式で紹介されていたゲームです。
それが「牧場物語2」でした。
その名の通り、荒れ果てた牧場を立て直し繁栄させていくゲームです。
私がはじめて自分で情報を得てほしいと思ったゲームで、発売日を楽しみにしていました。
牧場を経営しながら、女の子だけでなく村の住民と仲良くなって打ち解けていく(仲良くなるとセリフがかわっていくのです)過程が面白くて、何時間も遊んでしまいました。

ゲームというのは住人に変化が乏しいことが多い。
牧場を運営するゲームなので、季節が移り変わり年が一年二年と過ぎていくのですが、小さな子供はいつまでたっても子供のままだし、大人たちも見た目に変化なんてない。
でも、ゲームというのはそういうものだと思っていたので、だからこそ、住人との関係がかわっていくことが面白かったのです。
その中に一人の老婆がいました。
いつも庭先でロッキングチェアに座っているおばあさんは、住んでいる家が町の入口付近ということもありいつも目に入ります。
私は、そのおばあさんにも山に落ちていた木の実なんかをプレゼントしていました。
(このゲームでは特定のキャラクターに特定の食材をプレゼントするとレシピを教えてもらえることもあり、いろいろプレゼントしてまわっていたのです)
夏になってクルミをプレゼントしたら、クルミのケーキのレシピを教えてもらえました。
ああ、仲良くなってきた。そう思っていた矢先。
ある日、いつものように話しかけると急にイベントがはじまりました。
イベントがはじまるとセリフ送りにボタンを押す以外の操作を受け付けません。
一体何がはじまるのか、ちょっとワクワクしつつ眺めていると。

そのおばあさんは眠るように亡くなってしまったのです。
衝撃的でした。なんの前触れもなかったのですから。
え?なんで?と思うことしかできません。
イベントが起きるとゲーム内の一日が終わってしまうのですが、その時もおばあさんの葬式が行われ火葬されたのを表すように一筋の煙が空に立ち上る絵があらわれ、主人公のセリフがかぶさって暗転し、そして夜が明けて次の日になってしまいました。
次の日は何事もなかったかのように始まるのです。
いつものように、畑に植えた作物に水をやり、ニワトリや牛たちに餌をやり…
そうしなければ、作物は育たないし、動物たちに至っては死んでしまうこともありました。
むしろ、いつもの毎日を続けなければいけません。
町に出ると、おばあさんには孫娘がいたのですが、その彼女も泣いて目を赤くしてはいるものの、いつものように働いていました。
周囲の人たちも彼女を気遣うセリフをしゃべりますが、それも長くは続きません。
いつものように日々は過ぎていきます。
ただ、そうやって周りがかわらないがゆえに、いつもいたはずのおばあさんがそこにいない事がはっきりわかってしまうのです。
けれど、私自身もいつの間にかその悲しみを忘れていきます。
そこにいないことが当たり前になります。
そうやって日々が過ぎていくのです。

攻略本を読んで知る衝撃の事実

ゲームを買ったら攻略本を読む、というのが当時の私の好きなことでした。
ゲームってアニメや特撮とかと違って、例えばセーラームーンとか仮面ライダーとかなら主人公が浸かっているアイテムがグッズとして売られたりするわけですけど、とにかく関連商品が少なかった。
だから、ただゲームを攻略するためだけでなく、好きなゲームの世界に浸るアイテムとして攻略本を買っていたのです。
それを読んでいて、ある事実に衝撃を覚えました。
なんと、あのおばあさんは仲良くなっていくと死んでしまうイベントが発生するということだったのです。
つまり、話しかけたりプレゼントをあげなければ死なないのです。
ビックリしました。
主人公がやったことが、キャラクターの死につながるなんて。
それが例えば、RPGで敵として倒したからとかならわかります。
けれど、このゲームはそうじゃない。
ただただ、驚きでした。

そして私はある決断をします。決断と呼ぶのはちょっと仰々しいですけど。
このゲームは好きな女の子と結婚できます。
ただ、どの子もみんな魅力的ですし、ゲームとして遊べるならいろんな子と結婚した生活を見たい。
だから、何度も新しくゲームを始めるわけなんですが、そのたびにおばあさんを死なせることにしたのです。
(なんだか文字にすると物騒です…)
何故か。
死なせないために、仲良くしないってどうなんだろう。
そう思ったのです。
ゲームのキャラクターなんだからそんなこと気にしなくてもいいじゃない、そう思うかもしれません。
でも、あのころの私はそう思ったのです。
この物語は、こうして

物語として死を描くと

私自身、趣味で物語を描くことがあるのですが、作品の中に死を描くとどうしてもそこに至るまでを描く必要があると感じます。
もちろん突拍子もなく死んでしまう描写を描くことはできないことはないのかもしれませんが、ただ、それはセオリーを逸脱したゆえの面白さだったりして何度も使えるわけじゃない。
キャラクターが死ぬということは、それだけで物語の盛り上がりにできる出来事です。
嘆きや悲しみ、それを乗り越えていくこと。
十分物語のメインになる題材です。

だからこそ、このゲームに描かれた死はゲームにしか描けない死だと思うのです。
生活の中にある、親しい人との別れを体験する。
体験させる。
それができたのが、このゲームだったと思うのです。

だからこそ、私はゲームを遊ぶことで命を軽視するというのは違うと思うのです。

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