2017年2月19日日曜日

「死ネタ」に思うこと

先日海外ドラマの「クリミナルマインド シーズン8」を見ておりました。
WOWOW入ってないので、スーパードラマTVで見てるものだから今頃シーズン8です(笑)
まあ、それは置いといて。
先日やっていたのは「死小説」というお話でした。
この話では死小説という字のごとく、人が死ぬ小説を描く人たちが登場します。
それも、ネットやなんかで見つけた実在の人(ドラマの中の人をこういうのはなんだかおもしろいんですけど)を題材に描くわけです。
しかも、嫌いだからではなく好意をもちながら。

さて、私はこの話を聞いて、ふと二次創作で行われているものの一つである「死ネタ」を思い出しました。
死ネタというのは、読んで字のごとく、キャラクターが死ぬことをネタにした二次創作です。原作において生きているか死んでいるか、そもそも死があるような作品であるかどうか関係なく。
私が昔聞いたのは「死にネタ」だったんですが、最近は「死ネタ」というみたいですね。どういう風に目にしたかと言いますと、作品の説明とかもしくは冒頭に書いてあるわけです。「死ネタ注意」と。基本的に、注意書きでよく見る単語でした。

基本的に二次創作を読む人たちは、その作品やキャラクターが好きで読んでいるわけですよね。
それなのに好きなキャラクターが死んでしまう物語を読んでしまったら…やっぱり嫌だと思うわけで、だから注意書きが必要なのです。

それに、死ぬ話を書くってそのキャラクター嫌いなんじゃないか?と感じたりしませんか?
クリミナルマインドのお話を見ても、他者に好意を抱きながらそれを殺してしまう妄想をする彼らは異常に映ります。でも、例えば、嫌いな人間がいてどうしても許せなくて、その人に何か嫌なこととか不幸なことが起きればいいなとちょっと思ってしまうことってありませんか。そうなんです。嫌いな人間に対しての好意ならば、少しはわかる面はあるもの好きなキャラクターに対しては何故そうするのかはわからないんです。
同人というのは、少なからず同じものが好きなもの同士で交流したいという面があると思います。
だから、好きなキャラクターが一緒だと思って作品を読んだのに、実は嫌いだった。騙された。
そんな気分になるものだと思います。
それに実際、ヘイト同人と言って、私は触れたことはないのですが、嫌いなキャラを痛めつける同人もあるみたいで、死ネタというのはそれと同じようなものと感じる人がいるのもしかたないことです。

と、まあ、いろいろ書いておいてなんなのですが、私は「死ネタ」が好きなのです。
二次創作でストーリーのあるものを描き始めたのはここ2,3年ぐらいなのですが、それまでストーリーを妄想しなかったわけではありません。
ただ、死ネタを嫌いな理由もわかるから、見せることがためらわれていました。
それでも続けてしまうのは、やっぱり好きだから。
クリミナルマインドを見て、異常に描かれた彼らの行動に少しだけ共感してしまう部分もなくはない。

ただ、時々考えるわけです。どうして「死ネタ」をやりたいのか。
それを考えると思い浮かぶのが「牧場物語2」です。
牧場を経営する時間に追われつつも、のんびりとした雰囲気の町で暮らすゲームです。
そういうのんびりした世界の中で、ある一人の老婆の穏やかな老衰による死は、他のどんな物語の死よりも私の中で強烈に残っています。

物語の中の死というのは、ある意味、ストーリーを盛り上げる要素を盛っています。
そのためにそこに至るまでを丁寧に描写したり、その死を嘆き痛み、そこから死者の遺志を継ぐ決意をしたり。意味のない死と思われるものも、作品世界の不条理さを表すための意味があったり。

でも、その老婆が死ぬことはストーリーを盛り上げるものではありません。
何故なら、牧場物語2にはRPGのように決まったストーリーはないのです。
目的はあります。死んだ祖父が残した荒れ果てた牧場を3年で立て直す、できなければ牧場はあきらめろという父との約束のもとに主人公は牧場経営を始めます。
その生活の中で様々なイベントが起こります。
女の子と仲良くしたり、住人たちの起こすハプニングに巻き込まれたり。
そういったイベントの中の一つに老婆の死があるのです。
では、なぜその死が強烈に残っているのかを考えると、それが主人公、つまりプレイヤーにとっての物語の一部になるからだと思います。
製作者が用意したイベントという点を、プレイヤーのプレイという線で結ぶ。こうしてプレイヤーの数だけ、プレイした数だけ物語が紡がれます。

もう一つ印象に残った理由は、遺族である孫娘の嘆き悲しみと周囲の住人の温度差。
決して周囲の住人が冷たいわけではありません。
小さい町だから祖母のことはみんな知っていますし、慕われていたこともセリフから感じられます。
でも、やはり一緒に生活していた孫娘の悲しみと周囲の人間の悲しみには違いがあります。
孫娘は祖母がいなくなってしまった、別れに対して嘆き悲しみます。
周囲の人間は、その孫娘の悲しみに寄り添おうとしたり、思い出を懐かしんだりします。
また、小さな子供は人が死ぬということに恐怖を覚えています。
アニメや漫画といった媒体ですと、死は主人公や周りの仲間の感情がクローズアップされやすいじゃないですか。
とくに仲間の死なんて、嘆き悲しみ、そこを乗り越えていくというのが王道ではないでしょうか。
そういう激しい感情を目にするのが多かった。
それゆえ、子供の頃にこのゲームをやった私にとって、ある意味物語の外側にいる人間の感情というのはなんだか新鮮に思えたのです。

そうやって感じた「死」の強烈さを何とか表したいのかもしれないと考えています。
死に対する温度差、距離感、ある出来事に対して感じる、それぞれの立場で変わる意味…そういうものを表したいなぁと。

世の中理解しがたいことはいろいろあると思うし、私にだって理解できないことはいろいろありますけど、こういう人もいるんだなぐらいに思っていただければ幸いです。

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