何日か前、ショッピングモールの中を歩いていたら意外なところで懐かしい名前を聞いた。
父親と小さな女の子が歩いていて、どういう会話をしていたのかはわからないのだが「それはドラメット三世」なんて言っていたのだ。
私はびっくりして、スマホで「ドラえもんズ 復活」なんて検索してみていた。
結局そんな情報はなかったが。
何故、そんなことを検索したのか。
そもそも「ドラえもんズ」って何?という人が多いと思う。
でも、90年代後半に子供時代を過ごした人にとっては、思い出深い存在である方も多いのではないだろうか。
ドラえもんズとは、その期間にしか存在しなかったドラえもんの友人たちだ。
毎年恒例の春休み映画で同時上映された短編映画で活躍した彼らに私は夢中だった。
けれど、彼らのお話が語られたのは2002年が最後。
その後、ドラえもんの声優がかわりリニューアルしてからというもの、その存在はなかったことになってしまった。
だから、小さな女の子の口からドラえもんズの一人である「ドラメット三世」の名前が出てきて、ついつい復活を期待して検索していたのだ。
彼らは原作には登場しない。
一番最初に登場したのは、私はやっていないからよく知らないのだが、ドラえもんのゲームだったらしい。
ドラえもんの6人の友人たちは、それぞれ違う国、違う時代に暮らしている設定だった。
アメリカのドラ・ザ・キッド。
中国の王ドラ。
ロシアのドラニコフ。
ブラジルのドラリーニョ。
スペインのエル・マタドーラ。
サウジアラビアのドラメット三世。
普段は別々に暮らしている彼らが、仲間のピンチに駆けつける。
そんなお話が好きだった。
でも、彼らは原作に登場しないものだから、古くからのファンには不評だったらしいのを後になってネットで知った。
ドラえもんズは原作者の藤子不二雄先生がデザインしたわけではない。
ゲームのためにデザインされ、先生の了解は得ているものの、そんなことは関係ないみたいで、ドラえもんの色違いばっかりで、お話のテイストも違う。そんなものは認められない。そういう感じだった。
原作者が嫌っている、なんて言っているのも見た。
とはいえ、彼らが登場する短編映画が作られたころ、まだ先生は生きていた。
それに、いろいろ作られたドラえもん誕生の設定を整理してこれが決定版と作られた「2112年ドラえもん誕生」にも彼らはドラえもんの同級生としてほとんどモブのようなものだが存在している。
ドラえもん誕生の映画は、まさに先生が起き上がりこぼしをヒントにドラえもんを思いつくところから始まる。
そんな映画に登場しているキャラクターをそこまで嫌っていたとは個人的には思えない。
まあ、これは、私がドラえもんズを好きだからそう思いたいのかもしれないけど。
かつて、インタビューでドラえもんズについて一つ先生が言っているのを読んだことがある。
これは自分では思いつかない。こういうのが新しいドラえもんなんだね。
そんな風なことを言っていた。
これをもしかしたら嫌っているととらえたのかもしれないけど、私はこれを読んで好意的に受け止めたんじゃないかと思った。
ドラえもんズという今までドラえもんの文脈にいなかった存在を提示されることは、きっと先生の創作に刺激を与えてくれた…んじゃないだろうか。
それを確かめるすべはないのだけど。
これから書くことは私個人の事なので、偉大な作家に当てはめるのはどうかと思うのだけど、好意的に受け止めたと思う理由なので書いておきたい。
学生時代、絵画の授業で出来上がった作品について他の学生に感想を貰うというものがあった。
こういう時、自分の意図していたものとは違う意見がよく出るものだ。
自分の意図が伝わらないことにやきもきしたし、なんでわからないんだなんて思っちゃうこともあったが、でも、違う意見を聞くとそういう見方もできるのかと新しいヒントを貰った気になった。
それが、次の作品に繋がることもよくあった。
一つにしか見えなかった作品の世界を広げてくれたように思う。
だから、先生もきっとドラえもんに新しい解釈を加えてもらったら刺激になったんじゃないかなと思うのである。
とはいえ、原作にないものを作者でない人に勝手に加えられて嫌な気持ちもよくわかる。
アニメ化されてオリジナル要素を入れられて、これを入れたやつは原作をわかってない!なんて思うこともやっぱりある。
好きなものが、好きだったものとは違う何かに変わってしまうのは恐ろしい。
それはなんだか、自分が好きである気持ちを否定されたかのような、それはもう、古い、受けない、面白くないと言われたかのような、そんな気分じゃないだろうか。
それゆえに、違うものに反発したくなる。
ただ、面白かった小説未読の映画化をあれは違うと言われたり、ドラえもんズが違うと言われたり、そんなことばかり言われていたら、好きなものは好きなんだからしょうがないじゃないかといいたくなってきた。
だから、それは違う、こっちが正しいというのではなく、ここが面白いんだよと紹介できたらいいのにと感じている。
どっちの立場だって、楽しんでいるものを、好きなものを否定されたら、もう一方を好きになれって言われても気分悪いだけだから。
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