2017年6月29日木曜日

将棋とストーリー作り

最近、将棋が話題ですね。
最年少でプロになった藤井4段がただいま29連勝中…まだまだ伸びそうです。
私は将棋は詳しくないので盤面を見ててもどうなっているのかわかりません。
ルールとか知ってるとより楽しいんだろうなぁ…

さて、将棋を見ていてふと物語の作り方について考えました。
ストーリーの作り方は将棋と似ている…なんてふと思ったのです。
どういうことかというと、将棋って駒ごとにそれぞれできることが決まってるじゃないですか。
歩は前にしか進めないとか。
それらを駆使して王将を取りに行くのが将棋、ですよね。
じゃあ、どのあたりがストーリーの作り方と似ているのかというと…
将棋の駒を、登場するキャラクターと捉えてみましょう。
様々なキャラクターを登場させ、活躍させ、そして目的にたどり着く…似てませんか?

「オレたちはゲームの駒なんかじゃない!」

そんなセリフもありますね。キャラクターという一つの人格をゲームの駒として扱うのはいかがなものか、なんて思うかもしれません。
でも、将棋の駒で考えてみましょう。
将棋の駒にはそれぞれできる動き、役割があります。
その動きを理解し、何ができるのかを理解することはゲームをするうえで重要です。
ルールもわからないままにやっていたら、どう動かしたらいいのかだってわからないのです。
それをキャラクターに当てはめてみます。
キャラクターにもそれぞれ役割だったり、性格だったり、いろんな設定がありますよね。
それらを理解することで、どのキャラクターに動いてもらうのが今の場面で効果的なのか、ストーリーを進めるうえでそのキャラがとるべき行動がわかるのです。
よく、キャラクターが勝手に動き出したなんていう作家さんいるじゃないですか。
こういうことだと思うんです。
キャラクターを理解したからこそ、自分の考えていたこととは違う行動が出てくる。

原作つきアニメなんかでこれは違う!と思ってしまうのは、多分、性格だったり役割だったりを理解しきれていないせいなんじゃないかなと思います。
一時期キャラクターをツンデレだったりそういう枠に当てはめたのがすごく流行ったじゃないですか(今もかな?)
キャラクターを分析して、そういう性格なんだなと自分で当てはめるならいいんですが、作り手が、このキャラクターは世間ではツンデレと言われてるんだと聞いただけで作ったのとではだいぶ違うと思うんですよね。
自分で当てはめた方は、自分が理解しているツンデレと同じだからツンデレに当てはめたわけなんですが、世間でそういってるからというツンデレに当てはめた方は実は自分が理解していたツンデレとは違う可能性がある。
一度、自分でちゃんと理解する必要があるんですよね。
最近は二次創作メインでやってるんで特にそれを意識します。

駒の動きを知ることで、それぞれを活躍させられるように、自分もキャラクターを理解して活躍させられたらいいなと思います。

そういえば、活躍の仕方で思いだした話があります。
ある作品の続編で、冒険したある土地を舞台にしていた作品なんですが、登場キャラクターの一人に以前その土地に災いをもたらしたキャラクターの家族がいたんです。
ところが、そこには全く触れず、相手のキャラクターがその災いをもたらしたキャラのせいで死んでしまったにもかかわらず、今も自分を見守っていてくれる大事な家族として出してきたんですよね。
全く使い方がなってない、そう思ったのを思い出しました。
しっかり練られる時間があるといいのにねぇ。

2017年6月23日金曜日

100均レジンでレジン細工

数年前(だったかな?)レジン細工が流行りましたよね。
紫外線に当てると硬化するUVレジン。
最近は100均でも売ってます。100均ってなんでもありますね。
プラバンの表面を覆うために買ってみたのですが、レジンでもなんか作ろうかなと同じく100均で型を買って作ってみました。

星型以外はすべて100均で買えるもので作ってみました。
夏なので、魚やイルカ、貝やヒトデの型が売っていましたが、その中でこのエンゼルフィッシュっぽいのがかわいかったので買ってみました。
中には、貝殻を細かく砕いたシェルパウダーと何となくスチームパンクっぽくしたくて歯車を。
なかなか綺麗な透明度。
プラバンもそうですが、自分でガラスとかのような透明度のあるものを作るってなかなかできないので、こういう体験がお手軽にできるのはいいですね!
お値段もお手軽なので、売るとか考えなければいくらでも失敗していろいろできて面白い。

いろいろできるといえば、こんなこともやってみました。
色が付いたレジンも売っていて、ふと、これで目玉焼きが作れるのでは…?と思い実験。
左は、白身を先に作って黄身を載せて、右はその逆に黄身を作ってから白身を周りに流しました。
白身を先に作った方は、黄身が上手く載らなくて流れちゃってダメですね…
ちょっとした食品サンプルづくりっぽくて面白かった。
クリアイエローとホワイトのレジンとシリコンマット(他の素材だとくっついてしまう場合があるので)の3つでできるので、興味持ったらお試しあれ。

さて、上の星型は100均じゃないんですよね。
何故かというと100均で売ってた星はすごく角が鋭い感じで可愛くなかったから。
ちょっと高かったけど手芸店で買いました。
しかし、やはり高いだけのことはあるんですよね。
100均の魚の型は、固まりきれなかったレジンがふき取ってもそこに少し残ってしまったのですが、手芸店で買った星型は綺麗に拭き取れました。
それから、作る際には別に問題はないんだけど、100均の方は裏に傷、縁にシリコンがはみ出した部分が残ってる。
お高い方はさすがに型自体の作りが綺麗です。
綺麗さは側面にもあらわれる。
固めたレジンの側面が、100均のは筋が入ってるけど高い方は綺麗なんですよ。
やはり100円は100円。そこは割り切って使わないとと思います。
値段にはそれなりの理由がある。道具なんか使ってるとよく感じます。
初心者はむしろ高いものを使った方がいい場合もあるといわれますよね。
高い方が品質管理がしっかりしているはずですから、100均のようにあたり外れが少ない。
マステもこないだ100均で買ってきたものは、切断に失敗したのか縁に細く切れ目ができてたんですよね…
もちろん100均でも十分使える、いいものはあるんですけど。

とはいえ、安いっていうことは、気持ち的に使い潰しても楽なんですよね。
本格的に始めたいわけじゃなく、テレビで見たからとか友人がやってたからちょっと試してみたいってときには、今の100均は本当に素敵。
ここから、ハマったならいいものを揃えていけばいいんですし。
やっぱりモノづくりって楽しい。

2017年6月22日木曜日

熱中症にご注意

先日も、運動会で子供たちが熱中症に倒れたなんて記事が出ておりました。
とはいえ、実際、自分がその症状にならないとこんな気温で熱中症になるのか?と疑問に思ってしまいます。
でも、今日、この曇り空でなんだか熱中症っぽい症状になって、考えを改めました。
なるときはなる。
それは仕方がないことです。
根性でどうにかなるものでもありません。
しっかり、対処できる知識を持たねば、と思いました。

素人判断なので本当は熱中症ではなかったのかもしれません。
でも、首のあたりを保冷材で冷やしてたら収まったので、やっぱりそうだったんじゃないかと思います。
最初は正直熱中症だとは思わなくて何か悪いもの食べたかな?と思ったんですよね。
なんだかやけに気持ち悪いし、吐き気がする。
でも、食べたものはお茶漬けだったし、具材だって普通のお茶漬けのもと。
ご飯も今朝炊いたばかりのもの…悪いものが思い当たりません。
で、ふと思いだしたのです。
熱中症でも吐き気とか気持ち悪いとかそういう症状がでると。
首のあたりを触ってみたら、風邪ひいてないし熱もなかったのにやけに熱い。
これは冷やさないと!と思って保冷剤を首にあてていました。
水分も多めに。
こういう判断ができると、知識って重要だなと思いますね。
ネットで検索すればなんでもわかっちゃう時代ではありますが、常に正しい記事を引き当てられるかどうかはわかりませんし、気分が悪いのに文字を読まなければならないと思うと検索するのもおっくうになりますしね。
便利だからこそ、自分の身に降りかかりそうなことは覚えておかねばいけないなと思いました。

この時期、なぜか気持ち悪い、吐き気がすると思ったら熱中症も疑った方がいいかもしれませんね。
まだ、クーラーを入れるほどでもない気温だったりするから、部屋でPCでイラスト描いてたりすると知らないうちに熱中症になっちゃうかもしれません。
集中してると水分補給忘れちゃいますしね。
倒れないためにも、水分を忘れずに。

2017年6月19日月曜日

かわいい食玩 ピカチュウの木漏れ日カフェ

ネットを漂っていたら、かわいい食玩を見つけました!

ピカチュウの木漏れ日カフェ

私、ピカチュウ大好きなんですよ。
ぬいぐるみとかついつい買っちゃったりして…デザインがいいなと思います。
同じデザイナーさんのポケモン(ポケモンはデザイナーがたくさんおります)はかわいい系ばかりで見ていて癒されます。

というわけで、これもかわいくていいですね!
この食玩を作ってるリーメントって会社、10年ぐらい…もっと前かな?
あのころ、食品サンプルブームみたいなのがあっていろんな会社が、食玩で食品サンプルみたいなのを出してたんです。
食玩って安いから安いなりのクオリティのものばかりだったんですけど、ここのは頭一つとびぬけてました。
さすがに本物そっくり…ではないけど、限りなく本物そっくりに作り上げられていました。
細かな作りが他とは違ったんですよね。
表面のテクスチャーがしっかり作り込まれていて、集めるのが楽しかった。
最近は集めてなかったですが、これは可愛くて欲しいな!と思いました。

やはり、しっかり作り込んでいるところは今も残るんだなと思いました。
食玩のミニチュアサンプルといえば、ここって感じでコーナーも充実してるのを最近ホビーショップで見かけました。
この値段ならこれぐらいだろって作っているのは、案外わかっちゃうものなんでしょうか?

小さいものってかわいいですよね。
ネットで、ミニチュアのスイーツや食べ物を作っている人がとった写真とか好きで眺めています。
あちらは一点ものゆえにすごいクオリティですよね。
本物そっくりのミニチュアの横に、大きさ比較のための10円玉とか置いてあるとサイズにびっくりします。

今日発売見たいです。
ちょっとお店に行ってこようかな~

2017年6月18日日曜日

ARMSプレイ中

さて6月16日、Nintendo Switchで「ARMS」発売されました!
さっそく買ってきましたよ~
ただいま、ランクマッチに参加すべく練習中です。

ちなみに私は格ゲーは好きなんだけどまったく下手くそでガチャガチャやってるだけのプレイヤーでした。
さすがに長くやってると勝てなくなるから、とんと格ゲーからは離れておりました。
まず、コンボとかそういうのが覚えられない。
覚えようと思ってコントローラー動かしても、お手本の通り動かしているつもりなのにまったく技が出ない。
一瞬の判断を要求される、そんなゲームは好きなんだけど、判断できても対処できなければ面白くないんですよね。
そんな、格ゲーが苦手な私にもできるのが「いいね持ち」
Switchのコントローラーは分離できるので、両手に握ってまるでボクシングするみたいな直感的な感覚でプレイできるのと、覚えることは少ないからすぐに楽しめる。

とはいえ、格ゲーなのでホント難しい。
ガチャガチャやってるだけではやられてしまいます。
攻撃を読み、隙を見て攻撃…反復練習が必要ですね。
こういったアクションさせるゲームってRPGのレベルのように見た目にわかりやすい強さがないんですよね。
(もちろんアクションゲームにもレベルがあるものはありますが)
でも、だからこそ、自分自身が強くなっていく感覚がある。
そこが楽しいんですよね。

RPGですが、私がテイルズオブシリーズが好きだったのもそのため。
ドラクエのようなターン制バトルじゃなくて、ボタンに好きな技をふりわけて、見た目は格ゲーっぽいような戦闘でした。
もちろん、RPGなのでレベルがあってレベルをあげれば、ガチャガチャやっていても勝てるようになります。
ただ、やはり格ゲー的なものが好きだった私は、常に適正レベルぐらいを保てるようにやっていました。
ギリギリを演出してたんですよね。
全然勝てないときだけレベル上げって感じでした。
ギリギリで勝てると、よっしゃ!!って達成感があって面白いのです。

最近はスマホゲーをメインに遊んでいました。
キャラものだったので、好きなキャラクターで遊ぶ!ということだけがモチベーションでした。
ただ、お金をかけないとすぐに強くできなかったり、レアなキャラクターが手に入らなかったり…
なんていうか、運営に踊らされてる感を感じてしまってダメだったんですよね。
ゼルダ始めてから一切手をつけてません。
アクション系が好きな私に、ターンバトル的で、さらに自動で進んでいくタイプなんて、向いてないことは明白だったのかもしれません。
スマホゲーは息抜きにもなりませんでした。
最初はそれでも楽しいんですよね。
でも、息抜きなのに、時間に追われ、イベントに追われ、本当に運営の手のひらの上って感じで…
全てがそうとは言いませんが、本当にこのやらされてる感が嫌。
だから、最近のDLCもあんまり好きじゃなかったんですよね。
テイルズシリーズでそういうコンテンツをはじめて知ったせいでしょうか。
あれだと、以前はソフトだけで手に入っていた衣装なんかのコンテンツが、最近は有料になってて。
なんだか、金額分入ってないじゃない!なんで追加で払わないといけないのよ!って感じに思っちゃったんですよ。
運営が、開発がこっちがやりたいことを握っている。
だから、RPGで話しかけられないキャラがいるのも嫌い。入れないドアがあるのも嫌い。
全部に話しかけるわけじゃないし、入るわけじゃないけど、それを決めるのはこっち。
用意できなかったから話しかけられないなんて、お前らの都合だろ?…とか思うタイプ。
めんどくさい奴です(笑)

ランクマッチにたどり着けるよう頑張っていきたいと思います!

2017年6月15日木曜日

pixivfactoryでマスキングテープ作りました。

pixivfactory」ってご存知ですか?
イラストSNS「pixiv」が提供しているサービスで、イラストからグッズが作れちゃいます。
業者さんにお願いするとき、決まったテンプレートや形式で原稿を作って送って…という作業があるんですが、pixivfactoryではイラストをアップロードすれば作りたいグッズのイメージを簡単に作ることができるし、こんな感じにできるよとプレビューもできるので、作る気はなくても遊んでいるだけで楽しいです。

さて、そのpixivfactoryではなんとマスキングテープが一個から作れるんです。
さすがに一個だけだとお値段結構するんですが…それでも、オリジナルのマスキングテープなんて個人では作れないので作ってみたい!と思って一つ注文してみました。

出来上がったのがこちら。
綺麗に印刷されています。
潰れるかなと思った文字もかなり小さいですが読めるように綺麗に出てます。
画面で確認はできるものの、やっぱり実際に出来上がったものとは印象が違いますね。
イラストも思った以上に小さめになりました。
でも、潰れないで印刷されていて、2か月待ったかいがあったなと。
(マステは発送までだいたい2か月ぐらいかかります)
自分で工作したり手芸したりで作るのも楽しいけど、こうやって売り物みたいなクオリティで作っていただけるとまたテンション上がりますね!

ちなみに、テンプレートいらないといいましたが、配布されているテンプレートに合わせて作るとよりいい感じに作れると思います。
今回は、マスキングテープだとやっぱりループしてる方がいいよね!って思ったので、キャラクターの絵の間が均等になるようにテンプレートで調整しながら作りました。
つなぎ目になる部分がわからないですよね?
背景が複雑だと大変かな…

マスキングテープは2か月くらいかかりますが、他は10日とかのもありますので気になった方はぜひお試しください。
楽しいです!

2017年6月12日月曜日

コスプレすること

アニメやゲームのキャラクターに扮する、コスプレ。
ネットで検索するといろんな写真が出てくる。
日本人はもちろんのこと、外国人の気合の入った写真は見ていて面白い。

今日、こんな記事があがっていた。

イスラム女子の「コスプレ魂」 ヒジャブで「盛り髪」戒律を逆手

イスラム圏の女性は、髪や肌を露出してはいけない。
髪はヒジャブというスカーフで覆い隠している。
それゆえに、コスプレはできなかった。
けれども、それでも彼女たちは大好きなアニメやゲームのキャラクターになりきりたくて、ヒジャブのカラフルなカラーでキャラクターの髪の毛を表現したのだという。

ときどき、イスラム圏の方なのかどうかはわからないけれど、頭にスカーフを巻いた人たちがいるのを街で見かける。
けれども、戒律でそう決まっているのだということを意識したことはなかった。
そういうものだ、とただただ思っていただけだった。
だから、コスプレすることと、戒律を守ることを天秤にかけなければならないということがとても衝撃的だった。
私もコスプレをしたことがある。
その時は、恥ずかしさとやってみたいという気持ちを天秤にかけた。
でも、それは本人の気持ちの問題というか、心持の問題というか、そういう問題であって、恥ずかしさをただただ投げ捨てればよかっただけだった。
けれども、信仰によるものを天秤にかけることは、気持ちの問題だけじゃないと思う。
信じているものを裏切ることは、とても重たいものだから。

そういえば、近年はハロウィンなんかで仮装する人が増えた。
それゆえか、オタクたちが作り上げたコスプレのルールを知らない人も多いのではないだろうか。
知り合いと話していて、ふと気が付いた。
コミケなんかがテレビで映るようになってから、そういうイベントがあることを知ってはいても、ルールは知らない。
知っているだろうか。
コミケのような同人誌即売会でコスプレする場合、自宅から衣装を着てきてはいけないことを。
(イベントによってはそもそもコスプレ不可の場合もありますので、事前にHPの確認等が必要です)
一般人(とオタクはオタク以外の人を表現する)の前でコスプレをしてはいけないのだ。
それは自衛のため。最近は上記のハロウィンなんかもあるし、オタク、コスプレの存在がテレビでも見えるようになってきたからか、受け入れている人も増えたんだろうけど、やっぱり変わった趣味だ、何してるんだ、見たくない、と思う人もいる。
そういった批判をかわすには、わかっている人たちだけのスペースでやるのがいい。
だから、イベント会場の決められた場所だけ、と決められているのだ。
というのを、知り合いは知らなかった。
自宅から着ていったらダメなら何処で着替えるの?と聞かれたのが、なんだか衝撃的だった。
でもそれは、普段どういう風に生活しているか、それが少しでも違うだけで、自分たちの常識は常識ではなくなるということ。

はじめてコスプレして、友人にコスプレイベントにつれて行ってもらったときのことは鮮明に覚えている。
ポーズをとって人に撮影してもらうことなんて全然ないから、なんだか気恥ずかしかったっけ。
それでも、いろんな恰好をした人たちが、思い思いに撮影している、そんな空間に初めて触れて、新しい世界が見えて面白かった。
私は、その世界にはじめて入った身。
そこにいる彼、彼女らを不快にしないために、そこのルールを守らなければならない。
お互いに気持ちよく楽しむためにも。

2017年6月11日日曜日

命の軽さとゲームに関係はあるか

こんなニュース記事があった。

小学生の間で流行っている危険な“度胸だめし”。やめさせるにはどうすればいい?

子供たちが、車やバイクが走っている道路にわざと飛び出す、そんな危険な度胸試しをしているらしい。
その理由の一つが、これを書いた記者はゲームにあると書いていた。
高いところから落ちても死なない、死んでも復活できる…だからこそ、今の子供たちは命を軽く見ている。
正直なところ、まだそんなことを言う人がいるのかと思った。
私が子供の頃から、そんなことは言われていた。
子供はゲームという架空の世界と現実に区別がつかないから、簡単に死んで生き返るゲームばかりやっていたら、命を軽く思ってしまう。

確かに、ゲームの中の命は軽い。
でも、そうでなければ、何度もやり直したりしない。
最近私がやっていた、ゼルダの伝説もそうだ。
何度も死んで、やりなおし。
すぐに再開できるから、何度も挑戦してみる。
そうでなくて、死んだらもう遊べません!なんてゲームじゃ、まずほとんどの人がやらないだろう。
命の軽さは、失敗しても再挑戦しやすくするためのものなのだ。
それゆえに、ゲームの主人公たちの命は軽い。

ファイアーエムブレムというゲームがある。
最近のものは違うんだけど、昔は死んだ仲間は二度と使えないシステムだった。
そういうゲームだと、かなり慎重になる。
リセットすれば確かに生き返るのだけど、リセットしたら、はじめからやり直しになってしまう。
先述のゼルダの伝説の場合は、死んでやり直すときは直近のセーブした場所からすぐにやり直せる。
自動でセーブが行われているので、ほとんど死んだポイントに近い場所から再開できるのだ。
でも、ファイアーエムブレムの場合は違う。
ファイアーエムブレムは章仕立てになったゲームでそれぞれの章で用意されたマップ上の敵を倒していきながら城を制圧するゲームなのだが、リセットしたら再開される場所は章のはじまりから。
マップの途中でセーブが残せないのだ。
どんなにうまくいって、制圧直前でも、リセットしてやり直ししたら初めから。
やり直しがめんどくさいのだ。
めんどくさいからこそ、慎重になる。

ゼルダの伝説がどうしてそういうすぐに再開できるシステムになっているのかといえば、隅々まで探索してほしいからなのである。
ちょっと考えてほしい。
駅からある場所に向かうのに、道に迷ったり、方向を間違えたりしたら、毎回駅に戻されてそこからやり直し。
たとえ、目的地が目前にあったとしてもだ。
そういう場合、寄り道なんかもちろんしないし、決まったルートを通るんじゃないだろうか。
そうならないために、何処を通ってもいいし、再開が楽なシステムになっているのだ。

そんなゼルダの伝説だけど、ストーリー上で死んだかつての仲間たちは生き返らない。
魂となって確かに存在はしているけれども。
最初にであう、ハイラル(ゼルダの伝説の舞台)の王もいなくなった後はエンディングまで出てこない。
すでに死んでいて、魂のまま、主人公のリンクを見守っていたからだ。
主人公の死はいくらでもなかったことにできるのに、彼らの死は決してなくならない。
ハイラルの王が日記を残してるのだけど、それを読むとなんだか切なくなる。
リセットしたってやり直しがきかない死。
ファイアーエムブレムも存在する。
ストーリー上の死は覆らない。
自分の手で救える命と、そうでない命。
ゲーム上にはそれが存在している。
私は思うのだけど、ゲームというのは達成感を与えてくれるものだ。
自己効力感、自分ならできる!と思わせてくれるものだ。
それでも、どうしても覆らないものがある。
その死は重い。他が軽いからこそ、重くなる。

最初の記事に戻ろう。
子供たちが命が軽いと思うのならば、それは、現在の日本が死にがたい世界だからではないのだろうか。
死は遠ざけられ、または、美化される。
映画やドラマで描かれる死は、ドラマゆえにドラマチックだ。
もちろん、そうでないものもあるけれども。
医療が発達し、治安もよく、みんな長生きする。
死は身近にない。
命が軽いということは、死の重たさ、悲惨さを知らないということではないだろうか。

記事の記者が、ゲームに原因を求めるのと同じように、私のこれも感覚的に思っているだけに過ぎないのだけれど、そう考える。

2017年6月10日土曜日

絵が描きたくない!の理由

学生の頃の話。
教育学部の中にある美術科に通っていた私は、3年になるぐらいになるともう絵なんか描きたくない!という気持ちになっていた。
それは、周囲の学生たちの絵の上手さと自分の下手さを比べて、一向にうまくならないことを呪ったからか。
思い通りにならない自分の技術力にいらだったからか。
正直、嫌になった理由は考えなかった。
考えたって仕方がなかったからだ。嫌になろうとも、課題は出さなきゃいけないし。
ずっと絵を描いてきたので、嫌いになったことを認めたくなかったところもある。
本当は好きじゃなかったんだとか思いつつも、それを理解はしたくなかったのだ。

しかも、嫌になったくせに絵は描き続けていた。
漫画研究会に入っていて、そこでは年二回学園祭の時に部員の漫画をまとめた冊子を出していた。
部活というと、絶対全員参加!とかそんなイメージを持つかもしれないけど、ここでは自由参加。
だからこそ、入部したときは出せるものには全部出すと決めていたのだ。
頑固なもので、嫌になってもはじめに決めたそれを諦めるつもりはなかった。
そして多分、その頑固さが嫌になった理由の一つなのだと今は思う。

絵はこう描かねばいけない。こだわりといえば聞こえがいいかもしれないが、ただただ頑固にそうやって決めつけていた。
その思い込みが、自分を苦しめていた。
頭では違和感を感じながらも、決めつけたその描き方以外できない。
自分がやりたいことを、全部自分で否定し続けていたのだ。
やりたいことが何もできなくなったとき、その時きっと嫌になったのだと思う。
周囲の人間の上手さより、きっと私はその自由な発想にイラついていた。
自分で制限したくせに、なんでお前たちはそんな勝手なことをしてるんだといらだっていた。
そうなんだと思う。

子供たちは、中学生になるころに絵を描くのが嫌になるらしい。
思い通りに描けない。想像と現実とのギャップ。
教育を学んでいるとそんな言葉がならんでいたのを覚えている。
それもあるんだろうけど、私はもう一つ思う。
人が求めている(と思っている)絵と、自分が描きたいもののギャップだ。
中学生の美術部の展覧会の受付をしたことがある。
ボーカロイド、ガンダム、野球漫画のキャラクター…
そんな絵が並んでいる。
あのころは、大人はわからないと思って描いているのかしら?とか思っていた。
美術展にそういうモチーフを描くことはタブーのように思っていたからだ。
今思うのは、子供たちはそういう絵を描きたいんだということ。
でも、美術で求められるのは写実的な絵。
描きたいものは、描かせてもらえない。
何となく、子供の頃でも漫画やアニメの絵を描くのはタブーに思えた。
でも、学校の先生はどうしてかなんて教えてくれない。
とにかくダメなものはダメ。
こうやって、描きたいものを否定されたら、嫌になるのは当たり前な気がする。

他人であろうと、自分であろうと、否定し続けたら嫌になる。
描きたくなくなったのはそのせいだ。
もっと、自由なんだ。
そう、思いたい。

2017年6月9日金曜日

プラバン工作

最近、プラバン工作にハマっております。
一時期流行りましたよね。流行には後れてのるスタイル。
子供の頃に、オーブントースターで焼いて縮んでいくのを眺めていたのを覚えています。
なんだかあれって、見てると早く取り出さないとやばいんじゃ?とか思ってしまって、早く取り出しすぎて波打ってどうしょもないものになってしまいますよね。
私だけでしょうか。

最近は、じっと動かなくなるまで待ってるのでうまくいっておりますが…
というわけで、最近作ったものです。
ネットで検索してて、子ペンギンモチーフがかわいいなと思って自分でも作ってみました。
他にもちょっと見えてるのは、個人的にシルエットが好きな首長竜。
そういえば、最近テレビを見てたら、首長竜は恐竜とは違うのだと知りました。
ビックリ…
色鉛筆で色が塗れるって面白いですね。
こういうの最初に思いついた人は、どうして思いついたのでしょう?

紙やコンピュータ上のキャンバスに描くイラストの場合は、色を塗れば完成ですが、プラバンに描くと焼く作業がプラスされますよね。
この、焼いて縮めるという作業がやっかいで、思った通りに縮んでくれない。
ただ、その思い通りにならない点が面白い。
もちろん、絵を描くのにだって思い通りにならない点はあるんだけど、なんていうか、その思い通りにならない点ってほとんど自分の腕のなさ、技術の足りなさなんですよね…
うまく描けない、思った形にならない。
でも、プラバンの場合は、思った形にならないのはプラバンのせいにできます(笑)
もちろん、収縮率を調べて~とやっていけば綺麗に作れるんですが、まあ、そこまで厳密にやらなくてもいいかなとも思えるし。
調べてたって、ちょっとした違い、例えば温度だったり、画材だったりで違ってきちゃうから、失敗しても当たり前みたいな気分で臨めるので、気楽です。

技術がないのに、はじめてなのに、うまくやらなくちゃ、下手くそじゃダメだと思ってると、どんなことも挑戦できないし、一回失敗しただけでなんだか自分がダメみたいに思えてきちゃう。
だから、できることしかしない。
でも、それだと成長できないんですよね。
はじめは失敗して当たり前。
慣れてきたからって失敗しない訳じゃない。
私がイラストで息詰まるのは、なまじ描いてきた期間だけは長いせいか、こんなに描いてきたのに下手くそじゃダメだ、笑われるという気持ちが根底にあるからなのかもしれないと思いました。
失敗を恐れると、守りに入ってしまって、新しいことも受け入れられなくなってしまいます。
そうすると、辛いんですよね。
自分が変われないのに、周りはどんどん変わっていって取り残されてしまう。
変わってしまうのが怖いところもあります。
新しいものを取り入れることは、今まで自分が積み上げてきたものの否定な気がしてしまうから。

でも、人間の気分なんて1,2日で変わってしまうもの。
最近はサボっちゃってますが、ずっとノートに日記的なものを描いてたんです。
読み返すと、昨日はこう考えてたのに、今日はこれなのかとびっくりしたりします。
一貫性のない人は嫌だったけど、自分も案外コロコロ変わっていっちゃってることに気が付く。
だから、いろんなことに目がいく。
いろんなところに目がいくのに、それを抑え付けてこれしかやっちゃダメという状態になってたら、興味がわかなくなってきちゃう。
少しづつ、興味を取り戻そうといろいろやってみております。
いろいろやってみると、見えてくるものも多分ある。

2017年6月2日金曜日

トレース練習の効能

描けない…と思って二の足を踏んでいるならトレースがおススメ

と、まだ2,3枚しかやってないけど思います。
何故かというと…

まだ自分で描いたわけじゃないのに描ける気がしてきた。
からです。

以前は、全く描けない。描ける気がしない…と思っていたにも関わらず。
漫画描くときも仕方なしに書いていたにも関わらず。
なんだか、いい感じじゃない?と思ったものが描けると、トレースでもなんだか達成感があります。
いや、びっくりしました。

ただ、ただ単に線をおってトレースするだけでは、本当に描けた気分になるだけです。
だから、描きながらよく観察しましょう。
光の具合とか、壁の岩の流れとか、パースのつき方とか。
どうしてこう見えているのか、よーく観察したら多分今後に役立つはず。
直線的な感じだとパースの流れも何となくわかりやすいですよね。
床やベッドの線が消失点に向かっている感じとか何となく、わかります。
あとは、実戦。
自分で描いてみることをしないとですね。

練習のためにいろいろ写真を集めていると、アイデアも浮かびますね。
いろいろ見たり知ったりしないとアイデアって浮かばないんだなと改めて思いました。
やっぱりよくわかってないと背景は描けません。
今までは、きっと人物をうまくなることばかりに集中しちゃってたのでキャラクターしか見てなかったんだと思います。
背景があることはわかっていても、それ込みでキャラクターを見てなかった感じでしょうか。
見えていても、見てはいないってそういうことかなと思います。
みんながみんな、見ているだけでしっかり観察できているのなら技術さえ鍛えればみんなすごい絵が描けちゃうということですもんね(笑)
あとは焦らないこと。
今日明日で描けなかった人間が急に描けるようにはならないですよね。
じっくり待つ、自分のことも待てるように焦らないように。
頑張っていこうと思います。

2017年6月1日木曜日

背景練習 陰影の重要性

「背景が描けない!」

苦手意識が強すぎて、思いつきもしない。
だから、まずは描けそうな気分になるべくトレースをしてみた。
フリーの写真素材からピンときたものをDLしてトレースしてみて、ふと気が付く。

最初はざっと描こうとして、まあ、雑に描いていたのだけどなんだか雰囲気がある。
なんでだろうと思ってじっと見ていて気が付いた。
トレースするために透明度を上げていたのだけど、それでも写真自体の陰影の具合がうっすら残っている。
それゆえに雑に描いても何となく雰囲気のある感じに見えたのだ。

 線画だけだとただの雑な背景だけど…
写真をもとに陰影もつけてみたら、だいぶそれっぽく見える不思議。
今まで影を描くことの意味は何となく分かっていたつもりだったけど、今回はっきりと分かった。
陰影があることで存在感が増す。
背景を描くとき、ディテールとかパースとかそういった部分ばかりを気にしていた。
漫画だとここまで影を描き込むことはない。
それゆえ、線ばかり気にしていたのだ。
もちろん漫画を描くときにこんなに暗くしてると読みづらくなってしまうから使えないが、トーンを貼ったり、ベタを塗ったりする場合の参考には多分なる。

よく考えると(最近はデジタル化も進んだせいか、トーン多用で影が細かくつけられているものも増えたが)漫画って一番濃い影ぐらいしかついてなかった。
何故かといえば、線で囲まれているからだ。
線というのはある意味一番暗い影のような役割を果たす。
それゆえに、あまり影をつけると画面が真っ黒になってしまう。
だから、漫画を参考にしていると影の存在を少し忘れてしまうのだと思う。

それから、昔の絵、浮世絵とか日本画と呼ばれるものを見てみても、影って描かれていない。
それがなぜなのか、勉強したことがないのでわからないけれど、西洋画には影があるのに日本画にはないことはわかる。
東洋では存在を描きだすのに重要なのは輪郭線で、陰ではなかったのだろうか。
ふと、思いだしたことがある。
私は海外に行ったことがないけれど、学生時代、彫刻の教授がスペインに行った話を聞いた。
スペインの日差しは、日本と比べると強く、色彩が濃いのだと言っていた。
日差しが強いと影も色濃く出てくるんじゃないだろうか。
そういう見え方が、陰影を描きだすことをさせたのではないだろうか。

学生の頃、デッサンの授業を受けているといつも困った。
影が薄い。そして、光が壁やら床やらで反射するのでいくつも影ができていていったいどれをはっきり描くべきなんだとめちゃくちゃ悩んだ。
だから、デッサンは嫌いだった。
室内の人口の光のせいかとも思ったが、電気は消されていた。

それから、海外のドラマなんか見てると、ネットでもよく言われているのを目にするが、画面が暗い。
影がよくできる。
日本のドラマはそれに対して明るい。
照明の違い、光の当て方の違い、それもあるんだろうけど、日本人ってすべてが均等に見えてる方がいいのかなとも思う。
洛中洛外図なんか見ると、全てが均等に描かれている。
一番注目してほしい場所はよくわからない。

影を描く。
それは、西洋的な文化なのかなとふと思った。

やる気とメンタルと体調

 やる気というのは意外と体調に影響を受ける。 いや、考えてみれば当たり前だった。だって、風邪をひいてる時に、よし!何かを始めよう!なんて気にはならない。病気の時なら簡単に気が付くのに、例えばちょっと疲れてるとかそんなときはわからないものだ。 メンタルも疲れてる時は駄々落ちする。人...