2017年9月25日月曜日

そこにいないもの

写真とか映像というのは不思議なものだなと、時々思う。
すでに亡くなった芸能人が、ドラマの中で生きている。
動きが付くとより不思議に思える。
ドラマやなんかの物語のあるものだと、作中の生死とは別に、役者の人生があるわけだけど、それでもなんだか不思議な感覚を覚える。

先日、古い写真を見せてもらった。
まさに、戦中って感じの出征前に集合写真を撮ったかのような写真。
詳しくは聞いていないから見た絵から想像するしかないのだが、戦争がなくてももう戦後70年以上たってるし、そこに写っている人で生きているのは数えるほどだろう。
それに、70年も経っているのだから姿かたちはすでにそこに写っているものとは変わっている。
二度と撮れない写真。
写真は一瞬を切り抜くのだと改めて思う。

さて、何で上に猫の写真を載せているのかというと、この猫もう亡くなってしまっているのだ。
めんどくさがりなものだから、写真はSDにしまったまま整理をしない。
こうして、何か載せる写真ないかなと探しているとふと目についた。
ふわふわした感触、なんとなく思いだせる。
ああ、こんな猫いたっけな、なんて思いだすのだ。
もうその姿を見ることは叶わないはずのいないものが、この写真の中にはいる。

最近は写真が手軽になった。
スマホでパシャリと撮ればいい。
容量もいっぱいだから、気にせず撮影できる。
だから、気がついたら何千枚と保存されている。
手軽だから気楽だ。
でも、その写真は見返すのだろうか。
指でざーっとスクロールして、目当ての写真だけ見つけたら、あとは知らない。
手軽になって気楽になって、思い出は重たくなくなった。
データのまま、消え去っていく。

データは表からは全く見えない。
開いてはじめて見えてくるものだ。
スマホの薄っぺらい外観の中に、何千と写真が入っているなんて気づかない。
ありすぎて、そう、思いがけない瞬間は消え去る。
欲しいものにしか目がいかない。
欲しいもの目当てのもの、それ以外のものを視界から綺麗に外す。
そこにあるのに、そこにいないものになる。

手軽になって気楽になった。
でも、その一枚一枚はもう二度と撮れない。
簡単に消えていくものになっていっていいのだろうか。

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