2016年10月18日火曜日

面白きこともなき世を面白く

「面白きこともなき世を面白く」とは遠い昔に生きたお侍さんの言葉だとか。
面白いと思えることがない世の中を面白くしよう、みたいな言葉だ。

実際、この時代を生きていると感じる。

テレビはニュースだけが流され、新聞も同じようになったこの世界。
けれども、動画配信サイトだとか書籍配信サイトだとか、そこでお金を得ずに個人が思い思いの情報を配信することは自由で簡単になった。どんな情報を流しても、犯罪につながらなければ問題はないのである。
けれども、その中で面白い、自分に合ったものを探すことは、かなり大変だ。皆がみな、何かを伝えたいのだけれど、それが他人にとって面白いかどうかはわからない。玉石混合、そして、誰かにとっての玉が自分にとっても玉かどうかはわからないということだ。
その有象無象の中から、楽しいものを見つけられたときの感動はひとしおである。

仕事がなくなり、今まで敷かれていたレールがなくなり、学校を卒業した後は荒野に投げ出される
かのようになったこの世界で、ただ待っているだけでは誰も楽しみを与えてはくれない。
そんな中で機械は、クリエイティブな部分だけ労働としないで人間に残したのである。彼らがやろうと思えば、いくらでも素晴らしい作品を生み出すことができるのは数十年前にすでに証明されていた。それでも人にそれらを残したのは、まあ、クリエイティブな仕事というものは、狙ってブームを作ろうと思えば作れても、それでもどれぐらい当たるかとかそういうことを予測がしづらいみたいで、それを商売にするのもめんどくさいらしい。それなら、お金が得られないのに勝手にやってくれる人間たちに任せた方が効率的だと考えたのである。

人々は労働がなくなったので、賃金を得ることもほぼなくなった。けれども、何か形として報酬を得たくなった。だから、クリエイティブなことをはじめた、と言ってもいい。
お気に入りに入れられた数とか、そういうのが、私たちの新しい報酬になったと言ってもいい…新しいかどうかはわからない。ずっと昔から、そういう評価制度はあったので。こういう時代になったから、全ての人々にとっての報酬になった、ということは間違いないが。

ちなみに、最初に紹介した言葉には続きがあるようだ。
「面白きこともなき世を面白く すみなすものは心なりけり」
軽く調べたら、高杉晋作という人の言葉だったようだ。幕末という時代を生きた人。遠すぎてよくわからないけれど、その言葉には共感できる。
面白いと思えることがない世の中を面白くしよう。面白いか面白くないかは心の持ちようだ。
そういう意味だそうだ。
つまらない、つまらないと言っているよりは、何か楽しいことを見つけようと思う方が、きっと見つからなくても楽しい。そんな気がする。

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