2016年10月18日火曜日

学ぶ

仕事をすべて機械がやることに最後まで抵抗したのは教育者たちだった。
機械に教育することはできないというのが彼らの主張だった。
けれども、今すべてを機械がやるようになって、そんなことやったことがないからわからないだけだったのだと気が付く。

むしろ、どこで暮らしてもどんな学校に行ってもみな同じ教育が受けられるのだ。教師の質が問題ではなくなったのはいいことではないだろうか。教師とてかつては人だった。歳を重ねれば頑固になる部分だってあるだろうし、若さゆえの経験の無さだってある。けれども、教えられる子供たちにしてみたらそんなことは関係ない。子供にとってその1年は、たった一度きりである。それなのに教師の質に左右されていたようじゃむしろ可哀想な気もする。

それに、大人たちも仕事をする必要がなくなったので、自宅で子供たちに教えるようになった。勉強はもちろんのこと、自分たちの趣味や家のこと、子供の頃遊んだ遊びなど、いろんなことだ。調査によればかつての時代よりも親子の会話が増えたとかそんな結果が出たようだ。まあ、仕事をする時間が無くなって、子供が寝てしまってから帰宅するとかそういうこともなくなったのだから当然と言えば当然なのだが。

子供たちは、自分の知らないことを知っている大人たちを尊敬するようになった。教師が機械になったことは人間にとってプラスだったと個人的に思う。機械はなんだって知っている、それは当たり前。逆に大人たちが知らないことがあっても、それは人間だから当たり前。それでも、子供という自分たちより物知りな大人たちなのだから尊敬されるのだ。尊敬されるのは心地よい。少子化の問題が解決に向かっているのは、経済が安定しただけではない。

とりあえず、今はとても楽しい。

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