2016年10月16日日曜日

自己実現

先日、人の欲求について少し触れた。
衣食住が保証され、社会に所属することを許された人々が、次に求めるのは自己実現だとか認めてもらうことだとかであるということだ。

だから、人々の趣味というものは誰かに評価されたい、評価されて有名になりたいというものが多いように感じる。
仕事する必要がなくなり、自己実現できる場が趣味の世界にしかなくなったのだ。
しかし、趣味の世界というものはくくりが大きく、そして、世界は広い。
会社に所属していたら、そのくくりは思うほど大きくはないのだと、昔の会社のHPを見つけて思った。どんなに大きく立って、中身はいくつもの部署に分かれているのだから、その中で評価されたり何かを実現することは、大きく出なければ案外可能なのだと思う、多分。

けれども、今の私たちにとって趣味の世界は広すぎる。とくに、気軽に始められるものはほかの人だって気軽に始めるのだから、それだけ多くの人がやっている。その中で評価されることはなかなか難しい。
もちろんみんな、妥協点を見つけた。自分のレベルとか自分のやりたいこととかでくくりをどんどん小さくしていく。そうしてみんな、かつての頃のように評価されやすい場を作りだす。そうしていなければ、欲求不満で精神的に潰れていくから。
昔のように、何か一つ生活の軸つまり仕事があって、そして趣味を持っていたのならそんなことはなかったのだと思う。仕事で嫌なことがあれば趣味で発散する、趣味でうまくいかなくても仕事があるから心に余裕ができる。そういう、相互関係が成り立っていた。

だから、最近はみんなさらに考え始めた。そもそも、趣味が一つだなんて誰が決めた?趣味はたくさんあればいい。評価されるために何かを極めなければいけないと思って、みな一つに絞っていたけれど、それじゃ逃げ場がない、そういうことに気が付いたのだ。
かつての仕事のやり方がいつの間にやら、遺伝子にまでしみついていたらしい。
歴史の教科書で読んだ話だが、かつての世界では多くの人は仕事は一つしか持たなかったらしい。別のことをするのは副業とか言うのらしいが、規則で禁止されてたりとかしたらしい。職業選択の自由は何処に行っていたのかしら。さらには、仕事人間なる、仕事のために生き、趣味さえ持たない人がいたらしい。その人たちは、何かミスをしたりして逃げたくなったときどこへ逃げたのだろう?

私はとりあえず、絵を描くことにした。紙とペンさえあれば、描けるもの。
他の趣味は…あとで考えよう。

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