2017年5月6日土曜日

ゲームでしか描けない物語「バテンカイトス」

「バテンカイトス」というゲームをご存知でしょうか。
2003年にGCで発売されたRPGです。
GCで発売されたので、やったことがない人の方が多いんじゃないかな…
PS2だと読み込みが遅いから発売できなかったんですよね。
おかげでマイナー作品…いやでもこれがあったからこそ、モノリスソフトが任天堂に来て、ゼノブレイドができたわけなんですけど。
PS2で出ていたらいろんな作品の中に埋もれて、気が付かなかったかもしれないし。
新規作って子供だった私には数あるソフトから選んだのに面白くなかったら?と思うと買えなかったけど、テイルズオブデスティニー2についていたアンケートハガキを送ったところ、夏ごろにナムコから体験版が送られてきて、そのカードゲームっぽい戦闘システムが面白くてこれは買いだ!と購入した思い出のゲームでもあります。
Switchで配信されないかなーと密かに思っております。
というか、3を開発してたりしてませんか!?

さて、このバテンカイトス。
このゲームはストーリーはゲームならではという感じに作られています。
小説や映画、アニメとは違う、自分で操作してこそというストーリー展開。
どういうことか、説明していこうと思います。
ネタバレを含むので一応注意。

プレイヤーとキャラクターの関係

ゲーム上で操作するキャラクターはたいていの場合、プレイヤーの分身ですよね。
キャラクター付けが濃いものに関しても、感情移入できるかどうかは別としてゲーム上でプレイヤー自身の代わりにゲームの世界に触れる存在です。

ところがこのゲームにおいては明確にプレイヤーの存在が設定されています。
プレイヤーは主人公であるカラスという青年を操作しているのですが、カラスは決してプレイヤーの分身ではありません。
このゲームの世界には精霊という存在がいます。
プレイヤーはこの精霊という登場人物の一人になるのです。
プレイヤーは、精霊憑きというこの世界でも珍しい精霊の声が聞こえるカラスについている精霊という設定になっています。

ゲームを進めていくとき、カラスは何度も精霊に助言を求めてきます。
他のゲームで「はい」「いいえ」と選択肢を選ぶ場面が出てきたとき、それを選ぶのはプレイヤ―ですがゲーム内では主人公たちが選択したという体で話は進んでいきますよね。
でも、このゲームの場合は精霊である自分自身が選んだことになるのです。
面白いのが、ストーリー上で選択肢を選ぶ場面があるとカラスは必ず画面のこちら側を見るように正面を向きます。
画面の向こう側からこちら側へ問いかけるように。
まさに、このゲームのプレイヤーとキャラクターの関係は、ゲームを遊んでいる姿そのものなのです。

この設定の作り方こそ、ゲームにしか描けない物語なんだなと思いました。
こちらの操作に対して反応が返ってくるゲームだからこそ、描ける物語です。
漫画やアニメの場合は、こちらに関係なく話は進んでいきますから。

また、キャラクターの設定もうまい。
カラスは斜に構えたキャラクターなので、人助けも周りに言われたから嫌々やるような、自分の目的一番なタイプ。
だから、はじめはプレイヤーの選択とカラスの考えてることって一緒じゃない。
物語中盤、決定的に違っていたことに気が付く場面がでてきます。
なんと、彼に裏切られ、ゲームの世界から追い出されてしまいます。
画面が真っ暗になってしまうので、え?これどうすんの?終わり?と思ったのを覚えています。
その後、他のキャラクターが呼び戻してくれ、いろいろあってもういちど彼と旅をすることになるわけですが…
だけど、だんだん遊んでいくうちに感情移入して、カラスの選んだこと=プレイヤーの選択になっていく(ただし、全員がそうとらえられるかどうかは定かではありませんが)
ストーリー後半になっていくと、それまで何でもかんでもこちらに聞いてきたカラスがだんだん自分でこうしたいとこっちに聞かないで決めていくようになるんですよね。
でも、世界を救いたいというようなそういう思いで動き出したので、私としては彼の選択に違和感がなくむしろ一緒に戦っている仲間としてその選択を尊重したい、そう思えるようになっていました。

でも、ラストであれ?と思うわけですよね。
感情移入して、精霊とカラスという別々の存在だった関係がいつの間にか、他のゲームと同じくプレイヤー=主人公になっていたのに、やっぱり違うことに気が付く。
選択肢が減っていたとはいえ、一応こちらに大事なことは聞いてきていたのに、ラストでは逆に自分の選択に同意を求めてくる。
エンディングでは、こっちの世界はもう大丈夫だから、お前の世界で頑張れ、つまり現実で頑張れと手をふって別れる。
漫画やアニメでも、楽しんだ作品はもっとその世界を知りたい、見てみたいと思うものだと思います。
ゲームでも、終わった後もその世界でこのキャラクターはこういう風に生きていてと想像するのが楽しい。
でも、このゲームでは登場人物の一人だった精霊=プレイヤーはその世界にはとどまれずに追い出されてしまうのです。
さわやかーに終わるんだけど、なんだか、寂しさがつのったのを覚えています。
漫画やアニメでも、キャラクターがまるでこちらに問いかけているかのように終わらせる作品もありますが、このゲームの場合はっきりプレイヤーに向かってしゃべってるんですよね。
なんだか、舞台の挨拶のように横並びにキャラクターたちがならんで、エールを送るかのように一言一言。
現実逃避的に遊んでいたものだから、せっかくのエールがなんだか痛かったのです。
もっとそこにいて良いと言って欲しかった。
そんな思い出の作品です。

プレイヤーという存在をはっきりと定義した、そして定義できるゲームという媒体だったからこそ、紡げた物語だったなと今でも思います。
双方向性のあるものだからこそのストーリー。
ゲームにしか描けない物語がそこにありました。

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