2017年5月22日月曜日

私が絵心教室を続けられない訳

絵画教室とかイラスト講座とか受けたい!なのに…

そういう思いがあれば、絵心教室というソフトはかなり魅力的なはずなのだけど、どうしたわけか途中でやめてしまう。
学生の頃、はじめてこのソフトに触れた時、なんでこういう風に教えてくれなかったんだ!と思ったのに。
私が知りたいものを教えてくれる、ステキなゲームだったのに。

とはいえ、やはり続けられない人は多いらしい。
まあ、高い授業料を払って通信講座を受けても続けられない人がいるのだから、きっとそういうものだと思うことにする。
とはいえ、なんだかもったいない。
逆に、何があれば続けられそうか?を考えてみた。

評価が欲しい。

これに尽きるのではないかと、私は思っている。
このゲームには、たいていのゲームにある行動に対する結果への評価がない。
たいていのゲームは、例えば敵を倒すという行動をした場合、レベルや技術が低ければ敵に敗北する=失敗という評価がつくし、勝てば成功、うまく戦えばよりいい評価がもらえるようなゲームだってある。
それに対して、絵心教室は出来上がった作品に対してゲームの側が評価をしない。
これは初心者や一度嫌になって辞めた人に対しての作りであると思う。
初心者でもそれなりに描ける題材を用意しているのは、自分でもここまで描けるんだという達成感を味わってもらうため。
見本には及ばないけどなかなかうまく描けたぞ!と思っているのに、ここはもっとこうした方がいいなんて言われたら、うまく描けたと思ったのに…とちょっと嫌になる。
もう一つは、手順を示していても、自由に描けることが評価することへの障害となる。
先生はこう言ってるけど、僕はこうしたい、なんて思って生徒がやったことを絵画教室の先生だったらうまく評価できるんだろうけど、ゲームというのはプログラムでできているのだから、相当、人がどういう手順を踏むか?何をしようとするか?を考え組み込まない限り、お手本と似たような絵が描けなければ、プログラム上失敗と評価する以外ないのである。

でも…

評価が欲しいのだけど、酷評されるのは怖い。
怖いというか、下手だ下手だと思っているからだろうか、もう全否定されるビジョンしか浮かばないのだ。
多分まだ、批評されることに慣れてなくて、アドバイスぐらいのものが欲しい。
そう思っているのだと思う。

このゲームをやって、そして、どうして学校ではこういうことを教えてくれなかったのだろうと思う人は、多分、もっと技術的なことを教えてほしい人たちだったと思う。
遠い昔の記憶でしかないが、図工や美術の授業って、自由に描きなさいと言われるのが大半だった気がする。
そして、アドバイスもない。
ただただ、学期終わりに理由がわからない通信簿の評価を受け取る以外ないのだ。
アドバイスが欲しければ聞けばいいと思うかもしれないけど、何を聞いたらいいのかさえわからない。

対策

できることは、そういうものが欲しいのなら、とにかくネットにあげることだ。
仲間で集まれるのなら、実際に集まって見せ合うのだっていい。
とにかく、見てもらって、コメントを貰えることが一番だ。
改善点を自分で見つけられればいいけど、案外難しい。
客観的視点を持つことは、難しい。

まあ、でも酷いことを言われることがあるかもしれない。
それが怖くてできない人だっているだろう。というか、それが私だし。
怖さを払拭できる場があればいいのだけども…

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