2017年5月23日火曜日

「描きたいものがない」

絵を描こうと白い紙を前にして(もしくは画面にキャンバスを用意して)意気込んでみたものの何を書こうか悩んで時間が過ぎる。
もしくは、何となく描きだしていつも書くものと代わり映えのない何かが出来上がる。
そんなことってないですか。
描きたいものを描けばいい、というけれど、その描きたいものがないんだよと思うわけで。
こういう時どうしたらいいかネットでちょっと検索なんかしたら、落ち込むばかり。

称賛されるために描いてるんだろ?だから、本当は絵を描くことなんか好きなんかじゃないんだ。

そういうコメントが書かれている。
だから、本当は好きなんかじゃないのかな…なんて悩んでいた時期もあった。
今も描き続けているけれども。

さてさて、どうして描きたいものがなくなるのだろう。
描き始めたころはきっとたくさん書きたいものがあったはずなのに。
いろいろ理由があるのだろうけど、いくつか考えてみた。

まずは、他人の目を気にすること。
ほら、称賛されたいんじゃん…確かにそうかもしれない。
けれど、他人の目を気にするのは何も称賛されたいからだけじゃない。
絵を描くということは、己の内面を露わにするような行為だ。
反映していないと思っていても、少なからずそうなのだ。
他人との交流があれば、人にどのように見られているのか気になる。
やっぱりいい人に見られたいと思ったりする。
それが作品にだって適用されるのだ。
批判されたくない。
だからこそ、人の気に入りそうな題材で描く。
こういう風に描いているとき、気に入ってほしい人が少人数ならまだ大丈夫なのだけど、ネット上のあらゆる人に嫌われたくないとなると難しくなる。
好みなんて千差万別だからだ。
そうなると、何も描けなくなる。
しかも、誰かを基準にしていると、もっと困ることがある。
人の好みというものは変わるのだ。
昨日まで好きだったものが今日はあんまり…なんてことだってある。
その人の中にはそうなるプロセスがあったのだからわかるけれど、常に24時間一緒にいるわけじゃない他人である自分にはなんでそうなるのかわからない。
なんで、なんでと思っている間に、開き直って自分が好きなものを描こうとすると、自分がわからなくて結局何一つ描けなくなる。
だから、描きたいものがなくなる。

もう一つ。
似たようなものだけど、これは描けない、あれも無理、と今の自分のレベルで描けるものしか書かないようにしていたために、難しい題材を思いついても描けないからはじめから思いつかないように無意識にセーブしていることだ。
誰だってはじめは描けない。
でもだからって、半年後、1年後にも描けないのかと言ったら、それはわからないのだ。
練習すれば描けるようになるかもしれない。
でも、練習しないで今の自分に描けるものだけ描き続けていたら、無意識にもそれ以上を描こうなんてしなくなる。
たまに思いついても、無理無理と諦める。
そして、今の自分に描けるものは描きつくして、飽きて、描きたいものがなくなる。

上で上げた二つにある共通点。
それは、禁止していることだろう。
他人に好かれたいがために描くとき、それが自分の好みと一緒ならばいいのだけど、対して好きじゃない場合、そしてそれがあまり受けなかった時、私は思ったのだ。
せっかく好みの絵を描いてあげたのに。
自分が好きなものはセーブして、描いたのに。
頼まれたわけじゃないのに、そんなことを思ってしまう。
何故なら、描きたいものを描くことを禁止していたからだ。
もう一つも描けないものは描かない。それ自体が禁止だ。
だめ、ダメ、駄目、とやっているうちに、いろんな思考が禁止されていく。
だから、「描きたいものがない」状態になる。

そこから抜け出すには、多分、上手い下手も、誰かに好かれることも気にしないで描ける環境が必要なんだと思う。
否定されない、全部受け入れてもらえる。
そこならば、のびのびと描けるはず。

禁止はやめよう。
禁止してきたのなら、逆に考えたらいい。
まだ、やれることがたくさんある。
いろいろやってきたのに、まだできない…なんて悩んでいる人とは違う。
やってこなかったことが多いなら、まだ、できる。

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