2017年2月23日木曜日

聖闘士星矢のCG映画「聖闘士星矢Legend of Sanctuary」

2014年公開「聖闘士星矢Legend of Sanctuary」

昨年の年末に「聖闘士星矢セインティア翔」がアニメ化!というニュースが流れました。
それで、聖闘士星矢ってまだやってるの?と思った方もいるのではないでしょうか。
(もちろんなんか聞いたことあるけどそれなに?って思った方もいるでしょう)
この記事では紹介しませんが、「セインティア翔」というのはアテナの侍女である聖闘少女(と書いてセインティアと読む)の少女を主人公にした派生作品です。
他にもいろいろ派生漫画、アニメがありまして、原作者が続編も現在連載中(といっても、不定期連載なので今はお休み中。次回は夏の予定)
30周年を迎えた今もなお、いろいろ作品が作られていることはすごいなぁと思います。

さて、そんななか今回紹介したいのは2014年に公開されたCG映画です。
個人的には、派生作品の中で一番好きな作品です。
聖闘士星矢の中でも一番人気のエピソードだという「十二宮編」を90分で楽しめちゃいます。
聖闘士とは何か、小宇宙とはなにかも作中で説明してくれるので、今までよく知らなかったけどちょっと気になるという方にお勧めしたいなと思う作品です。
リアルなCGだと個人的に表情が乏しいイメージがあったんですが、監督さんがディズニー映画が好きらしく、かなり大胆に顔を崩してくるので本当に表情豊か。
セミリアルというそうですが、リアルっぽくありつつアニメっぽいグラフィックがファンタジーな世界観にマッチしていたと思います。
それから、キャラクターの細かい動きも見どころ。
実写ですと、クローズアップされるキャラクター以外もその場その場にあった演技を俳優さんたちがしていますよね。そういう感じで、画面に映っているキャラクターたちがみんな細かく演技しています。
アテナが傷ついた星矢を癒すため、その力を使えば自分も苦しむのに力を使おうとするシーンがあるんですが、顔も映っていないキャラの指先が一瞬止めようとして動くんですよね。
セリフのないそういう瞬間にもキャラクターの心情があらわれていて、何度見ても気づきがあるのが面白い。
また、CGで描かれる聖域は、原作のギリシャ神話の神殿とはガラッとイメージを変えて、西洋のお城のような雰囲気だったり、天井に水面があるかのような波紋が映し出される美しい空間だったり、個性豊かできれいに描かれていて、そういった装飾や雰囲気を眺めるのも楽しいです。

セインティアにも、ここで登場するキャラクターたちが姿は違えど登場するので気になっている方はぜひどうぞ。



と、

まあ、

おススメしといてなんですが、


セインティア見るときは「Legend of Sanctuary」でのキャラクターは忘れた方がいいです(笑)
まず、セインティアでは「黄金聖闘士蠍座のミロ」というキャラが主人公を導くキャラクターとして出てくるんですが、映画では性別から違います。
原作は男性なのに、映画では女性です。
「蠍座の女」といいたいのでしょうか…
公開までほぼ性別を伏せられていたと思います。声優さんのインタビューとかニュース記事で女性であることがわかってしまったときは、もう、いろいろ言われてたのを覚えています。
綺麗なカッコいいお姉さんなんで、ステキなんですけどね!
静かに放たれる必殺技にしびれます。

聖闘士の世界って原作だと、女性は守られるものなんですよね。
女性聖闘士もいるんですが、男としては女性に拳を向けられないとかいう世界。
それゆえに、聖闘士の最上級職である黄金聖闘士に女性がいることは受け入れがたいのかもしれません。
いや、でもカッコいい女性聖闘士ですよ。
終始、主人公を圧倒しますし。

あと、多分一番問題なのが「黄金聖闘士双子座のサガ」かと思います。
何というか、これまで星矢の文脈になかったことを映画でやってのけたのです。
これは実際見てほしいので詳しくは申しません。
とにかく、彼の最後にやったあれは原作にも派生にもなかった文脈。
なんか、やられた!と思いました。
実は好きなキャラクターだったので、見終わったあと、こんなのどうすんだよ…と思いながら劇場をとぼとぼ出ていきました(笑)
先行上映で見たので、ネタバレも全くないままに見たものですからそうなるとは知らなくて。
でも、何度も見た今ではその今までになかった展開が好きです。
聖闘士星矢の単行本を読んでいるとそう来るか!?という展開があるんですが、その予想の斜め上をいく発想こそが、星矢を星矢たらしめている要素だと個人的に思っているので、映画のそれもその一つだと。

予想の斜め上をいく展開をお楽しみいただき、セインティアアニメに備えてくださいませ。

牧場物語2がついにVCに!?

「牧場物語2」がついにVCに!…でも

ネットでニュースを見ていたら、ついについに、Wiiの頃から待ち続けていたN64のVCに「牧場物語2」が登場するというニュースが!
でも、でもですね…

海外だけなんですよこれ…
(こちらのニュース記事にて紹介されています)

※7月11日追記:日本でも配信開始です!やったー!

実はこの「牧場物語2」は、記事中にもありますが2010年にこのソフトの移植は難しいといわれて、VC化を否定されていたソフトなんですよね。
だからこそ、それでもいつかきっとと願いつつも半ば諦めていたんです。
けれど、ついにそれが実現可能になったことはとてもうれしい限りです。
いつかきっと日本でも配信してくれると信じています。
信じたいです。
もう一度あの世界観に浸りたい…

あのころに牧場物語をやったという人は多分「牧場物語 ハーベストムーン」の方が印象深いのではないでしょうか?
「ハーベストムーン」はPSで発売したソフトなので(あのころはPSが主流)
対して2はニンテンドー64で発売されたので、プレイヤーの数は比べれば少なかったと思います。
でも、それでも、VC化を期待する声も大きかったわけで、だから海外で不可能だと答えるインタビューがでたのだとも思います。

プレイヤーの数は少なくとも、20年近く前のソフトでありながらそこまで愛されるソフトって素敵だなと思います。
創作する身としては、そうやって長く愛される世界観やキャラクターを生み出せることは本当に憧れますね。
「ハーベストムーン」の方は私やったことないので何も語れませんが、2はホント大好きで何度も遊んだゲームです。
ほのぼのしつつもどこか物悲しさを感じさせる世界観が、子供心に響いたんではないでしょうか。
キャラクターたちのセリフやイベントなどいろいろ凝っていまして、シンプルなグラフィックが逆に想像をかきたててくれる、そんなゲームでした。

その村にあった牧場を営んでいた人の孫が主人公なんですけれども、住民たちは歓迎しつつもどこかドライな感じで、そこから仲良くなっていく。
それをセリフであらわしていているんですが、最近の強いキャラ付けではなくてなんだか自然で、その世界に生きているようなそんな感覚を味あわせてくれたゲームです。
リアルなグラフィックでもなければ、かといってアニメ調に装飾や細かい部分が描き込まれたグラフィックでもないのに、世界が生き生きしている。
私がイラストを描くうえで、見る分には描き込まれた絵も好きなんだけど、自分で描くならとにかくシンプルに描きたいと思うのは、こういうシンプルなグラフィックでもキャラクターたちが生き生きと暮らしている様を見ていたからなんじゃないかなと思います。

とくに好きなキャラクターは、ブドウ園の娘である「カレン」
わかりやすくいうと、いわゆるツンデレキャラですね。
結婚できる候補のキャラでもあります。
はじめは、花屋の娘の「ポプリ」が可愛らしくてふんわりしていて仲良くしたいなと思っていたのですが、ゲームをしていくうえで「カレン」とも交流してるうちに彼女が好きになっていました。
「ポプリ」もはじめに見た印象とは違った面をプレイ中に気づかせてくれます。
他のキャラクターたちもそう。
表面的なキャラ付けはみんなシンプルだと思います。
結婚できる女の子は5人いますが、キャラをみれば可愛い系、家庭的、元気っ子、ツンデレ、引っ込み思案と分けることができます。
でも、シンプルだからこそ、芯の強さとか家族を持つことの憧れとか、そういった面が活きてくる。
そう、思っています。

それに、心を開いてくれた、そういうセリフを言ってくれた瞬間は、お祭りやなんかのイベントもある中でも、ずっと印象に残りますね。
何でもない、ただ、ゲーム的には友好度がその域まで達した、それだけのセリフなんだけど、セリフ回しがいいから、何気ない日常の出来事も印象に残ります。
日常の何気ない幸せを感じさせてくれる、そんなゲームです。

日本でもできるようにならないかな…

2017年2月21日火曜日

原作にいない「ドラえもんズ」

何日か前、ショッピングモールの中を歩いていたら意外なところで懐かしい名前を聞いた。
父親と小さな女の子が歩いていて、どういう会話をしていたのかはわからないのだが「それはドラメット三世」なんて言っていたのだ。
私はびっくりして、スマホで「ドラえもんズ 復活」なんて検索してみていた。
結局そんな情報はなかったが。

何故、そんなことを検索したのか。
そもそも「ドラえもんズ」って何?という人が多いと思う。
でも、90年代後半に子供時代を過ごした人にとっては、思い出深い存在である方も多いのではないだろうか。
ドラえもんズとは、その期間にしか存在しなかったドラえもんの友人たちだ。
毎年恒例の春休み映画で同時上映された短編映画で活躍した彼らに私は夢中だった。
けれど、彼らのお話が語られたのは2002年が最後。
その後、ドラえもんの声優がかわりリニューアルしてからというもの、その存在はなかったことになってしまった。
だから、小さな女の子の口からドラえもんズの一人である「ドラメット三世」の名前が出てきて、ついつい復活を期待して検索していたのだ。

彼らは原作には登場しない。
一番最初に登場したのは、私はやっていないからよく知らないのだが、ドラえもんのゲームだったらしい。
ドラえもんの6人の友人たちは、それぞれ違う国、違う時代に暮らしている設定だった。
アメリカのドラ・ザ・キッド。
中国の王ドラ。
ロシアのドラニコフ。
ブラジルのドラリーニョ。
スペインのエル・マタドーラ。
サウジアラビアのドラメット三世。
普段は別々に暮らしている彼らが、仲間のピンチに駆けつける。
そんなお話が好きだった。

でも、彼らは原作に登場しないものだから、古くからのファンには不評だったらしいのを後になってネットで知った。
ドラえもんズは原作者の藤子不二雄先生がデザインしたわけではない。
ゲームのためにデザインされ、先生の了解は得ているものの、そんなことは関係ないみたいで、ドラえもんの色違いばっかりで、お話のテイストも違う。そんなものは認められない。そういう感じだった。
原作者が嫌っている、なんて言っているのも見た。

とはいえ、彼らが登場する短編映画が作られたころ、まだ先生は生きていた。
それに、いろいろ作られたドラえもん誕生の設定を整理してこれが決定版と作られた「2112年ドラえもん誕生」にも彼らはドラえもんの同級生としてほとんどモブのようなものだが存在している。
ドラえもん誕生の映画は、まさに先生が起き上がりこぼしをヒントにドラえもんを思いつくところから始まる。
そんな映画に登場しているキャラクターをそこまで嫌っていたとは個人的には思えない。
まあ、これは、私がドラえもんズを好きだからそう思いたいのかもしれないけど。

かつて、インタビューでドラえもんズについて一つ先生が言っているのを読んだことがある。
これは自分では思いつかない。こういうのが新しいドラえもんなんだね。
そんな風なことを言っていた。
これをもしかしたら嫌っているととらえたのかもしれないけど、私はこれを読んで好意的に受け止めたんじゃないかと思った。
ドラえもんズという今までドラえもんの文脈にいなかった存在を提示されることは、きっと先生の創作に刺激を与えてくれた…んじゃないだろうか。
それを確かめるすべはないのだけど。

これから書くことは私個人の事なので、偉大な作家に当てはめるのはどうかと思うのだけど、好意的に受け止めたと思う理由なので書いておきたい。
学生時代、絵画の授業で出来上がった作品について他の学生に感想を貰うというものがあった。
こういう時、自分の意図していたものとは違う意見がよく出るものだ。
自分の意図が伝わらないことにやきもきしたし、なんでわからないんだなんて思っちゃうこともあったが、でも、違う意見を聞くとそういう見方もできるのかと新しいヒントを貰った気になった。
それが、次の作品に繋がることもよくあった。
一つにしか見えなかった作品の世界を広げてくれたように思う。
だから、先生もきっとドラえもんに新しい解釈を加えてもらったら刺激になったんじゃないかなと思うのである。

とはいえ、原作にないものを作者でない人に勝手に加えられて嫌な気持ちもよくわかる。
アニメ化されてオリジナル要素を入れられて、これを入れたやつは原作をわかってない!なんて思うこともやっぱりある。
好きなものが、好きだったものとは違う何かに変わってしまうのは恐ろしい。
それはなんだか、自分が好きである気持ちを否定されたかのような、それはもう、古い、受けない、面白くないと言われたかのような、そんな気分じゃないだろうか。
それゆえに、違うものに反発したくなる。
ただ、面白かった小説未読の映画化をあれは違うと言われたり、ドラえもんズが違うと言われたり、そんなことばかり言われていたら、好きなものは好きなんだからしょうがないじゃないかといいたくなってきた。
だから、それは違う、こっちが正しいというのではなく、ここが面白いんだよと紹介できたらいいのにと感じている。
どっちの立場だって、楽しんでいるものを、好きなものを否定されたら、もう一方を好きになれって言われても気分悪いだけだから。

2017年2月19日日曜日

「死ネタ」に思うこと

先日海外ドラマの「クリミナルマインド シーズン8」を見ておりました。
WOWOW入ってないので、スーパードラマTVで見てるものだから今頃シーズン8です(笑)
まあ、それは置いといて。
先日やっていたのは「死小説」というお話でした。
この話では死小説という字のごとく、人が死ぬ小説を描く人たちが登場します。
それも、ネットやなんかで見つけた実在の人(ドラマの中の人をこういうのはなんだかおもしろいんですけど)を題材に描くわけです。
しかも、嫌いだからではなく好意をもちながら。

さて、私はこの話を聞いて、ふと二次創作で行われているものの一つである「死ネタ」を思い出しました。
死ネタというのは、読んで字のごとく、キャラクターが死ぬことをネタにした二次創作です。原作において生きているか死んでいるか、そもそも死があるような作品であるかどうか関係なく。
私が昔聞いたのは「死にネタ」だったんですが、最近は「死ネタ」というみたいですね。どういう風に目にしたかと言いますと、作品の説明とかもしくは冒頭に書いてあるわけです。「死ネタ注意」と。基本的に、注意書きでよく見る単語でした。

基本的に二次創作を読む人たちは、その作品やキャラクターが好きで読んでいるわけですよね。
それなのに好きなキャラクターが死んでしまう物語を読んでしまったら…やっぱり嫌だと思うわけで、だから注意書きが必要なのです。

それに、死ぬ話を書くってそのキャラクター嫌いなんじゃないか?と感じたりしませんか?
クリミナルマインドのお話を見ても、他者に好意を抱きながらそれを殺してしまう妄想をする彼らは異常に映ります。でも、例えば、嫌いな人間がいてどうしても許せなくて、その人に何か嫌なこととか不幸なことが起きればいいなとちょっと思ってしまうことってありませんか。そうなんです。嫌いな人間に対しての好意ならば、少しはわかる面はあるもの好きなキャラクターに対しては何故そうするのかはわからないんです。
同人というのは、少なからず同じものが好きなもの同士で交流したいという面があると思います。
だから、好きなキャラクターが一緒だと思って作品を読んだのに、実は嫌いだった。騙された。
そんな気分になるものだと思います。
それに実際、ヘイト同人と言って、私は触れたことはないのですが、嫌いなキャラを痛めつける同人もあるみたいで、死ネタというのはそれと同じようなものと感じる人がいるのもしかたないことです。

と、まあ、いろいろ書いておいてなんなのですが、私は「死ネタ」が好きなのです。
二次創作でストーリーのあるものを描き始めたのはここ2,3年ぐらいなのですが、それまでストーリーを妄想しなかったわけではありません。
ただ、死ネタを嫌いな理由もわかるから、見せることがためらわれていました。
それでも続けてしまうのは、やっぱり好きだから。
クリミナルマインドを見て、異常に描かれた彼らの行動に少しだけ共感してしまう部分もなくはない。

ただ、時々考えるわけです。どうして「死ネタ」をやりたいのか。
それを考えると思い浮かぶのが「牧場物語2」です。
牧場を経営する時間に追われつつも、のんびりとした雰囲気の町で暮らすゲームです。
そういうのんびりした世界の中で、ある一人の老婆の穏やかな老衰による死は、他のどんな物語の死よりも私の中で強烈に残っています。

物語の中の死というのは、ある意味、ストーリーを盛り上げる要素を盛っています。
そのためにそこに至るまでを丁寧に描写したり、その死を嘆き痛み、そこから死者の遺志を継ぐ決意をしたり。意味のない死と思われるものも、作品世界の不条理さを表すための意味があったり。

でも、その老婆が死ぬことはストーリーを盛り上げるものではありません。
何故なら、牧場物語2にはRPGのように決まったストーリーはないのです。
目的はあります。死んだ祖父が残した荒れ果てた牧場を3年で立て直す、できなければ牧場はあきらめろという父との約束のもとに主人公は牧場経営を始めます。
その生活の中で様々なイベントが起こります。
女の子と仲良くしたり、住人たちの起こすハプニングに巻き込まれたり。
そういったイベントの中の一つに老婆の死があるのです。
では、なぜその死が強烈に残っているのかを考えると、それが主人公、つまりプレイヤーにとっての物語の一部になるからだと思います。
製作者が用意したイベントという点を、プレイヤーのプレイという線で結ぶ。こうしてプレイヤーの数だけ、プレイした数だけ物語が紡がれます。

もう一つ印象に残った理由は、遺族である孫娘の嘆き悲しみと周囲の住人の温度差。
決して周囲の住人が冷たいわけではありません。
小さい町だから祖母のことはみんな知っていますし、慕われていたこともセリフから感じられます。
でも、やはり一緒に生活していた孫娘の悲しみと周囲の人間の悲しみには違いがあります。
孫娘は祖母がいなくなってしまった、別れに対して嘆き悲しみます。
周囲の人間は、その孫娘の悲しみに寄り添おうとしたり、思い出を懐かしんだりします。
また、小さな子供は人が死ぬということに恐怖を覚えています。
アニメや漫画といった媒体ですと、死は主人公や周りの仲間の感情がクローズアップされやすいじゃないですか。
とくに仲間の死なんて、嘆き悲しみ、そこを乗り越えていくというのが王道ではないでしょうか。
そういう激しい感情を目にするのが多かった。
それゆえ、子供の頃にこのゲームをやった私にとって、ある意味物語の外側にいる人間の感情というのはなんだか新鮮に思えたのです。

そうやって感じた「死」の強烈さを何とか表したいのかもしれないと考えています。
死に対する温度差、距離感、ある出来事に対して感じる、それぞれの立場で変わる意味…そういうものを表したいなぁと。

世の中理解しがたいことはいろいろあると思うし、私にだって理解できないことはいろいろありますけど、こういう人もいるんだなぐらいに思っていただければ幸いです。

2017年2月16日木曜日

「好き」に名前をつけたい

アニオタ、ゲーオタ…名称は数あれど

アニメが好きな人をアニメオタク、ゲームが好きな人をゲームオタク…と好きな人をひとくくりにする単語はたくさんある。
ただ、アニメ、ゲームじゃくくりが大きすぎて何か違うと思う時もある。

鉄道好きの鉄オタがいい例だ。
鉄オタの中には、乗るのが好きな乗り鉄、写真を撮るのが好きな撮り鉄などなど、細かい分類があったりする。
アニメやゲームにだってきっと細かい分類があるのだろう。
一つの作品が好きなら、それのオタクを名乗るわけだし、ゲームだったらRPGとかアクションとか…つまり好きにもいろんな属性やジャンルがあるわけです。

さて、こういう属性やジャンルで困ったことがある。
同人誌即売会に参加するときだ。
二次創作で同人誌即売会に参加すると、誰と誰がくっつくのかというカップリングというもので分類されるようで、募集用のフォームにもそれを書くようにと書いてある。
正確には、カップリングかメインで扱ってるキャラかオールキャラ。
記入するのに一番の難関がこれだった。
なんて書けばいいのかさっぱりわからなかったのだ。
好きなキャラはいる。
しかし、自分が描いた漫画を今まで思いだしてみてもメインになっていると言っていいのかは定かではなかった。
かといって、オールキャラと言うには登場するキャラは少ない。
結局オールキャラというやつで申し込んだものの、なんだか釈然としないのであった。

「キャラクター」が中心であること

多分二次創作をする人の大半は好きなキャラクターがいて、その好きなキャラクターの姿をもっと見たくて描いているのだと思う。
私自身、だからこそ描いているのだとそう思っていた。
好きなキャラはいっぱい描きたいのだから。
でも、実際漫画を描いてみると…一番好きなキャラが全然登場しない漫画を描いているのである。
それは、漫研で一次創作をしていたときの癖みたいなものかなと初めは思った。
漫画のためにキャラクターを作ると、やっぱりお気に入りみたいなキャラは一人二人できてしまう。
そういうキャラはついつい設定もめっちゃ盛ってしまうから、私はあえて登場を減らすようにしていた。
だから二次創作でもそうしてしまうのかなと。
二次創作で同人誌としてまとめるとなれば、やはりキャラクターが好きな人が買いに来る。
意識して好きなキャラクターを中心に描いていこうとしたんだけど、なんだかとんでもなく苦痛だった。
なんでこんなにまとまらないんだろうってぐらいにまとまらない。
オチが見えてこない。

そもそもだ。
実をいうと、キャラクターを中心に添えようとネタを考えても思いつくことがなかったように思う。
このキャラのこういう姿が見たいとかそういうのがあまりない。
カップリングだって、原作でそれっぽいわかりやすい描写がないもの以外はくっつけるという発想が生まれないので、このキャラといい感じになったらいいなというのはない。
じゃあ、どうやって漫画のネタを考えていたのかと言えば、確かに発想の大本はキャラクターなのかもしれないが、そのキャラクターがどんなキャラクターで、どんな世界で暮らしていて…というのを考えているときにネタが思いつく。
そうやって思いついたネタの方がすんなり描けた。

世界観萌え

世界観萌えというのがあるらしい。
何となくこれが一番しっくりくる。
そういえば、RPGでは道行くNPCに話しかけまくったし、土地土地で変わる村の様子や風景を眺めるのが好きだった。
雪深いところだから、ストーブが完備されているとか、砂漠地帯だから涼し気な家具が置かれているとか…
アクションゲームでは、個性的なそれぞれのステージを眺めているのが大好きだった。
スーパードンキーコングシリーズなんて山や海や空、工場や地下のマグマなど様々なテイストがあっておもしろかったのを覚えている。

キャラクターとそのキャラクターが生きている世界というのは互いに干渉しあっている。
その世界で生きているからこそそのキャラクターがいるのであり、そのキャラクターであるのはその世界で生きているからと考えられる。
好きなキャラクターがいるからこそ、その世界を知りたい。
そういうタイプなんだと思う。

でも、自分でやっておいてなんだが、分類してああそうなんだと思うと、今度はでもここに当てはまらないぞ…?と言うところが気になってくるわけで。
だから、一向に自分の「好き」に名前が付けられない。

いろいろ悩んでいる今日この頃。

2017年2月10日金曜日

海外ドラマを見よう

最近は海外ドラマを見ることが多くなりました。
ケーブルテレビの契約で、海外ドラマ専門チャンネルも見られるようになったからでしょうか。
親が日本映画より海外映画!というタイプだったので、自然とテレビを占有する親の見ているものを見ていたら海外のドラマも見るようになりました。

もともと、ドラマよりアニメ派って感じだったので、日本のドラマはあまり見てませんが…
最近はアニメも見なくなってもっぱら海外ドラマ!って感じ。
テレビが居間にしかないもので、アニメを見ているとまだそんなもの見て…と言われるのでなんだか見づらくなったというのもありますね。
(そのくせ話題になってる「君の名は。」とかは見たいようです。まったく理不尽…)
最近は、ネット配信なんかもあるから見ようと思えば見れるんですが、個人的に映像はよりデカい画面で見たい!というのがあります。
小さい画面だと細かいところが見えないんですよね。
せっかく製作者の込めたものが見えなくなってしまうのは寂しい。
というわけで、もっぱらテレビで見られる海外ドラマばかり見るようになりました。

日本で見られるのはあちらで人気のドラマ

もちろん、海外ドラマがすべて素晴らしいわけじゃない。
でも、つまらないドラマはあんまり日本には入ってこない。
わざわざ権利を買って放送するわけですから、ヒットしないものを選ぶ理由もない。
つまり、すでにあちらで評価された面白いドラマを選び放題なんですよね。
日本のドラマはこれから評価されるもの。
それに、たまたまテレビつけっぱなしで一話を見たとかじゃないと、私は連続視聴しないんですよね(笑)
俳優とか脚本家とかで視聴を決めるタイプじゃないもので。

ちょっと関係ない話ですが、あるドラマが好きだって言ってたら、今度それの主役だった女優のドラマやるよって教えてくれる人がいました。
○○っていう俳優が出てるから見るってタイプは多いんでしょうか?
多分、ジャニーズとかをメインに持ってくるようなキャスティングが多いのもきっとそういうことなんだろうと思います。
そういう人にはわからない感覚なのかなと思いますが、俳優が好きなのではなくてその俳優が演じたキャラクターが好きであり、また、そのドラマで描かれた世界観が好きで見るんですよね。
何となく、同じドラマでも視聴してる観点が違うなと感じたお話でした。

好きになった海外ドラマもたまたま親が見ていたのを横から見ていたら面白かったというのが多いです。
そういうタイプの視聴にも海外ドラマはうってつけ。
何せ日本のドラマと違って長い。
人気がでないと打ち切りというのもありますが、人気作ばかりだから長くやっているものばかり。
途中から見始めても大丈夫なんですよね。
それが視聴理由です。

海外ドラマのアニメっぽさ

海外ドラマの脚本作りを以前ネット記事で読んだことがあります。
複数の脚本家が脚本を持ち寄って一番面白いものを採用する…なんてこともあるらしい。
そういう作り方をしていると、まずはキャラクター設定というのを作らなければなりません。
キャラクターを共有できていないと、なんか前回と今回でキャラが違う…なんてことが起こってしまいます。
でも、それゆえにそれぞれが結構わかりやすいキャラクターになってたりしますね。
そこがアニメっぽいと思うのです。
刑事ドラマが好きでよく見るんですが、そういうドラマだと役割もはっきりしている。
途中から見ても、どういう役割なのか、どういう立ち位置なのかわかりやすい。
「クリミナルマインド」はメインで捜査する捜査官が何人もいるんだけど、数回見ればだいたいキャラクター像はつかめました。
刑事ドラマという題材が役割をはっきりさせやすいというのもあるんでしょうけれど。
日本でも、長くやってシリーズ化しているドラマは刑事ドラマばかりですし。

では、何故日本の刑事ドラマを見ないんだということになるんですが、舞台が日本だからです。
海外ドラマにアニメっぽさを感じるのは、舞台が海外だから。
舞台がアメリカと言うだけで、いつも見ている風景とは違う世界になるわけです。
日常をテーマにしたアニメもあるけど、アニメってだいたいファンタジーみたいな世界感。
異国と言うだけで、普段とは違うファンタジー。
そんな風景を見るのが楽しいのです。
あと「グリム」というドラマがあるんですけど、これはもうファンタジーです。
グリム童話を題材にした刑事ものという時点でファンタジーです。
毎回、普通の人間じゃない化け物がでてきてそいつらの犯した犯罪を捜査していくドラマ。ほとんどアクションみたいな感じだけど一応昔の書物や仲間になってくれた化け物たちの助言によって犯人を見つけ出します。
かけられるお金が違うので、日本でやったら多分しょぼくなってしまうんですよね。
映画にならないとあのクオリティで作るのは無理かなーとぬ~べ~の実写化ドラマみて思いました。
それをドラマでやれるのも、海外ドラマの魅力かなと思います。
海外という私には異世界の部分もあって、作り物にも実在感を感じられるのがいい。

個人的に好きで見てるのは「クリミナルマインド」「NCIS」「グリム」「メンタリスト」「ワンスアポンアタイム」です。
他にも、テレビでやってると見てしまうのは「ボーンズ」とか「エレメンタリー」とか。
あと「シャーロック」も見たり。
たまに見るだけだと、人間関係がかわってたりするんですよね。
喧嘩したとか、死に別れちゃったとか、異動したとか。
それも面白かったりします。

「ワンスアポンアタイム」はディズニーが作ってるドラマで、おとぎ話の住人が呪いで現代にタイムスリップしちゃった話で子供向けっぽいんですけど、なんだかおもしろかったので見ています。
白雪姫と赤ずきんが友達だったり、同じ世界で暮らしているので人間関係が新たにできてて面白いのです。
アナと雪の女王のキャラがそのまますぎて好きですね。でもシーズン4だけの登場…
映画になかったエピソードは公式なんですかね。
他のキャラはディズニー映画とは違う感じなのにアナ雪だけはそのままなんでちょっとそこも面白い。

今はレンタルも充実してますので、機会があればぜひご覧くださいませ。

2017年2月9日木曜日

好きなものは偶然に出会いたい

流行は追わない

漫画やアニメ、ゲームに置いて何においても選ぶ方法は偶然の出会いというのを大事にしている。
子供の頃にはもちろん周りで流行っているものだってやってみた。
あのころはポケモンが流行っていた。
もちろん私も遊んだ。
ミニ四駆も、ベイブレードもやった。好きだった。
流行を追わなくなったのはいつ頃だっただろう。
ファッションの流行というのは、こういうのを流行らせようとすでに決まっていると聞いたころからか。
実生活でアニメや漫画に触れることが少なくなっていたときに、テレビでこんな作品が流行っていますと言われても、子供の頃にポケモンが流行っていたときと違って実感が伴わなくなってきたころか。
多分、流行が誰かの恣意的なものとしか思えなくなったからだと思う。
趣味で好きなものぐらい自分で選びたかった。

偶然に出会った「牧場物語2」

偶然の出会いを大事にしたい、もう一つの理由は偶然に出会った作品がとても思い出深い作品だったこともある。
子供の頃、ゲーム誌をたまに買っていた。
たまに、なのは近所に本屋などなく、つれて行って貰った時にだけ買っていたからだ。
そしてたまたま手に取った雑誌に紹介されていたのが、「牧場物語2」というゲームだった。
そのゲームには女の子たちと仲良くなって結婚できるシステムがあったのだが、雑誌で仲良くなる過程を日記風にして紹介していたのを読んだとき、なぜか無性に欲しくなった。
そして、たまたまもらった臨時収入をそのゲームに使ったのだ。

ハマった。
親がでかけているときを狙って、昼ご飯を食べることもやめて一日中遊んでいたときもある。
そんな思い出が偶然に出会うことを求めさせるのだ。

アンケートに答えたら送られてきた体験版「バテンカイトス」

当時「テイルズオブデスティニー2」というゲームが発売されていた。
ちょうどそのころ、以前からテイルズシリーズをやっていた同級生が同じ美術部に入っていた。
文化祭で配るしおりに好きな絵を描くことになって、テイルズのゲームの取説を持ってきていた。
それが多分はじめて知ったところだ。
ゲームが好きなのだけど、私は任天堂のハードのゲームばかりやっていたのでそのころはPS系で出ていたテイルズシリーズを知らなかったのだ。
ちょうど同じころ、GCにテイルズシリーズを出すと言ってインタビューを受けた記事が載ることになり、だんだんやりたくなってきた。
それで、ちょうど出たばかりのテイルズオブデスティニー2をやったのである。
(2からでも気にしなかったのは牧場物語2が牧場物語をやっていなくても問題なかったからだろう)
今はネットでのアンケートが主流だが、当時はパッケージにアンケートはがきが同封されていた。
何かグッズがもらえると書いてあったのだと思う。
それならとハガキを送った。
それで送られてきたのが「バテンカイトス」というゲームの体験版だった。
雑誌で読んでタイトルは知っていたが、癖のある感じのキャラデザに苦手意識があったのとカードゲームっぽいシステムがよくわからなくて、買うつもりはなかった。
でも、せっかくもらった体験版。やらない理由はなかった。

そして、結局発売日に買うことになる。
クリアするのには9年ぐらいかかったが。
(途中で詰まってそこで断念。数年ののち、何となく今ならクリアできると思いたって再開してクリアした)
体験版をやっていなかったら、よくわからないままだったカードゲーム風の戦闘がかなり面白かった。
また、時間経過に応じて手持ちのカードに変化があることが面白い。
バナナが腐って行ったり、花束が枯れてしまったり。
卵がニワトリに、桃からいつの間にか桃太郎が生まれていたり。
変化が楽しかった。
自分で変化させることもできるが、狙っていくにはカードがランダムに出てくるから大変だ。
でも、例えばキュウリと蜂蜜を組み合わせたら…?なんてやってみてメロンができたら達成感があった。
とにかく、デッキに入れるカードの組み合わせで、いかにランダムに出てくるカードをコントロールできるか?いかにコンボを狙えるか?考えるのがとても楽しかった。

読んでいた雑誌で見つけた「絢爛たるグランドセーヌ」「AIの遺電子」

今も買っているチャンピオンREDという雑誌に連載されているバレエ漫画、それが「絢爛たるグランドセーヌ」
聖闘士星矢という作品にハマって、それで新しい派生作品がはじまるから(アニメ化が発表されているセインティア翔のこと)その前に読み切りを載せるということで買った雑誌に、一話が載っていたのが出会いでした。
バレエなんてやったことはありませんし、見たこともありません。
でも、私は雑誌に載っている作品はとりあえず一通り目を通すようにしてるので、この作品も読みました。
そして、もちろん星矢の派生も楽しみにしてるんですけど、この作品も毎月楽しみにするようになりました。
絵を描くということをしていたせいもあるのでしょう。
バレエと絵の違いはあれど、表現するということに真摯に立ち向かう主人公の姿に、表現することの意味とかそういうものを感じました。

同じく聖闘士星矢の続編を読むために買ったチャンピオンに載っていた「AIの遺電子」も面白い。
一話完結で、SFなんだけどそういう知識も前後のつながりもわからなくても面白い。
考えさせてくれる作品というのはいいものです。
すっきり終わるのもいいけれど、なんで?という部分があるとその作品について考える時間が長くなる。
長くなるとその分心に残るわけです。

好きなものには偶然出会いたい

最近の作品は偶然出会おうにもなんか長さが足りないというかなんというか。
ドラマも海外ドラマをよく見るようになったのは、日本に入ってくる海外ドラマってだいたい人気作ゆえにすでにシーズン2、3あったりして、それにシーズン1も2クールぶんぐらいあって、たまたま気が付いてみても残り話数が結構まだあったりする。
アニメにしてもドラマにしても、初めから興味があって録画なりなんなりしてないと後で見返すのも難しいんですよね。
と、思うと逆に初めから見る気がなくなるというか…
昔は、テレビで無料で見られるからこそアニメもたくさん見てたんですが、最近は漫画の方がよく見ますね。
もちろん連載作品は打ち切りとかもあるけど、そういうのは気にしません。基本的に雑誌読まなくて単行本で買うので。
じゃあ、ジャケ買いするのかというとそうでもない。
どこで選ぶのかというと、ゲーム雑誌とかまた読まない人はお堅いイメージしかないのかもしれないけど新聞とかエンタメ情報として漫画も載ってたりするんですよね。
そこの紹介記事を読んで面白そうと思った作品を買ったりします。
「放課後のカリスマ」という作品は紹介記事を読んで買いました。
ラストへの展開、終わりにちょっと不満がありますがかねがね面白かったです。

偶然に出会いたいから知ってる作品は少ないけど、他人と共有できないことが寂しい時もあるけど、でも、それでも楽しいものは楽しい。

「マジカルバケーション」という作品がありました。
魔法学校に通う生徒たちの冒険のお話です。
当時まだ小学生か中学生ぐらいで、皆がやってるゲームってFFとかDQとかそういう人気のゲームでした。
だから、好きなのに、面白いのに誰も話し相手にはできないんですよ。
こういうゲームが好きだという話はできても、内容については共有できない。
そんな寂しさを紛らわせてくれたのはネットとゲーム雑誌でした。
ネットで探せば同じゲームが好きな人がいる。
それが嬉しかった。
ゲーム雑誌の方はちょっと特殊でして、任天堂系の雑誌なんだけどPSとかセガとか、はたまた全然ゲームと関係ない話題さえも許される読者投稿欄があって、その自由さに癒されていました。
同じじゃなくていい、決められ枠なんてない。

多分流行を追いたくないのは、そういうものに同調圧力みたいなものを感じちゃう部分もあるのかもしれません。
趣味ぐらい、好きなようにしたい。

偶然の出会いを楽しんでみませんか?

2017年2月5日日曜日

会員制スポーツクラブと公営ジムに行ってみた。

運動不足だなぁ…

私は休みは自宅でゴロゴロ…基本的にインドアである。
どこか行きたいなぁとか思いながら、思うだけで一日が終わるのである。
そんなものだから、運動だってしない。
運動することの恩恵はテレビやらなんやらで紹介されるから、やっぱり何かしないとなと思うわけだが、一人だとスポーツを始めるのってなんだか億劫。

そんな私に機会が訪れた。
会員制スポーツクラブの無料体験チケットを貰ったのである。
無料なのだから行ってみなければ。
期限が決まっていたのもあって、さっそく行ってみた。

綺麗な館内、様々なプログラム

流石は会員制スポーツクラブ。
施設も新しくて綺麗でいろんなものがそろっている。
使わなかったがプールも完備。
もちろん、ランニングマシーンとか筋トレ器具とかなんでもそろっている。
時間があわずに体験しなかったが、ヨガとかエアロビとかそんなプログラムもあって多くの人が参加していた。

運動なんて久しぶりだった私も、トレーナーの指導も受けられて安心してトレーニングできた。
汗なんてなかなかかけない人間だと思っていたのだが、40分ぐらいやっただけでシャワーを浴びないと帰れないと思うぐらいに汗もかけてすっきり。
そうそう、その施設は個室のシャワー室だけでなく広いお風呂もついている。
流石は月に6千円から7千円を払って通える施設だと思った。

しかし、そう、やはり金額が気になる。
月会費ということは、月に何回行ってもその値段というお得さがあるのだが、逆に言うと全然行かなくてもその会費を支払わねばならないということなのだ。
懐が気になる私は、市民体育館にあるジムにも行ってみることにした。

市営のジムにいくことでわかる高い金額の意味

市営のジムを利用するには講習会を受けなければいけないらしく、予約して講習会を受けてきた。
使い方を教えてくれるのかと思いきや…なんと15分ほどのビデオを見て終了である。
まあ、それで今後安い値段で使えるのだからよしとしよう。

ただ、やはり値段の安さというのは機具やトレーナーの有無にあらわれているように思えた。
まず、スポーツクラブにあったものに比べたら古さが目立つ。
そしてトレーナーが常時いるわけではない。
私が一番気になったのが、室温。
室内だからそこまで寒いわけではないのだが、スポーツクラブは運動するのに適度な温度が保たれていたのを改めて実感する。
ランニングマシーンやエアロバイクで同じような運動をしても、全然汗をかかないのである。
温度って重要なんだな…と思った。

とはいえ、市営ゆえにとにかく安い。
さらに市民ならば市外の人と比べると半額なので魅力的である。
ただ、今回更衣室を使わなかったのであるかどうかわからないのだが、シャワールームがあるのかどうかが気になる。
今回は汗を全然かかなかったけれど、気温が上がってくれば室温も上がり汗もかきやすくなるはずなのでそのまま帰るというのは嫌だなと思った。
講習会を受けたので今後は自由に使えるということだから一度見に行かねばなるまい。

値段を気にしないのならスポーツジムがいい

やはり環境が整っているのはスポーツジムだと感じた。
私は受けなかったが、有料で丁寧に使い方を教えてくれる初回講習というのもスポーツジムではあったようだ。
ビデオで見るのとは違って、きっとトレーナーが機具を使いながら教えてくれるに違いない。
時間も1時間とか書いてあったし。
受けなくても、常にトレーナーが室内にいるので聞くことも簡単だ。
それにやっぱり、室温が適度に保たれているというのは魅力的だと今回感じた。

そもそも運動不足を解消したい理由

ただ、私は運動不足を解消したいのは、運動不足によって頭の回転が鈍くなってるんじゃないか?とか、もっと運動することで発想も豊かになるんじゃないか?とかそういうのを期待しているだけなので、とりあえずは公営のジムに時々通って鍛えてみることにする。
もっと必要を感じてからスポーツジムも視野に入れたいと思う。

いろいろ言ったがどちらも運動した後は気分がすっきりしてなんだか視界も晴れ渡っている気がする。
運動する効果を感じている。
続けていけるように、頑張りたいと思う。

2017年2月3日金曜日

自己流漫画の作り方

他人の漫画の作り方が知りたい

漫画を描いていて詰まると、ついつい漫画の描き方とか物語の作り方とかそんな記事を求めてネットを検索してしまいます。
どうやったらうまくまとめられるのか、どうやったら面白くなるのか…
ストーリーを組み立てるのって難しい!
何度やっても難しくて、途中でやめたくなってしまうこともしばしば。

そういえば、皆さんいったいどうやって漫画を描いているのでしょうか?
検索すると出てくるのは分析したりした方法論とか、講師をやってるとかそういう人の記事だとか…もちろんそういう記事だって役に立つんですけど、ふとどうやって趣味の人たちは描いてるのか知りたくなりました。
Twitterなんかでも、タグで自分の漫画の描き方とか小説の書き方とかを紹介してたり、分類されたものを選んだり…そういうのありますよね。
やっぱり、物を作っていると他人のやり方って気になるものなんでしょうね。
というわけで、人にこういうことを聞くときはまず自分から…だと思うので、文章にしてみようかなと思います。

自己流漫画の作り方

1.キャラクターを作る

私が漫研で漫画を描いていたとき、まず初めに作るのはキャラクターでした。
こんなお話にしようかなと朧気に考えておきつつ、クロッキー帳にこんなキャラクター描きたいなとデザインをします。
デザインをした横に性格とか、おぼろげに考えておいたお話に合った設定とかを書いておきます。

私三面図を描くのが好きなんですね。
キャラクターの正面、横、後。
テイルズオブシンフォニアというゲームがありましてキャラデザを載せた本も発売されました。
そこに、アニメにおこすため、アニメーターさんが描いた三面図が載っていてなぜかそれが気に入ってしまって。
RPGとかのゲームだと、キャラクターって正面より背中から見ることが多いんですよ。
それゆえか、背中から見た時のデザインっていうのも結構重要で背面をデザインするのに凝ってた時期もありました。
だから、三面図が好きでした。

話が逸れました。
デザインとか設定を考えてると、だんだん世界観も固まってきます。
こういうキャラクターが暮らしているのはどういう世界か、という方向に作っていくわけです。
逆にそうやって考えた世界から、こういうキャラクターもいるんじゃないかとか、こういう設定があってもいいんじゃないかとか思いついたりもします。

2.いきなりネームに入る

そうしてキャラクターとか世界観を固めていくと、お話も出来上がっていきます。
そしたらいきなりネームを描きます。
趣味でやっている方は割とネームから描いちゃう人も多いのでは…と思います。
もちろんきちんとプロットを描く人もいるでしょう。
私も、話がうまくまとまらないのはプロットを描いていないからなんじゃないか?と思ってプロットを描いてみたこともあるのですが…やめました。
何故かというと、プロットは文字で書いていたのですが、文字で書いたストーリーが漫画にならないんです。
漫画で絵を入れて描いているとプロットで描いたのとは別の方向に行ってしまうんです。
こりゃ、書いた意味がない。そう思って結局いきなりネームを描くのに戻りました。

ネームの作り方ですが、いろいろあると思うんですが私ははじめから順番に描いていきます。
結末を何となく考えておいたら、あとはそこへ向かうように描いていくだけ…なんですが、だいたい初めに考えていた結末にはたどり着きません。
いつも不思議ですが、その結末にどうしてもしたいわけじゃないからむしろどうなるかを楽しんでたりします。
ストーリー展開に悩んで悩んで、そんなときに考えてもなかった発想が浮かぶときがあってそれが楽しい。
自分でやってるのに、そう来たか!とか思っちゃう瞬間です(笑)
ストーリーにすると、流れて行っちゃうから別段そう来たか!みたいなことにはならないので読者にはわからないんですけど。
そうやってネームを作ります。

3.原稿を仕上げる

あとはもう原稿用紙に描き上げるだけです。
下書きしてペン入れして…
個人的にベタ入れるのが好きというか、黒々したコマを入れるのが好きでした。
背景スカスカでも気づかれないから(笑)
だから、キャラデザでは必ずベタを入れる場所を上半身に入れることにしていました。
バストアップばっかりなんで上にベタ入れないと意味がないから。
こんなことしてるから背景が描けないままなので笑えないけど。
締め切りより早めに仕上げるんで描く時間はあるんですけどね、個人的に人間にトーン貼るのが嫌で。
人間って複雑な形してるし、登場回数も多いじゃないですか。
トーン貼りだしたら全部にトーンを貼らなきゃいけない。
細かく切るのが非常に嫌だった。
それゆえにカケアミとか横線とか引きまくった。
多分トーン貼るより時間かかってる(笑)
それでもカッターで切り取るよりはストレスにならなかった。
そうして漫画が完成するわけです。
見栄えだけはスカスカしてない。

こんな感じです。
こんな感じで仕上げておりました。

定期的に描くこと

漫研の漫画冊子は参加自由だったんですが、出せるなら全部出したいと参加できるものは全部参加しておりました。
そうやって定期的に描いてるといいことがあるんですよね。
自主的にたくさん描ける人は関係ないんですけど、やっぱり描いてないと描き方がわからなくなるんですよね。
これは、卒論書くときも言われました。
長文を書く訓練をしてないと、いざ書けと言われても書けないんだと。
だから、自分は一日一回はメールとか書類とか長文を書くようにしていると教えてくださった方がいます。
それは自分でも実感しました。
一回論文を書いたんですが、数か月何も書かないでいたら全然書けなくなってたんですよ。
あの時あんなに書いたのに!?って思いました。
漫画も同じでした。
漫研に入って定期的に描いてたときは20Pぐらいの漫画も描けてたのに、趣味として5Pぐらいの短い漫画ばかり描いてて、さあ、同人誌用に長い漫画を描こうって思っても全然描けなくて。
ストーリーさえも思いつかないんですよね。
定期的に描いてたときは、いったん頭の中でネーム切ってそれを描きだして修正…なんて最後の方はできてたのに、今は思い浮かばないからとにかく手を動かすしかない状態になってしまいました。
定期的に仕上げることは大事だなと思った次第です。

2017年2月2日木曜日

2000字書くのに苦労した私が3日で一万字書いた方法と物語の組み立て方

2000字のレポートが書けなかった私

学生の頃というのは、何かとレポートを書かされるものだ。
授業の内容についてとか、題材を調べてきて書けとか…
文系の学部ではあるものの、文章を書くというのがことごとく苦手だった私にとっては何を書けば2000字に到達するのかさえ分からなかった。
(文系といっても、美術系でもあったので絵に描くならまだしも文章にすることが大の苦手だったのでした)
本を広げて書いてみると、気が付けば本の文章を切り貼りしたような文章になっていたり、それはまずいと書き直せば、今度は文字数が足りなかったり。
とにかく文章が嫌いだった。
けれども、そんな事情など関係なく課題は出され…
なんと一万字を書かなければならなくなってしまったのだ。

悩みに悩んでいたら締め切り3日前になっていたあのころ

まずレポートの題材が決まらなかった。
一万字という今までにない文字数の前に尻込みしていたのである。
何を書けばそんなにたくさん書けるんだ?
そればかり悩んでいたらついに締め切りが目の前になってしまったのである。
2000字書くのにも苦労する私が、どうして三日で一万字を書けるというのだろうか。
頭を抱えた。

しかし、ふとあることを思い出した。
趣味で、ある映画の感想を書いた時のことだ。
なんだか1~2時間ぐらいで結構長めの文章を書いたような…

こういう時PCで打ち込んであると便利である。
Wordにベタリとその映画の感想をコピー&ペースト。
なんと、1日かけてようやく無理やり一つの内容について2000字書いていたはずの私が、1,2時間程度で2500字ぐらい書けていたのである。
自分でもびっくりした。こんなに書けていたとは。

ここで、趣味の内容だからはやく書けたんだと思っていたらレポートの提出期限を通り過ぎていたことだろう。
しかし私は、どうしても締め切りは守りたかった。
だから、何故書けたのかを考えることにした。

1.文章を書く前の準備

映画の感想を書こうとしたとき、レポートを書くときと同じくいきなり文章を書こうとした。
そうすると、映画の内容をただただ打ち込むだけになっていた。
映画は一時間半ある。ずっと細かく筋を書いていったら、長い文章になってしまう…とその時は考えた。
そう、長い文章を書くつもりはなかったのである。
そう思った私は、まずアナログな方法に出る。
ノートに、映画の内容を事細かく書いていく。
時系列通りに思いだせるものではなかったので、とにかく思いだしながらノートに記す。
そうすると、思いだしたと同時に気が付くこともあるのでそれも一緒に記して置く。
それを延々と書きつづけた。

2.自分の考えを書く

思いだせるだけ思いだしたら、ざっとノートを見返す。
そうすると、また気が付くことがある。
見ているときには気が付かなかった二つの描写の関連とか、作品のテーマとか、そんな感じのものだ。
それも、いや違うだろうとかそんなこと考えないで書きだす。
とにかく、書きだすのだ。
そうすると、気が付けば何を書けばいいのかがはっきりしてくる。
書き出すテーマがはっきりしてくれば、必要な描写とか調べるべきものとかもはっきりするのだ。

3.アナログなノートの効能

うまく使えるのならPCとかスマホとかでもいいと思うけれど、私はノートに書いた。
何故なら、思い付きでごちゃごちゃ書けるからである。
言葉にうまくできないなら図を書くのも簡単。
手で書き出してみると、また違う見方ができたりする。
また、書くものはボールペンにしておいた。
書いたら消せないが、違うなと思ったことも消さないでおける。
あとで見返すと、やっぱりこっちの方がよかったと思い起こせるのである。

あとは、テーマに沿って書くだけである。
そうしたら2000字以上書いていた。

レポートが書けないのは準備の足りなさからだった

それまでは時間がないからと、本を読みながらレポートを書いていた。
読みながら書いていると、本の中の文章に引っ張られてしまう。
自分の考えも頭の中だけで構築していた。
そのせいか、本の文章に対しての受け答えのような、そんな考えしか思い浮かばなかったのである。
それゆえに2000字さえも書けなかったのだ。

つまり、文章を書く準備を怠っていた…ただそれだけだった。
文章なんて誰だって書けると思っていた。
小中学生の頃の作文なんて、その場でテーマが出されてその授業中に書かされることがほとんどだった気がする。
だから、頭の中にあるものをひねり出して書いたものだ。
それゆえに、文章を書くのに準備がいるなんて恥ずかしながら大学生になるまで気が付かなかったのだ。

あのころ一万字書いた方法

まずはテーマを決める。
さいわい卒論に関するものから選べとのことだったので、そこから近いものを適当に考えてテーマにした。
とりあえず書くものが決まらないとどうにもならない。

私はこの時計画を立てた。
一日半を使ってテーマに関するものを手あたり次第調べ、並行してデータや文章を読み解き自分の考えをとにかく書き出し、一日で一万字書く。
いつもの自分だったら、調べるのと並行しながら書いていたことだろう。
でも、それでは逆に回り道だと知ったから、とにかく調べるのに時間を使うことにしたのだ。

近年はネットに情報がたくさんある。
ネット上で論文を検索し、データでアップロードされていれば読むことができる論文用の検索サイトもある。
時間がないので、とにかくネットで論文を探し出し、取り出せるデータがあればそれも探す。
探して探して、できる限り印刷した。
印刷して読むのは、ノートに書くのと一緒だ。文章内の言葉やデータから線を引き、余白に疑問や考えたこと、データからわかることをとにかく書きだした。

そして最後は文字に起こす。
趣味の映画の感想と違うことは、レポートにはある程度形式があるということだ。
序論本論結論っていうやつだ。
序論でこれから書くものについて述べある程度どういう結論に導きたいかを示す。
本論で、結論を導き出すための内容について様々なデータや論文を引用しながら進める。
そして最後に結論を述べる。

それに合わせて文章構成を行うのだけど、時間がなかったので頭の中で作って書き上げた。
なんとか締め切りに間に合わせたのである。

普段レポートを書くことをしている方々は、そんなのわかってるわい!っと思う内容だったかもしれない。
とにかく2000字も書けなかった人間なのでご容赦願いたい。

物語の組み立て方

さてタイトルの後ろにある「物語の組立方」である。
なんでレポートの書き方と物語の組立方を一緒にしたのかというと、実は指導教諭の言葉があった。
卒論を書く際に言われたことだ。
漫研に入っていた私に、卒論の書き方について漫画を描くことを例に出して教えてくれたのである。

卒論を書くことと漫画のストーリーを作ることは似ている。
結末に導くために、どういう話を入れたらいいか、物語の順番はどうしたらいいかを考えるように、卒論も、読んだ人が納得するようにどんな内容を入れて、その順番はどうしたらいいかを考えるんだ。

そういう趣旨のお話だったと思う。

何か物語を描いていると、思いついた描写、アイデア…何でもかんでも全部入れたくなることがあると思う。
私にも漫研で発行する冊子に載せた漫画でどうしても描きたいシチュエーション、説明したい設定、たくさんあった。
でも、今描いている物語を伝えるのに必要かどうかを考えると、必要なかったりする。
そうしたシチュエーションや設定は、いったん捨てる必要がある、ということだ。

一万字書いたレポートについて一つ言っていなかったことがある。
一日半かけて調べた内容で、使わなかった論文やデータもあったのだ。
全部読んでみて、データや内容をまとめたうえで、今回のテーマの趣旨に反すると思ったものは、もったいないと思わずに切り捨てた。
以前の私なら、切り捨てたら一万字にならないと焦ってとにかく全部入れ込もうとしただろう。
でも、それだと内容が散らかってしまい、結論まで書いても本当にそれが言いたかったことなのか?と読んだ人に疑問を抱かせてしまうのだと思う。

物語においても、何でもかんでも入れてしまうとキャラクターの行動の矛盾なんかに現れてきてしまうのだと思う。
口ではこういってるのに行動が伴ってないじゃないか、という印象を抱かせてしまうキャラって多分そういうところがある(わざとしているのなら問題はないけれど)
だから、もったいないと思わずにいったん捨てる勇気が必要なのだ。

では何を捨てるべきで、何を拾うべきなのか。
それをわかるために準備が必要なのである。
準備するときには、これは使える使えないとか、こんなの矛盾しちゃうとか、そういうことを一切考えない。
とにかく、必要と思われるものなら何でもかんでも用意する。
必要かどうかを判断するのは、内容についてある程度まとまった時でいい。
というか、その時でなければ判断できないと思う。

最後に私が考える物語の組み立て方をまとめてみる。

1.その物語で描きたいものを考える

まずは何処に向かうべきかを考えないといけない。
最終的に結末が変わってもいいので結末を考えておくのが一番いいかもしれない。
ただ、こういう話が描きたいとかこういうシチュエーションにしたい…でもかまわないと思う。
とにかく、書きたいものがないと物語は作りづらい。

2.その結末に向かうために何が必要なのか考える

これは私の個人的な作り方で他の人に聞いたことはないのだけど、私はとにかくキャラ設定を考える。
性格とか好きなものとかを考えていると、そのキャラがどんな世界に住んでいるのかというところまでだんだん広がっていくのである。
(ちなみに、気に入ってるキャラクターだと設定を盛りすぎる傾向があるのでそれはだいたい切り捨てていた。だから、レポートでも切り捨てる判断ができたのだと思う)
世界やキャラクターについて深めていくと違う話だったり、結末を描きたくなったりするので変更したりもするけれど、とりあえずは最初に考えていた物語に沿って取捨選択を行う。

3.簡単に最後まで書いてみる

プロットやあらすじと呼ばれる部分だと思う。
物語をどう構成するのかいったん書き出してみるのだ。
そうすると、足りない部分やいらない部分が改めてわかる。
よく、作品は最後まで作った数が重要なのだと聞くが、完結させることでわかることがたくさんあると素人ながらに漫画を描いてみた経験上思う。
途中までは案外描けるのだけど、結末に向かうのが難しかったりする。
だからこそ、まずはあらすじでもいいので完結できるように整える必要があると考える。

4.物語にする

あとは、実際に作品にするだけだ。
つたなくてもいいから完成させる。
完成させれば、問題点も見えてくるはずだ。

というわけで、組み立て方を考えてみた。
当たり前のことを書いてしまっているような気がするが、改めて文章で考えてみると発見がある…と思う。
ちなみに、私はまとめてみておいてなんだけどこの組立方では描いてない(笑)
だからいつもネームに苦労するのかもしれないなと気が付いただけでも良しとしたいと思います。

やる気とメンタルと体調

 やる気というのは意外と体調に影響を受ける。 いや、考えてみれば当たり前だった。だって、風邪をひいてる時に、よし!何かを始めよう!なんて気にはならない。病気の時なら簡単に気が付くのに、例えばちょっと疲れてるとかそんなときはわからないものだ。 メンタルも疲れてる時は駄々落ちする。人...