2021年3月31日水曜日

結局PC

 数年、いやもっと前か。スマホが普及して多くの人がスマホを持つようになったころ。

課題のレポートだってブログの文章だって、スマホで書けますみたいな記事、ブログを見かけた覚えがある。

当時の若者世代と呼ばれる人が、ほらみてこんなに長文書けるのよみたいな風に書いていた。

あるいは、漫画。

これ全部スマホで描いたという漫画が新人賞かなにか、とにかく賞をとっていた。

でも、どうだろう。その後、スマホで描いた文章、スマホで描いた漫画というのは話題に上がっただろうか。

もちろんSNSを見ればスマホで指で描きました!と言われて、ええ!?となるようなきれいなイラストもある。

だが、そういった人たちの中でも、画面がより大きいタブレットを買い、専用のペンで描くとこっちの方が断然描きやすい!といってる声も聞こえる。

スタンダードになったから、とりわけ話題に上げる必要もなくなったのかもしれない。

しかし、やはりスマホはスマホでしかないという声も時折聞こえてくる。


個人的な意見を言えば、絵を書くなら画面は大きい方がいい。とにかく大きく、タブレットサイズだって正直足りてない。

タブレットの話題になると、イラストレーターなどしている人はだいたいこういっていたように思う。

下書きやアイデアメモにはいいね、と。

本番をそれでは描かない。スマホならなおさら。

文字を打つのも大きい画面の方がいい。

スマホだと折り返しがすぐに来てしまう。画面に映る文字数は限られる。

画面が小さいから長文になると画面を探すのもめんどくさく、見返すのが大変だ。

見返さないというのであればいいけれど、レポートを書きっぱなしにするだろうか。


ピクトスクエアというサイトがある。

WEB上で同人誌即売会を開けるサービスだ。

そこは文章をいろいろカスタマイズできる…できるのだが、なんとHTMLタグを打ち込まないとできないのだ。

しかも入力範囲が何故か狭い。打ち込んでいけば広がる、ということもない。

だからとてもやりづらい。

メモ帳に打ち込んでコピペするのが楽である。

範囲が狭いということは、結局見づらい、打ち込みづらい。


別段、ただ生活するだけならスマホで事足りるだろう。

だが、何かを作るとかそうなったとき、多分スマホじゃ足りてない。

もちろん慣れがあるから、慣れているのなら別にいい。

ただ、結局使ったことがないのなら不足もなにもわからない。

とりあえず私は、画面は大きければ大きい方がいいと思ってる。

だって、そうじゃなかったら、画面の大きなPCは何のために存在しているのだろうか。

少なくとも、必要性があるから需要があるから製品として売り出されているのだ。

大きい方が、快適。

2021年3月20日土曜日

「その日」を越えた物語

個人的に思うことだけれど、人は誰も0から1を生み出すことなんてないと思っている。
その人がそれまで触れてきたもの、つまり、経験や知識が下敷きにあって生み出されているはず。
オリジナリティというのは、どれとどれを組み合わせるかの部分。
…だと思っている。
だから、大きな事件、事故、災害というものは、意識せずとも影響を与えているはず。

私は、ゼノブレイド2は10年前の震災後につくられなければあの物語には決してならなかったと思っている。
前作にもキズナトークというものやキズナグラムというものはあったが、物語において絆を強調することはさほどなかった。
けれど、ゼノブレイド2ではブレイドという人とは違う生命体とドライバーとい人間の絆を描き、絆という言葉を何度も言わせている。
「絆」は10年前の震災後幾度となく繰り返された言葉として記憶されている。
絆は本来馬をつなぎ留めておくためのものでいい意味なんかじゃない、なんて言われたのもあの後だった気がする。
あの日がなければきっとあの物語は別の形だっただろう。
私はそう思っている。

それを象徴するのはむしろ前作で好評だったキズナグラムというシステムだろう。
街の住人達にかかわると、キズナグラムに記録される。話しかけたり頼みごとを解決したりすると、住人それぞれの関係性も記録され変化していく。
そこに生きている人たちに関わって変わっていく変化を見ることが楽しいシステムだった。
しかし、ストーリーを進めると、一部の街の住人たちがある事件によってほとんど行方知れずになってしまう。
そうなると、キズナグラムに記録されていた住人たちのアイコンはグレーがかってしまう。
ゲーム上ではもうけっして会うことができなくなるという意味だった。
それはそれでとても心をえぐる演出であった。
ゼノブレ2においてそのシステムは導入されなかったが、DLCの黄金の国イーラという過去を描いたコンテンツで、ヒトノワという似たようなシステムが導入された。
こちらは住人同士の関係は記録されないが、主人公が彼らの困りごと頼みごとを解決するとヒトノワに加わっていくというシステムであった。
黄金の国イーラの結末は、本編をやっていればある程度想像がつく。
だから、前作をやった人の中にはいつこのヒトノワが失われてしまうか戦々恐々していた人もいただろう。
しかしだ。
ヒトノワを失う演出はなかった。
まず一つは、たとえ命が失われたとしても作り上げた人の輪というものはそう簡単に失われないということなのだと思う。
主人公が築き上げた人の輪がきっと未来につながっていた。
そしてもう一つは、あの状況で失われた命、生きている命、主人公たちには確かめようがないということなのだと思う。
キズナグラムにおいてグレーがかってしまう演出、ある意味これはとてもゲーム的表現だった。
実際問題、その場にいたわけでもない主人公たちに誰がいなくなったのかを知るすべはないのに、むしろグレーがかることでわかってしまう。
とても機械的な処理ともいえる。
だが、どうだろう。ゲームと比べるのはしのびないが、あの日の震災後誰が生きていて誰が亡くなってしまったのかなんてそう簡単に知ることはできなかったはずだ。
つまり、ヒトノワが失われる演出が存在しないというのはある意味とてもリアルに寄ったのだ。
あの瞬間、あの状況で、安否を知ることなど不可能。
そんなことは頭ではわかっていたことかもしれない。でも、あの日現実に突き付けられてしまった。
作った人間はそんなこと考えていないかもしれない。
でも、あの日を越えてしまったから、多分きっと心の中に残っている。
人は意識しない無意識に影響される。
意識していることだけがすべてではない。

だから私は思う。
今、このコロナ禍と呼ばれる日々を越えた先にある物語って何だろうと。
時は戻せない。不可逆だ。なかったことにはならない。
意識せずとも無意識に刻まれる。
「この日」を越えた物語がエンタメとして語られる日が来ることを待ちわびる。

2021年3月19日金曜日

長文を書くために必要なこと

 学生の頃、レポートというのは苦手だった。

2000字が埋められない。8割で大丈夫という噂を聞きつけ、なんとかちょっと多めに1800字ぐらいになるように本を見ながら、ネットで検索しながら、ほとんど写したような文章をPCに打ち込む(本来はいけない)

でも、大学生となれば卒論を書かねばならぬ。

2000字なんかじゃ足りない。それすら書けないのにどうしたらいいのだろうか。

そんなころ、ゼミの教授がこんなアドバイスをくれた。

「毎日、何かしらの文章を書くといいよ」

メールでも日記でも何でもいいから、とにかく長めの文章を常日頃から書いておこう。

そういうアドバイスであった。

アドバイスを貰った時は、まあ、そういうものだろうか。慣れが必要なのだろうか。それぐらいの理解だった。

はてさて今、改めて理解している。

あの頃なんとか卒論を書きあげたというのに、今この文章を打ち込むのだって難儀している。

あまり長文を書いてこなかったから。

書き慣れたはずの文章を書かずに放置した結果、書けなくなってしまっている。

あの頃、アドバイスをもらったからではないが、ある漫画にはまってしまって毎日卒論そっちのけで小説らしき文章を打ち込んでいた。

それのおかげか、以前よりはすんなりと卒論の文章も書けたので結果オーライではあったが。

とにかく、書き慣れていなければ文章というものは意外と書けないものなのである。


もう一つ、必要なものがある。

それは情報である。その文章を書くための資料である。

ただ、2000字のレポートが書けなくてヒィヒィ言っていた時だってもちろんレポートに必要な本を読んでいた。

問題は、読みながらレポートを書いていた点にあったのだろう。

必要そうな箇所をレポートに書き出す。

実はこれはレポートを書き出す前にすべきことだった。

必要そうな箇所を抜き出すのは、本番のレポートではなくてまずメモの方だった。

文章の書き方というのは習ったような習ってないような、そんなあいまいな記憶しかない。

ただ、学校行事の感想を書けと言われたら、用意された感想用紙という本番に書かされた記憶がある。

それだって何を書けばいいのかわからないで時間ギリギリまで悩むか、当たり障りのない分を書くかしかなかった。

必要だったのは、学校行事に参加して、何をやったのか、何を思ったのか整理する作業。

レポートだってなんだって同じこと。

本番を書く前に、集まった情報整理することこそ、文章を書くために必要な作業だったのだ。


というわけで、実はこれを打ち込んでいるのも、もう一度長文を書くことに慣れるための訓練みたいなものである。

文章とは、言語がわかれば簡単にかけそうでいて、思っているより難しい。

2021年3月18日木曜日

絵を描くモチベーションについて

 Twitterを眺めていたら、絵を描くモチベーションについてタイプ別に描いたイラストが流れてきた。

しかし、どれを見てもなんだかピンとこない。

なので、自分で考えてみることにした。


さて、考えるには手がかりがいる。自分がどんな時に絵を描いていただろうか。

しかし今まで何となく描いていたような気がするので、考えても思いつかなない。

なにせ、多分子供のころのらくがきの延長線上に延々と描き続けていたから。

でも、らくがきでもわっと描きたいときもあるし、特に書く気もおきない時もある。

ちょうど今は特に書く気もない時だったせいだろうか。

(だから、モチベーションについて気になったのかもしれない)

書く気になった時のことを何となく思い出す。

それは、ハマった漫画があった時。

ゲームで楽しんだとき。

それも、ただ楽しむだけでなく、その漫画やゲームについて考える時があった時。

どうしてそうなるのか、どうしてそんな行動をしたのか。

そんなことが気になった時。

もう一つは、誰かの創作でその考えはなかったとか、何か発見があった時。

刺激を受けて絵が描きたくなる。

あと一つ、何か作りたくなったとき。思いついたものを形にしたいとき。

そんな時だった気がする。


つまり、私は外から刺激を受けて何か書きたくなるタイプだったのだ。

絵を描くこと、創作することってなんだか内から湧き上がるものを形にするとかなんとかそんなイメージだった。

だから、内から湧き上がるもの、何か表現したいものがないということは絵を描くことが好きじゃないんじゃないかとかそんなことを考えてしまっていた。

でも、別にそうじゃないのだ、自分は。

そして、多分、それでいいのだと思う。

こうでなければならない、というものはない。

昔は、描き方だってこうでなければいけないみたいな考えがあった。

それをこだわりというのかもしれない。

でも、そんなこだわりもいらないのだ。描くことが嫌になるようならば。

最初に行った、Twitterで見かけたモチベーションについてのイラストにピンとくるものはなかったのだけど、でも、いろんなモチベーションがあってもいいと気づかせてもらった。

私はそう、外から刺激を貰わねばならないタイプだったのだ。

そう思って、とりあえずピンタレストを眺める日々。

2020年8月6日木曜日

簡単!デフォルメの描き方

普段はこんなデフォルメを描いています。
描くときのポイントをまとめましたので、よかったら参考にしてみてください。

デフォルメというのはぶっちゃけセンスだと思います。
センスがいいとか悪いとかそういうニュアンスではなくて…どこが好きか!ということです。
キャラクターの特徴を残すと描いていますが、特徴だと思う部分って人それぞれだと思うんです。
まあ、確かに多くの人が特徴だと思う部分っていうのはあるとは思うんですが、それよりは自分の好き!を詰め込んだ方がきっと楽しい。
デフォルメ、挑戦してみませんか?

2019年9月6日金曜日

ゼノブレイド リマスター版発売決定!

9月5日朝7時から、ニンテンドーダイレクトが放送されました。
そのトリを飾ったのが…

ゼノブレイド ディフィニティブエディション!

2010年6月に発売されたゼノブレイドシリーズ一作目が、2020年、10周年の年にSwitchに登場するんですね!
当時はWiiで発売され、知る人ぞ知るRPGという感じでした。
スマブラに、主人公シュルクが登場してからは広く知られるようになったものの…
Wiiはファミリー向けのイメージが強かったか、周囲でゲームやってる人も持ってなかったりしてなかなか勧めても遊んでもらえなかったのですが…ついに、ついにSwitchで遊べるようになったんですね!

ゼノブレイド発売当時、「ゼノ」というと、ゼノギアス、ゼノサーガとなんだか難しそうでファンじゃなければわかりずらそうだな…というイメージがあったのですが、発売一か月くらいの間に、おもしろい、フィールドがすごいという感想をいくつも目にしました。
そして手にとってみると…本当に面白かった。
3Dで作られるようになってだんだん2Dの頃の広さを失っていたRPGのフィールドが、ゼノブレイドでは2Dの頃の印象そのままにどんと広がり、どこまでも走って行ける。
最近はわからないですが、RPGなのに水を泳げ、柵を飛び越え、崖から落ちれるRPGは珍しくて感動しました。
とにかく、ゼノブレイドはフィールドを走り回っているだけでも楽しい!
そして、王道の熱いストーリーと豊富なサブクエストが飽きさせずに先へ進ませてくれる(いや、サブクエはむしろとどまらせるか?)
とにかく、楽しいんです。
99時間59分遊べます(Wii版のプレイタイムカンストが99時間59分というネタ)
当時、RPGクリアするのにのんびりやって60時間ぐらいだった私も、気が付けば中盤あたりでカンストしていました。

後ですね、ゼノブレイドの魅力の一つが、Wiiのリモコン+ヌンチャクという、左右で分離されたコントローラーによる操作だと私は思っています。
従来型の両手の位置を固定されたコントローラーをお使いの方はピンと来ないかもしれませんが、これは発明だと思うぐらい両手の自由が利くことの手軽さを感じました。
移動だけならカメラ操作も含めて片手でできちゃったんですよ。
スイッチでも形は変われど分離されたコントローラー。
ぜひともその手軽さを感じていただきたいです。

2020年が楽しみになりました!
はやくもう一度あの世界に行ってみたい!

2019年6月23日日曜日

物語にして自分事にする

日々のニュース、悲しい出来事、楽しい話、流行りの何か。
興味のないことはどこか他人事で、さっと過ぎていく。
最近はニュースサイトも個人の好みを反映したニュースを流し、余計に興味のないことから離れていく。
今、興味がなくても、明日、興味が出るかもしれない。
それでも、今の興味を頼りに人は日々の出来事を選んでいく。
明日のことなど、知りはしないから。

でも、物を作ったり、描いたり、言葉にしたり。
そうやって何かを作り出そうとするのに、狭い興味の中だけじゃいつかアイディアは枯渇していくだろう。
同じものを何度も見返しての発見だってあるだろうけど、やはり新しい刺激が欲しいものだ。
けれど、いつの間にか防衛反応か、古い興味のあるものしか手を出さず、流行にのれず、枯れていく。
別段、創作なんてしなくたって生きてはいけるものだ。創作して食べていく人間でない限りは。
でも、作り出すって楽しいはずなのだ。
じゃあ、どうやって興味を広げよう。

私の場合は、物語にする。
断片的な情報は咀嚼しなければ、情報でしかない。
私にとっての咀嚼行為が物語にすることなのだ。
不謹慎だろうかなんだろうが、構わない。
それを表に出さない限りは。
そう、表に出さなければ自分の妄想でしかない。誰も文句は言わない。
想像することさえダメだというのは恐ろしいことだ。
アメリカのドラマに、クリミナルマインドというものがある。
あれだって、現実に起こった事件を下敷きにしている。
日本向けなのか、時折日本で起きた凶悪事件が参考事例として名前をあげられていたりする。
臭いものに蓋をするべきではないと思う。
蓋を開けない限り、臭いかどうかわからない。
わからないと、興味本位で開けてしまう人だっているだろう。
その臭いにあてられてしまう人もいるだろう。
理解してこそ、わかることがある。

物語にするというのはなかなか骨が折れる行為だ。
ニュースに出てくるような一瞬だけを思い描くならそこまで難しくはないのかもしれないけれど。
スポーツ選手のニュースなら、ニュースに読まれた輝かしい記録だけじゃなくて、そこに至るまでの努力だったり、挫折だったりを想像して、すごいなと思うわけだ。
多分、人は無意識にそれをやっている。
それを意識の上に上げる。
上げることが、咀嚼することだと私は思う。
上げることで、何がわかっていないのか、何を知らねばならないのか、ようやくわかるのだ。
目にできる形にするともっといい。
頭の中で考えていることは、意外とつじつまが合わなくても綺麗に決まっているように思える時がある。
それを目に見えるようにした時、違和感を感じる時が来る。
そうやって、肉付けをする。
そうしていくことで、いつの間にか、自分が感じたことを明確にできる。

私は感性って言葉が嫌いだ。
嫌いなのは、学生の頃に美術教育の授業で子供の感性を伸ばすとかなんとか言いまくってるのを聞いたからだろうけど。
目に見えないものをどうやって伸ばすんだ?どうやって伸びたと判断するんだ?そう思っていた。
でも、自分が何に、どう感じるのか、知るのは大事だと思う。
何が好きで、何が嫌いで。
多分、それがわかるというのが感性なんだろうなと、最近は思う。
誰もが同じものを持つわけじゃない。
けれど、世間は同じであることを案外強要してくる。
常識という言葉、疑わずに使っている人の多さ。
そして、常識的な感じ方、というものに案外縛られている気もする。
それは自分だけなのかもしれないけど。
誰かに評価を求めてるって、そういうことなんだろう。
自分が正しいと思いたい。正しいは多数派。
決して評価が多いことが悪いわけじゃない。
ただ、それにふりまわされない様に。
自分の気持ちは、自分で選ばなくては。

やる気とメンタルと体調

 やる気というのは意外と体調に影響を受ける。 いや、考えてみれば当たり前だった。だって、風邪をひいてる時に、よし!何かを始めよう!なんて気にはならない。病気の時なら簡単に気が付くのに、例えばちょっと疲れてるとかそんなときはわからないものだ。 メンタルも疲れてる時は駄々落ちする。人...