2017年2月2日木曜日

2000字書くのに苦労した私が3日で一万字書いた方法と物語の組み立て方

2000字のレポートが書けなかった私

学生の頃というのは、何かとレポートを書かされるものだ。
授業の内容についてとか、題材を調べてきて書けとか…
文系の学部ではあるものの、文章を書くというのがことごとく苦手だった私にとっては何を書けば2000字に到達するのかさえ分からなかった。
(文系といっても、美術系でもあったので絵に描くならまだしも文章にすることが大の苦手だったのでした)
本を広げて書いてみると、気が付けば本の文章を切り貼りしたような文章になっていたり、それはまずいと書き直せば、今度は文字数が足りなかったり。
とにかく文章が嫌いだった。
けれども、そんな事情など関係なく課題は出され…
なんと一万字を書かなければならなくなってしまったのだ。

悩みに悩んでいたら締め切り3日前になっていたあのころ

まずレポートの題材が決まらなかった。
一万字という今までにない文字数の前に尻込みしていたのである。
何を書けばそんなにたくさん書けるんだ?
そればかり悩んでいたらついに締め切りが目の前になってしまったのである。
2000字書くのにも苦労する私が、どうして三日で一万字を書けるというのだろうか。
頭を抱えた。

しかし、ふとあることを思い出した。
趣味で、ある映画の感想を書いた時のことだ。
なんだか1~2時間ぐらいで結構長めの文章を書いたような…

こういう時PCで打ち込んであると便利である。
Wordにベタリとその映画の感想をコピー&ペースト。
なんと、1日かけてようやく無理やり一つの内容について2000字書いていたはずの私が、1,2時間程度で2500字ぐらい書けていたのである。
自分でもびっくりした。こんなに書けていたとは。

ここで、趣味の内容だからはやく書けたんだと思っていたらレポートの提出期限を通り過ぎていたことだろう。
しかし私は、どうしても締め切りは守りたかった。
だから、何故書けたのかを考えることにした。

1.文章を書く前の準備

映画の感想を書こうとしたとき、レポートを書くときと同じくいきなり文章を書こうとした。
そうすると、映画の内容をただただ打ち込むだけになっていた。
映画は一時間半ある。ずっと細かく筋を書いていったら、長い文章になってしまう…とその時は考えた。
そう、長い文章を書くつもりはなかったのである。
そう思った私は、まずアナログな方法に出る。
ノートに、映画の内容を事細かく書いていく。
時系列通りに思いだせるものではなかったので、とにかく思いだしながらノートに記す。
そうすると、思いだしたと同時に気が付くこともあるのでそれも一緒に記して置く。
それを延々と書きつづけた。

2.自分の考えを書く

思いだせるだけ思いだしたら、ざっとノートを見返す。
そうすると、また気が付くことがある。
見ているときには気が付かなかった二つの描写の関連とか、作品のテーマとか、そんな感じのものだ。
それも、いや違うだろうとかそんなこと考えないで書きだす。
とにかく、書きだすのだ。
そうすると、気が付けば何を書けばいいのかがはっきりしてくる。
書き出すテーマがはっきりしてくれば、必要な描写とか調べるべきものとかもはっきりするのだ。

3.アナログなノートの効能

うまく使えるのならPCとかスマホとかでもいいと思うけれど、私はノートに書いた。
何故なら、思い付きでごちゃごちゃ書けるからである。
言葉にうまくできないなら図を書くのも簡単。
手で書き出してみると、また違う見方ができたりする。
また、書くものはボールペンにしておいた。
書いたら消せないが、違うなと思ったことも消さないでおける。
あとで見返すと、やっぱりこっちの方がよかったと思い起こせるのである。

あとは、テーマに沿って書くだけである。
そうしたら2000字以上書いていた。

レポートが書けないのは準備の足りなさからだった

それまでは時間がないからと、本を読みながらレポートを書いていた。
読みながら書いていると、本の中の文章に引っ張られてしまう。
自分の考えも頭の中だけで構築していた。
そのせいか、本の文章に対しての受け答えのような、そんな考えしか思い浮かばなかったのである。
それゆえに2000字さえも書けなかったのだ。

つまり、文章を書く準備を怠っていた…ただそれだけだった。
文章なんて誰だって書けると思っていた。
小中学生の頃の作文なんて、その場でテーマが出されてその授業中に書かされることがほとんどだった気がする。
だから、頭の中にあるものをひねり出して書いたものだ。
それゆえに、文章を書くのに準備がいるなんて恥ずかしながら大学生になるまで気が付かなかったのだ。

あのころ一万字書いた方法

まずはテーマを決める。
さいわい卒論に関するものから選べとのことだったので、そこから近いものを適当に考えてテーマにした。
とりあえず書くものが決まらないとどうにもならない。

私はこの時計画を立てた。
一日半を使ってテーマに関するものを手あたり次第調べ、並行してデータや文章を読み解き自分の考えをとにかく書き出し、一日で一万字書く。
いつもの自分だったら、調べるのと並行しながら書いていたことだろう。
でも、それでは逆に回り道だと知ったから、とにかく調べるのに時間を使うことにしたのだ。

近年はネットに情報がたくさんある。
ネット上で論文を検索し、データでアップロードされていれば読むことができる論文用の検索サイトもある。
時間がないので、とにかくネットで論文を探し出し、取り出せるデータがあればそれも探す。
探して探して、できる限り印刷した。
印刷して読むのは、ノートに書くのと一緒だ。文章内の言葉やデータから線を引き、余白に疑問や考えたこと、データからわかることをとにかく書きだした。

そして最後は文字に起こす。
趣味の映画の感想と違うことは、レポートにはある程度形式があるということだ。
序論本論結論っていうやつだ。
序論でこれから書くものについて述べある程度どういう結論に導きたいかを示す。
本論で、結論を導き出すための内容について様々なデータや論文を引用しながら進める。
そして最後に結論を述べる。

それに合わせて文章構成を行うのだけど、時間がなかったので頭の中で作って書き上げた。
なんとか締め切りに間に合わせたのである。

普段レポートを書くことをしている方々は、そんなのわかってるわい!っと思う内容だったかもしれない。
とにかく2000字も書けなかった人間なのでご容赦願いたい。

物語の組み立て方

さてタイトルの後ろにある「物語の組立方」である。
なんでレポートの書き方と物語の組立方を一緒にしたのかというと、実は指導教諭の言葉があった。
卒論を書く際に言われたことだ。
漫研に入っていた私に、卒論の書き方について漫画を描くことを例に出して教えてくれたのである。

卒論を書くことと漫画のストーリーを作ることは似ている。
結末に導くために、どういう話を入れたらいいか、物語の順番はどうしたらいいかを考えるように、卒論も、読んだ人が納得するようにどんな内容を入れて、その順番はどうしたらいいかを考えるんだ。

そういう趣旨のお話だったと思う。

何か物語を描いていると、思いついた描写、アイデア…何でもかんでも全部入れたくなることがあると思う。
私にも漫研で発行する冊子に載せた漫画でどうしても描きたいシチュエーション、説明したい設定、たくさんあった。
でも、今描いている物語を伝えるのに必要かどうかを考えると、必要なかったりする。
そうしたシチュエーションや設定は、いったん捨てる必要がある、ということだ。

一万字書いたレポートについて一つ言っていなかったことがある。
一日半かけて調べた内容で、使わなかった論文やデータもあったのだ。
全部読んでみて、データや内容をまとめたうえで、今回のテーマの趣旨に反すると思ったものは、もったいないと思わずに切り捨てた。
以前の私なら、切り捨てたら一万字にならないと焦ってとにかく全部入れ込もうとしただろう。
でも、それだと内容が散らかってしまい、結論まで書いても本当にそれが言いたかったことなのか?と読んだ人に疑問を抱かせてしまうのだと思う。

物語においても、何でもかんでも入れてしまうとキャラクターの行動の矛盾なんかに現れてきてしまうのだと思う。
口ではこういってるのに行動が伴ってないじゃないか、という印象を抱かせてしまうキャラって多分そういうところがある(わざとしているのなら問題はないけれど)
だから、もったいないと思わずにいったん捨てる勇気が必要なのだ。

では何を捨てるべきで、何を拾うべきなのか。
それをわかるために準備が必要なのである。
準備するときには、これは使える使えないとか、こんなの矛盾しちゃうとか、そういうことを一切考えない。
とにかく、必要と思われるものなら何でもかんでも用意する。
必要かどうかを判断するのは、内容についてある程度まとまった時でいい。
というか、その時でなければ判断できないと思う。

最後に私が考える物語の組み立て方をまとめてみる。

1.その物語で描きたいものを考える

まずは何処に向かうべきかを考えないといけない。
最終的に結末が変わってもいいので結末を考えておくのが一番いいかもしれない。
ただ、こういう話が描きたいとかこういうシチュエーションにしたい…でもかまわないと思う。
とにかく、書きたいものがないと物語は作りづらい。

2.その結末に向かうために何が必要なのか考える

これは私の個人的な作り方で他の人に聞いたことはないのだけど、私はとにかくキャラ設定を考える。
性格とか好きなものとかを考えていると、そのキャラがどんな世界に住んでいるのかというところまでだんだん広がっていくのである。
(ちなみに、気に入ってるキャラクターだと設定を盛りすぎる傾向があるのでそれはだいたい切り捨てていた。だから、レポートでも切り捨てる判断ができたのだと思う)
世界やキャラクターについて深めていくと違う話だったり、結末を描きたくなったりするので変更したりもするけれど、とりあえずは最初に考えていた物語に沿って取捨選択を行う。

3.簡単に最後まで書いてみる

プロットやあらすじと呼ばれる部分だと思う。
物語をどう構成するのかいったん書き出してみるのだ。
そうすると、足りない部分やいらない部分が改めてわかる。
よく、作品は最後まで作った数が重要なのだと聞くが、完結させることでわかることがたくさんあると素人ながらに漫画を描いてみた経験上思う。
途中までは案外描けるのだけど、結末に向かうのが難しかったりする。
だからこそ、まずはあらすじでもいいので完結できるように整える必要があると考える。

4.物語にする

あとは、実際に作品にするだけだ。
つたなくてもいいから完成させる。
完成させれば、問題点も見えてくるはずだ。

というわけで、組み立て方を考えてみた。
当たり前のことを書いてしまっているような気がするが、改めて文章で考えてみると発見がある…と思う。
ちなみに、私はまとめてみておいてなんだけどこの組立方では描いてない(笑)
だからいつもネームに苦労するのかもしれないなと気が付いただけでも良しとしたいと思います。

2017年1月27日金曜日

働かなくてもいい世界

AIの遺電子

「AIの遺電子」という作品をご存知でしょうか。
週刊少年チャンピオンで連載されている一話完結のマンガです。

AIの遺電子試し読み
三話まで読めます。

さて、私はたまにしかチャンピオンを買わないので時々読むだけなのですが、この漫画はなかなか面白いなと思っています。
(たまにしか買わないのは、聖闘士星矢の続編が年に単行本一冊分ぐらいしか載ってないから。近々単行本を買おうかなと思っています)
AIと言うと最近では将棋ソフトとかそんなまだまだ機械的なイメージですが、この漫画では人とかわらない姿のヒューマノイドが人間とともに暮らしています。
ヒューマノイドが暮らしていると言っても、スターウォーズとかスタートレックのようなSF的未来ではなく、今の延長線上にあるような、平凡な日常とでもいいますか、そんな暮らしの中にヒューマノイドも暮らしている…そんな世界の物語です。
彼らは人間との違いに悩んだり、はたまた人間が彼らの存在に悩んだり…ヒューマノイドというロボットを登場させているSFではあるけれど、科学に詳しくない私でも日常の中の人間の悩みとか喜びとかそういった物語(というとおかしいのかもしれないけど)みたいな感覚で読める作品です。

働かなくてもいい世界

さて、このタイトルに書いたことは今週号を読んでいてはじめて知った設定です。
たまにしか読まないので読者には周知の事実だったりするのかもしれませんが…
この世界は、社会保障が充実しているので働かなくても生活していけるようなのです。
ロボットはヒューマノイドだけではありません。
今も使われているような産業用ロボットも今以上に発達している世界なのでしょう。
それでも働く人もいる。今週号のお話はそんな働きたい一人の男のお話です。
ざっと今週号のお話を書いてみます。

今回のお話の主人公になる男は、デザイナーとして働き、やる気のない部下に叱咤し、その姿が他の社員から煙たがられているようなそんな雰囲気さえあります。
社長にも、新人にはもう少し優しくしないとと言われてしまいます。
そんな彼がストレスのせいか腹を下してしまいトイレに行くと、トイレの手洗い場でいい香りがしていることに気が付きます。
そこには清掃員の男がいて、その匂いは彼が手洗い場に飾った花からしていたのでした。
彼は、清掃などロボットにさせればいいのになんで清掃員を雇っているのか?、この男はこんな仕事で満足しているのか?と少々見下していました。
デザインという仕事はAIなどのロボットにとってかわられることのない仕事で、自分はそういう創造的な仕事をしているのだという自負のあった彼にしてみればロボットにもできる仕事をしている男は見下す対象でしかなかったのです。
けれど、いつしかそのデザイナーの仕事もAIにとってかわられることになってしまうのです。

こんな感じのお話です。
働かなくてもいい世界だからこそ、人間が働くということに意味を見出さなくてはならないのですが、このお話の主人公の男は、創造性のあるデザイナーの仕事は人間がやる意味があるのだと考えていました。
けれども、その仕事も効率性を考える社長からAIにとって代わられてしまうのです。
実はラストで、転職するために別の会社を受けに来た男と、清掃員だった男が会社の傍で出会います。
何故かというと、その清掃員だった男も前の会社を辞めてデザイナーだった男が受けに来た会社でまた清掃員をしていたからです。
何故また会社を辞めて清掃員になったんだ?と聞く男に答えます。
トイレの清掃は確かにロボットができる。
でも、以前の会社でみんな腹を下していたことに気が付いてせめてトイレは居心地のいい場所になるように花を置いたりしていた。
そういう無駄に見える部分が人間にしかできない仕事なんじゃないかと思ったのだと。
それにやりがいを感じているから、また清掃員になったのだと彼は言いました。

10年後になくなる職業

以前オックスフォード大学が10年後になくなる職業を予測した記事が発表されていたことがありました。
それらはコンピュータの発達によって自動化され、人間の手を必要としなくなるゆえになくなる職業とされていました。
このまま時代が10年20年と進めば、多くの仕事は人間がやる必要がなくなるのではないでしょうか。
人間がやらなければいけないと思っていた職業さえもきっとそうなるでしょう。
ヒューマノイドが老いもせず、人間とかわらない思考と人間と違う膨大な記憶を持てるのならきっとそうなるでしょう。
以前そういう世界はどういう世界かを考えたことがあります。
機械の生み出す利益を人間に還元することで、社会保障が充実し働く必要のない世界が生まれるのではないかと。
その時人は何をして、どう暮らすのでしょうか。
AIの遺伝子では、人は今と変わらず暮らしているようなのですがそこに暮らしている人々はきっと今の人と違う感覚で生きているのだと思います。

そういう世界で生きていく

働かなくても生きていける世界に近いことがすでに実験として開始されています。
聞いたことがある方もいるかもしれません。
市民に毎月一定の金額を支給する「ベーシックインカム」という制度です。
現在、まさに今年の一月からフィンランドでその制度を実験的に導入しているようです。
今後どうなるのか…それによっては世界の社会保障制度も変わってくるのではないでしょうか。
もちろんデメリットも議論されています。
毎月何もしなくても一定の額が支給されるわけですから、仕事をしない人が増えて生産性が下がるとか、その財源はどうするのかとか…
ただ、毎月何があっても一定の収入を得られる安心感と、収入の制限がないので現在の生活保護のように収入によって制限されるためにかえって働くことができないでいる…ということもなくなるのではないでしょうか。

さて、人が仕事をしなくてもいい世界で、働かなくてもいい世界で、どうやって生きていけばいいのでしょう。
そんな世界が来るのはいつだかわからないけれど、案外こういうのは思っているより早く来てしまうものなのではないでしょうか。
私が子供の頃に、板みたいなスマホを見せられてもそれが電話だなんて携帯電話がすでに存在していたころでも思わなかった気がするけど、たったの十年ぐらいの間に携帯は薄くなってPC並みのことができるようになってしまった。
技術の進歩は人が考えるよりきっと早い。
アトムは2004年に生まれなかったけど、ドラえもんは2112年より前にできてしまうかもしれない。

2017年1月20日金曜日

ゲームで描かれる死

ゲームで死を描くことはできないのか

最近はどうなのかわかりませんが、よくゲームに対する批判としてリセットできるから命を軽く見てしまう…というものがありました。
でも、私は子供の頃にそんなことはない、むしろゲームにしか描けない死があるのだと考えていました。
そう考えるにいたったのはあるゲームソフトを遊んだからです。
そのゲームに描かれた死は、いまだに心に響いています。

さて皆さんはゲームで描かれた死というとどんなものを思い浮かべるでしょうか?
相手の兵士を撃ち殺し、名もなき兵を槍や剣でなぎ倒しその数を競う。
批判する人が思い浮かべるのはこういう死でしょうか?
もしくは、ストーリーのあるゲームで仲間や味方、力のない市民が死ぬ。
FF7はやったことがないのですが、それでもエアリスの死というのは聞いたことがあります。
仲間だったキャラクターが死んでしまうのは衝撃的ですね。

でも、私が思い浮かべるのは、そういう戦いを題材にしたゲームではありません。

牧場物語2というゲーム

子供の頃、ゲーム雑誌を読んでいてふと惹かれたゲームがありました。
その雑誌に、ゲーム内で女の子と仲良くなっていく様子が日記形式で紹介されていたゲームです。
それが「牧場物語2」でした。
その名の通り、荒れ果てた牧場を立て直し繁栄させていくゲームです。
私がはじめて自分で情報を得てほしいと思ったゲームで、発売日を楽しみにしていました。
牧場を経営しながら、女の子だけでなく村の住民と仲良くなって打ち解けていく(仲良くなるとセリフがかわっていくのです)過程が面白くて、何時間も遊んでしまいました。

ゲームというのは住人に変化が乏しいことが多い。
牧場を運営するゲームなので、季節が移り変わり年が一年二年と過ぎていくのですが、小さな子供はいつまでたっても子供のままだし、大人たちも見た目に変化なんてない。
でも、ゲームというのはそういうものだと思っていたので、だからこそ、住人との関係がかわっていくことが面白かったのです。
その中に一人の老婆がいました。
いつも庭先でロッキングチェアに座っているおばあさんは、住んでいる家が町の入口付近ということもありいつも目に入ります。
私は、そのおばあさんにも山に落ちていた木の実なんかをプレゼントしていました。
(このゲームでは特定のキャラクターに特定の食材をプレゼントするとレシピを教えてもらえることもあり、いろいろプレゼントしてまわっていたのです)
夏になってクルミをプレゼントしたら、クルミのケーキのレシピを教えてもらえました。
ああ、仲良くなってきた。そう思っていた矢先。
ある日、いつものように話しかけると急にイベントがはじまりました。
イベントがはじまるとセリフ送りにボタンを押す以外の操作を受け付けません。
一体何がはじまるのか、ちょっとワクワクしつつ眺めていると。

そのおばあさんは眠るように亡くなってしまったのです。
衝撃的でした。なんの前触れもなかったのですから。
え?なんで?と思うことしかできません。
イベントが起きるとゲーム内の一日が終わってしまうのですが、その時もおばあさんの葬式が行われ火葬されたのを表すように一筋の煙が空に立ち上る絵があらわれ、主人公のセリフがかぶさって暗転し、そして夜が明けて次の日になってしまいました。
次の日は何事もなかったかのように始まるのです。
いつものように、畑に植えた作物に水をやり、ニワトリや牛たちに餌をやり…
そうしなければ、作物は育たないし、動物たちに至っては死んでしまうこともありました。
むしろ、いつもの毎日を続けなければいけません。
町に出ると、おばあさんには孫娘がいたのですが、その彼女も泣いて目を赤くしてはいるものの、いつものように働いていました。
周囲の人たちも彼女を気遣うセリフをしゃべりますが、それも長くは続きません。
いつものように日々は過ぎていきます。
ただ、そうやって周りがかわらないがゆえに、いつもいたはずのおばあさんがそこにいない事がはっきりわかってしまうのです。
けれど、私自身もいつの間にかその悲しみを忘れていきます。
そこにいないことが当たり前になります。
そうやって日々が過ぎていくのです。

攻略本を読んで知る衝撃の事実

ゲームを買ったら攻略本を読む、というのが当時の私の好きなことでした。
ゲームってアニメや特撮とかと違って、例えばセーラームーンとか仮面ライダーとかなら主人公が浸かっているアイテムがグッズとして売られたりするわけですけど、とにかく関連商品が少なかった。
だから、ただゲームを攻略するためだけでなく、好きなゲームの世界に浸るアイテムとして攻略本を買っていたのです。
それを読んでいて、ある事実に衝撃を覚えました。
なんと、あのおばあさんは仲良くなっていくと死んでしまうイベントが発生するということだったのです。
つまり、話しかけたりプレゼントをあげなければ死なないのです。
ビックリしました。
主人公がやったことが、キャラクターの死につながるなんて。
それが例えば、RPGで敵として倒したからとかならわかります。
けれど、このゲームはそうじゃない。
ただただ、驚きでした。

そして私はある決断をします。決断と呼ぶのはちょっと仰々しいですけど。
このゲームは好きな女の子と結婚できます。
ただ、どの子もみんな魅力的ですし、ゲームとして遊べるならいろんな子と結婚した生活を見たい。
だから、何度も新しくゲームを始めるわけなんですが、そのたびにおばあさんを死なせることにしたのです。
(なんだか文字にすると物騒です…)
何故か。
死なせないために、仲良くしないってどうなんだろう。
そう思ったのです。
ゲームのキャラクターなんだからそんなこと気にしなくてもいいじゃない、そう思うかもしれません。
でも、あのころの私はそう思ったのです。
この物語は、こうして

物語として死を描くと

私自身、趣味で物語を描くことがあるのですが、作品の中に死を描くとどうしてもそこに至るまでを描く必要があると感じます。
もちろん突拍子もなく死んでしまう描写を描くことはできないことはないのかもしれませんが、ただ、それはセオリーを逸脱したゆえの面白さだったりして何度も使えるわけじゃない。
キャラクターが死ぬということは、それだけで物語の盛り上がりにできる出来事です。
嘆きや悲しみ、それを乗り越えていくこと。
十分物語のメインになる題材です。

だからこそ、このゲームに描かれた死はゲームにしか描けない死だと思うのです。
生活の中にある、親しい人との別れを体験する。
体験させる。
それができたのが、このゲームだったと思うのです。

だからこそ、私はゲームを遊ぶことで命を軽視するというのは違うと思うのです。

2017年1月19日木曜日

ゼノブレイドとゼルダの伝説

ゼルダの伝説ブレスオブザワイルドは3月3日発売です。

あと一か月ちょい待てば遊べると思うと、もうワクワクがとまりません。
ゼルダの伝説は夢を見る島と時のオカリナとムジュラしかやってないんですけど(笑)
ゼルダって難しい印象があるのでなかなか手を出せないんですよね。
でも、今回はPV見てオープンワールドと知り、ちょっとやりたくなりまして!
いつ発売なんだろうと思ってたら意外と早くてびっくりしました。
まあ、以前から作ってるよーとは言ってたんですが。

さて、新作はまだ遊べないのでゼノブレイドと時のオカリナをやった時に気が付いたことをちょっと文章にしようかと思いキーボードパチパチしております。
実は新作の開発にゼノブレイドを開発した会社がかかわっております。
ゼノブレイドやゼノブレイドクロスのマップは個性があって広さがあってとても楽しく、そこをゼルダの伝説に活かしてほしかったのでしょう。
でも、実はゼノブレイドの導入部のマップの作りはゼルダの伝説の導入部のマップとそっくりなんです。

ゼルダの伝説時のオカリナの導入部

ゼルダの伝説時のオカリナは、コキリの村という小さな村で主人公リンクが目覚めるところからスタートします。
コキリの村は成長しない子供たち(衣装もピーターパンっぽいですね)の暮らす村で周りが崖に囲まれていて狭く、もやがかかっていて暗っぽくなっています。
その小さな世界からやがて広い世界に旅立つのですが、広い平原へでる一歩手前に村の出入り口である場所があります。
そこは村よりもさらに狭く、それまで鳴っていたBGMもなく環境音(鳥や虫の声)のみ。
そしてそこを出ると崖に挟まれた小道があり、向こう側に明るい草原が見えています。
ジャランと壮大なBGMがはじまり、広いハイラル平原が広がっている…それが時のオカリナの導入部です。

ゼノブレイドの導入部

ゼノブレイドの場合、時のオカリナと同じような部分が3回ぐらい続きます。
崖に囲まれた狭い草原の中からスタートします。
細い山道を下っていくと遠くに町が見えてきます。
その町がかなり広い。
入り組んでて一つのダンジョンのようです。
でも、ここは次のマップに比べると狭いマップです。
周囲を崖に囲まれているので空もあまり見えない作りになっています。
次のマップへ向かうには、洞窟を通ります。洞窟なので狭く、そして暗い。
ダンジョンにもなっていますので比較的長い時間そこにいることになります。
そこを抜けると、一部が海の向こうまで見える崖のある小さな草原です。
ゼノブレイドは音楽も特徴的なゲームなのですが、ここは唯一BGMがなく環境音のみのマップになります。
お気づきでしょうか。
ゼルダの伝説にも出てきましたね。
このマップを抜けた先に、このゲームを印象付けるマップである平原があります。
一度開けた場所に出た後、また崖に挟まれた小道を抜けます。
この崖が結構高さがあるので光が遮られ薄暗くなっており、抜ける先の平原が明るく見えています。
そこまで走っていくとBGMがジャンっとはじまります。

強調という手法

この二つのゲームはあえて狭いマップを与えることで次のマップの広さを強調する手法をとっています。
また、他にも丘を作ることで先を見えなくしてより広さを感じさせる作りになっています。
けれど、単にだんだんと大きくするだけだと意外とわからないものです。
髪の毛が伸びていくのを想像してみてください。
毎日見てるとあんまり変化に気が付かないけど、久しぶりに会った人の髪の長さが違ってるのはわかりやすくないですか?
時間が続いていると、わかりづらいのです。
ゲームも連続した時間の中で行われる遊び。
だから、わかりやすくするために広いマップの前に狭いマップを挟み込むことでより広さを感じさせる作りになっているのです。

壮大なBGMが広いマップへ出た瞬間からなるというのも音楽を使った強調の手法と言えます。
そしてそれをいったん音を消してからやることで前のマップとの連続感をいったん打ち消して新たな気持ちにさせるのです。
それゆえにどちらのゲームも出だしが印象的になっています。

デザイン手法からゲームデザインをのぞいてみること

ちなみにこちら学生の頃にデザインの課題で扱って気が付いたものです。
一冊のデザイン技法書の中から一つ技法を選んでまとめ、それを使っていると考えられるものを自分で例として挙げる…そういう授業がありました。
そこで扱わせていただいた題材です。
A3一枚にまとめるのであまり詳しいことはできませんでしたが、ゲームをデザインの面からのぞいてみるというのもなかなか楽しいものでした。
身近なものから考えるとより理解もできますしね。

ゼルダの伝説時のオカリナは20年ほど前の作品です。
でも、それでもそのマップ作りはとても優れており、リメイク作でマップの作りを古く感じさせなかったのだと思います。
突き詰めたデザインは古くならない…その一例を見たような気がします。

ゲームって実際やってみないとわからないことがたくさんありますので、ぜひやってみていただけると嬉しいです。

2017年1月13日金曜日

ゼノブレイド2発売決定!

Nintendo Switch発表会が開かれました

さて、本日はニンテンドースイッチの発表会が開かれました。
任天堂のHPから発表会の内容が観覧できますのでよろしければ、ご覧ください。
いろいろ、面白そうなゲームも紹介されておりましたね。
FE無双とか…FEはいろいろ挑戦してきますね。
ゼルダも楽しみですね。
なんとロンチタイトルです!3月3日がワクワクです。
さてさて、そのゼルダの開発にも協力したモノリスソフトがWiiで発売したRPGをご存知でしょうか?
その名は…「ゼノブレイド」
その続編が、なんとなんと発売決定!
もう、ワクワクです。

ゼノブレイドって何?

ゼノブレイドと言われても何それ?という方が多数かなと思います。残念ながら…
2010年にWii向けに発売されたRPGです。
ゼノギアスとかゼノサーガなら聞いたことあるという方もいるかもしれません。
その開発に携わってきた方が作ったRPGなのです。
とはいえ、任天堂も関わってきているので多分違うものかと思います(他はやったことないのでわかりません)
内容は王道のストーリー。少年漫画的な熱さに引っ張られていきます。
なんですけれども…私が一番好きなのは世界観というかマップの作り。
一つのマップがかなり広い。広いし、どこまでも走っていけるのです。
移動が徒歩なので上の方にはいけない場所もありますが、地続きならばどこまでもいける!ってぐらいに広いです。
そして、どこもかしこも飛び降り可能。
ペナルティも気にするほどじゃないので、いくらでも落ちてHPなくなっても気にせず探索ができます。
探索がこんなに楽しいゲームは本当に久しぶりに遊んだなと思って何時間も遊びました。

99時間59分遊べるRPG

RPGよくやる方はむしろ少ない!とか思うかもしれません。
実はこれ、ゼノブレイドを遊んだ方ならわかるちょっとしたギャグ。
このゲーム、プレイタイムが99時間59分までしかカウントされないのです(笑)
(やはり少ないと思ったのか、3DSに移植された際にはもっとカウントされるようになりました)
実際、私がこのプレイタイムに到達したとき、まだゲームは終盤に差し掛かるかどうか、人によってはまだ中頃かなという場面でした。
もちろん本筋だけ進めていたらこの時間で十分足りるんですけれども、このゲームの醍醐味はキズナグラムと呼ばれるものにあり、それを埋めているとどんどん時間が経っていってしまうのです。
キズナグラムとはキズナと名がついているように、町の住人達の関係を線でつないでいって可視化したもの。
それが、主人公たちがサブクエストをクリアして行ったりすることで埋められていくのです。
面白いのが、サブクエストの選択肢などでキャラクターの関係がかわっていくところ。
それにサブクエストをクリアすることによって、その世界で暮らす人々がどんな暮らしをし、どんな思いで生きているのかもわかってくるのです。
世界中を歩き回りまだ見ぬ光景を探す楽しさ、そして人々の暮らしを探求していく楽しさ。
個人的に、ドラクエなんかで人のうちのタンスを開けて回り、町の人にひとり残らず声をかけていくような遊び方をしていたタイプは好きなんじゃないかと思っています。

そんなゼノブレイドの続編(?)ゼノブレイド2発売決定!

実はゼノブレイドクロスっていうのもあったんですけどね。
タイプの違うRPGだったので私はちょっと…って感じでした。
(少し遊んでみたんですがクエスト受注型っていうのはどうも私は合わないみたいで…)
でも、今回は正統派というか路線はそのままって感じのようですね。
キャラデザはちょっとアニメちっくよりになりましたが。
実際遊んでみてどうなるかはまだ未知数。
とはいえ、綺麗に終わったので2と名を冠したものが発売されるとは思ってなかったのでもうワクワクしております。
しかも予定では今年中には遊べるみたいじゃないですか!
久しぶりにゲームが楽しみです。

そうそう、ゼノブレイドといえばノポン族という可愛い生き物がおります。
見た目は丸っこくて長い手がウサギの耳みたいな生き物。
あれが好きです。
彼らが仲間になって一緒に戦えたらいいな♪

2016年12月22日木曜日

祝「聖闘士星矢セインティア翔」アニメ化決定

セインティア翔アニメ化決定おめでとう!

12/19発売のチャンピオンREDにてアニメ化決定の報が出されました。
放映(かな?)楽しみです。

といいますのも、私「聖闘士星矢」が大好きなんです。
こないだも予約はじまった3万ぐらいするフィギュア(とは言っても2体セットですけどね)をさっと予約したぐらい好きです。
世代とは違うのではじめて読んだのは5年ぐらい前。
たまたま息抜きにどう?と勧められて読んだのがきっかけです。
それまでは、名前は聞いたことあるようなぐらいの認識でしたが、シンプルなストーリーながら勢いのある展開が逆に新鮮でハマりました!

で、このセインティア翔という作品は、聖闘士星矢の数ある派生作の一つ。
せっかくアニメも始まることですから、これから星矢を読んでほしい!ということで作品紹介していきたいと思います。

「聖闘士星矢」

まずはこれ、原作たる聖闘士星矢!
80年代後半に車田正美先生が描いたギリシャ神話をモチーフに、神と人との戦いを描いた作品です。
ギリシャ神話というと煌びやかというか華やかというか…そんなイメージであろうかと思いますが、はっきり言ってそんなものはない。
聖闘士がまとう聖衣(クロス)と呼ばれる鎧はキラキラ煌めいてますし、車田先生の描くキャラクターは目が大き目でイケメン系に描かれてたりするので見た感じは煌びやかな風もありますが、中身は泥臭い世界です。
何せ、聖闘士は男しか本来なれないのです。
女子が聖闘士になりたいなら仮面で顔を隠し、女であることを捨てなければいけないのです。
男の世界です。
キャラクターたちは、どこか武士道とか仏教思想とか、登場人物は主人公以外はほぼ外国人なのですがどこかしらみな日本的な思想というか雰囲気がします。
そんなギャップが個人的に好きですね。

彼らは、地上を他の神々の魔の手から守る女神アテナを守護する者たちです。
なんですけれども…いやー最初の物語は言ってしまえば内輪もめ(笑)
女神アテナの力を信じられなくて聖闘士の最高位である黄金聖闘士の男が彼女を殺そうとしたことがそもそもの物語の始まりだったりするのです。
でも、そんな事件があったからこそその後は一致団結できるのかも。
そんなストーリー展開が面白いです。
ストーリーはシンプル、勢い重視。
近年の設定の練られた作品に比べるとやや物足りないかもしれませんが、説明がストーリーを展開するのに必要なだけで構成されているので自分であの描写はこうだったのではないか?ああだったのではないか?と考えるのが逆に楽しいかもしれません。

というか私は、それが楽しいです。
限られた描写から謎を解く。
そんな読み方が楽しい作品だと思っています。

「聖闘士星矢セインティア翔」

ではでは、アニメ化も決定したセインティアのご紹介。
こちら、派生作品の中では新しい作品です。
先ほど、聖闘士は男しかなれないと言いましたが、こちらの主人公は女の子。
あ、決して女体化ではありません(笑)

主人公は聖闘士の中であって、女子しかなれない聖闘少女(セインティア)なのです。
言ってることが違うじゃないか!と言わないでくださいね。
セインティアとは、女神であるアテナの身の回りの世話をするため特別に少女のまま聖闘士になることを許されているのです。
この作品は、このセインティアを中心に原作の裏側を描くストーリーとなっております。
主人公の翔子は、聖闘士のことも、もちろんセインティアのことも知らなかった少女なので、そのあたりの説明もあるので聖闘士星矢を知らなくても読み進められるかと思います。
とはいえ、やっぱり派生ですから星矢を知っていると楽しいですけどね。

それからイラストレーターでもあった久織ちまき先生のイラストは綺麗ですね!
アニメ化で公開された絵は原作アニメ寄りの絵になっている点がちょっと残念。

原作とはうって変わって女の子だらけの作品なのも新鮮です。
ちょっぴり女の子っぽいあれやこれもあったり…
とはいえ、これを書くにあたって少年漫画をいろいろ読んだと言っていたのもあり、少年漫画してるおもしろい作品。
ぜひ、読んでみてください。

他にも派生いろいろ…

数年前、朝に聖闘士星矢Ωなんて作品がやってたのを聞いた方もいるのでは?
実は聖闘士星矢今年は30周年を迎えた年でもあったのですが、派生作品たくさんあるんです。

派生ではなくて原作者が描いてる続編であり過去を描く「聖闘士星矢冥王神話NEXT DIMENSION」
その過去と同じ時代のパラレルワールド「聖闘士星矢冥王神話Lost Canvas」
原作の7年前、黄金聖闘士をメインに描いた「聖闘士星矢EpisodeG」
原作のあと、未来を描いた「聖闘士星矢EpisodeGA」
マンガだけでもこれだけあります。

これだけいろいろ作れるのは、根幹の設定がしっかりしていることと、詳しく説明しなかったからこそある物語の余裕のおかげかなと思います。
それから・・・作者の姿勢ですかね。
原作連載当時、アニメも同時進行ぐらいでやっていたのですが、アニメで出された設定を作者が華麗に無視してるんですよね(笑)
気に入ったものは取り入れる、でも、他は知らない。
好きにやってくれというスタンスだからこそ、いろんな作品が作れるんだと思います。
なので、私も派生作は好きにやってくれたらいいと思ってます。
なにせ、たとえ他の人が好きにやってくれても原作は揺らがない、という信頼があるから。
安心して見てられるんですよね。
長くアニメ見てたり、シリーズもののゲームやってたりすると、そういうのは求めてなかったんだけどな…とか思ってしまう瞬間があって冷めちゃうことが多々あったので、これは本当に安心できます。

ぜひともこの機会に、星矢ワールドを楽しんでみてはいかがでしょうか?
難しいことはありません。
要は小宇宙です。

2016年12月11日日曜日

「君の名は。」を見てきました

今更ながら「君の名は。」を見てきました

今年の話題の映画の一つといえば「君の名は。」だと思います。
普段あまり映画館に行かないので、話題になってるし見に行こうかなと思いつつも足を運ぶことがなく…ようやく見に行ってまいりました。
ラブストーリーっていうのが苦手なところもありましてどうなんだろうと思いつつ…
田舎かつ平日ゆえに人は少なかったものの、ちょっと年のいった感じの夫婦なんかが見に来ていて、アニメ映画に親子連れでもなければ若い人でもないそういう年齢層だけできていることに、話題になるってこういうことなんだなと感じました。

背景の綺麗さ

すごく個人的な話をします。
私は漫画なんか趣味で描いたりするんですが、背景を書くのがすごく嫌いです。
細かい労力を使うわりに、漫画を自分で読んでて思うのですが背景なんてほとんど見てない。

で「君の名は。」なんですけど、とてもきれいです。
監督さんの名前を聞くときだいたい背景がすごいとか言われてたので、これは確かにすごいなと思いました(しかも、これで今回はそこまで力を入れてないらしいからすごい)
そして、その中にちゃんとキャラクターが生きている。
その中になじんでいる。
そこがいいなと思いました。
雄大な自然を描くからこそ、悲劇が浮き彫りになる。
そんな気がします。
背景の綺麗さがあるからこそ、生まれる感情がある感じです。
背景なんて、どこにいるかとかそんな情報さえわかればいいと思っていましたが、こだわることでこんなにもいろんな情報を載せることができるのかと、はっとさせられました。

綺麗だからこその悲劇性

さて、ここからはネタバレが入ります。
数か月前に公開された映画とはいえ一応お気を付けください。

ストーリーの後半。
急に入れ替わりが起こらなくなって、主人公の一人の瀧は自分が見た風景を頼りに三葉に会いに行こうとします。
そこが岐阜県の飛騨地方というところまではわかったのですが、どうしてもその場所がわからない。
もう、帰らないと…そんな時間になって入ったラーメン屋で、自分が見た風景を頼りに描いた三葉の暮らした町の絵を取り出しているとふいにラーメン屋の店員がその場所の名前を教えてくれました。
夫がその町の出身だったのです。
しかし、その町は3年前に失われていました。
彗星から分かれて落ちた核が隕石となってその町を破壊したのです。
その風景はまるで2011年の東日本大震災によって失われた町を思わせる風景。
そして、被害者名簿の中には瀧が三葉として仲良くしていた友人、そして三葉自身の名が刻まれていました。
ついこないだまでいたはずの存在が、失われていた。
ついこないだまであった場所が失われていた。
何度も何度も描かれた風景だからこそ、その悲惨さが浮き彫りになりました。

聖地巡礼

今年の流行語大賞に「聖地巡礼」がノミネートされました。
以前は、おたくと呼ばれる人たちが漫画やアニメの舞台やモデルとなった地へ出かけるものでしたが、流行語大賞にノミネートされるということはおたく以外の人たちも聖地巡礼をしたくなったからでしょう。
背景が綺麗に描かれているからこそ、その場所に行ってみたいと思うのでしょう。

そしてもう一つは、描かれた物語が魅力的だった、共感できたからこそだと思います。
主人公である瀧が三葉の暮らしている糸守に行きたくなったことと同じことではないでしょうか。
そこにある何かに共感できる、だからキャラクターと同じ風景が見たい。
三葉がいるから、だけではなかったはずです。
彼女が暮らした世界をもう一度自分の目で確かめたかった、夢ではなかったと確信したかったから、だと思います。

キャラクターはキャラクターのみでは存在できない

背景とは、彼らが暮らす世界です。
田舎に暮らしているからこそ、カフェに憧れ東京に憧れた三葉がいます。
彼らの性格や個性は暮らしている世界が密接に関わってくるものだと思うのです。
それは見ている風景としての背景だけではありませんが、その一つである風景を緻密に描くことでキャラクターのいる世界を生かしているのだと思いました。

やる気とメンタルと体調

 やる気というのは意外と体調に影響を受ける。 いや、考えてみれば当たり前だった。だって、風邪をひいてる時に、よし!何かを始めよう!なんて気にはならない。病気の時なら簡単に気が付くのに、例えばちょっと疲れてるとかそんなときはわからないものだ。 メンタルも疲れてる時は駄々落ちする。人...