2017年3月5日日曜日

リセットと命の重さーリセット上等ファイアーエムブレム

最近はどうだか知らないけど、私が子供の頃には「ゲームは死んでもリセットすれば簡単に生き返る。だから命を軽視する」というような批判がされていた。
わざわざリセットしなくても生き返るけど…とか子供の頃に思ったものだけど、まあ、それは置いといて。

簡単に生き返ることが命を軽視することになるのかどうか、ふと、2012年発売のファイアーエムブレム覚醒と2002年発売のファイアーエムブレム封印の剣を遊んでいて思った。
ファイアーエムブレムシリーズは、CMで手ごわいシミュレーションなんて歌っていたりして、死んだ仲間は生き返ることはないゲームだ。
どういうことかというと、戦いの最中にHPが0になると二度とゲーム上では扱えなくなるのだ。
復活の呪文とかアイテムとかそういったものは存在しない。
生き返らせるには、その死をなかったことにする以外ない。
生き返らせたければ、リセットする以外ないのだ。
つまり、批判されていた「リセットすれば簡単に生き返る」ゲーム。
そんな手ごわいシミュレーションゆえに初心者は敬遠しやすい。
だから近年、カジュアルモードというモードが搭載されるようになった。
このモードでは、HPがなくなったキャラクターは戦線から撤退した扱いになるので、次の戦場へ移れば再び扱うことができるようになる。
私はシミュレーションゲームというのがどうも苦手で封印の剣は結局途中で詰まってしまった。
そんな私にとって、カジュアルモードというのは救いの一手のようにも思えた。

下手くそな人間にとっては、とてもよいモードである。
しかし、ふと、なんだか命を軽く見ているようなそんな気分になった。
死んだわけではないのだけれど。
それまではマップクリアと味方の犠牲をなくすことを両立させようと必死だったのに、死なないならクリアが優先ということになってしまったものだから、最初は撤退に対してもうまくいかなかったな…とか残念がったものなのに、慣れてくるとこいつ防御力低いなとかそんなことしか思わなくなっていた。
リセットすれば生き返る方が、ずっと、キャラクターを大事にしていた気がする。

リセットすれば生き返るということを言いだした人は、一つわかっていないことがあったのだ。
最近は直前からやり直せるゲームもあるけれど、私が子供の頃のゲームの大半は、セーブしたポイントからしか再開できなかった。
セーブできるポイントもだいたい決まっていた。
頑張って進めて、もうすぐクリアできるところまで進んでいた。
リセットするということは、その頑張った記録をなかったことにして、やり直すということなのだ。
ファイアーエムブレムの場合、マップ開始のはじめしかセーブできなかったから、いいところまで行っていたとしても、はじめからやり直しということになる。
リセットするということは、死以外のゲーム上の経験もすべてをやり直すことなのだ。
それも、数十分、長いと1時間とか2時間とかかけた時間をすべてだ。
生き返えらせるということは、代償がある。
だからこそ、慎重になる。
だからこそ、死が重たかった。

つまり、結局のところ、リセットと命の重さ、軽さは関係なくて、いかに描写するか、どう扱うのか、ということに尽きる。
カジュアルモードは、そのマップで使える兵士が一人減る以外の代償がないから、別にいいかと思えてしまうだけなのだ。
例えば、撤退回数が上限を越したら、兵士としては引退、二度と使えなくなるとかそういうシステムであればもう少し考えるかもしれない。
ゲームのシステムというのは意識しないかもしれないけど、ストーリーや目に見えるキャラクターや背景と同じく世界観をあらわしてくれるもの。
キャラクターのパラメータを見て、このキャラクターは筋骨隆々の見た目通り力が伸びやすいんだとか、戦士なのに意外と魔力が伸びやすいとかそんな個性を感じたりしたことないだろうか。
RPGとか、ああいうゲームプレイの合間にストーリーが差し込まれるタイプのゲームはストーリーよりゲーム部分に触れてる時間が長い。
だから、見た目は好みじゃなくても戦闘で使いやすいキャラクターに愛着が湧いたりなんてこともあったりする。

触れられる部分すべてが、ゲームの世界を作り出す。
リセットすることさえも、ゲームの一部。

0 件のコメント:

コメントを投稿

やる気とメンタルと体調

 やる気というのは意外と体調に影響を受ける。 いや、考えてみれば当たり前だった。だって、風邪をひいてる時に、よし!何かを始めよう!なんて気にはならない。病気の時なら簡単に気が付くのに、例えばちょっと疲れてるとかそんなときはわからないものだ。 メンタルも疲れてる時は駄々落ちする。人...