2017年1月27日金曜日

働かなくてもいい世界

AIの遺電子

「AIの遺電子」という作品をご存知でしょうか。
週刊少年チャンピオンで連載されている一話完結のマンガです。

AIの遺電子試し読み
三話まで読めます。

さて、私はたまにしかチャンピオンを買わないので時々読むだけなのですが、この漫画はなかなか面白いなと思っています。
(たまにしか買わないのは、聖闘士星矢の続編が年に単行本一冊分ぐらいしか載ってないから。近々単行本を買おうかなと思っています)
AIと言うと最近では将棋ソフトとかそんなまだまだ機械的なイメージですが、この漫画では人とかわらない姿のヒューマノイドが人間とともに暮らしています。
ヒューマノイドが暮らしていると言っても、スターウォーズとかスタートレックのようなSF的未来ではなく、今の延長線上にあるような、平凡な日常とでもいいますか、そんな暮らしの中にヒューマノイドも暮らしている…そんな世界の物語です。
彼らは人間との違いに悩んだり、はたまた人間が彼らの存在に悩んだり…ヒューマノイドというロボットを登場させているSFではあるけれど、科学に詳しくない私でも日常の中の人間の悩みとか喜びとかそういった物語(というとおかしいのかもしれないけど)みたいな感覚で読める作品です。

働かなくてもいい世界

さて、このタイトルに書いたことは今週号を読んでいてはじめて知った設定です。
たまにしか読まないので読者には周知の事実だったりするのかもしれませんが…
この世界は、社会保障が充実しているので働かなくても生活していけるようなのです。
ロボットはヒューマノイドだけではありません。
今も使われているような産業用ロボットも今以上に発達している世界なのでしょう。
それでも働く人もいる。今週号のお話はそんな働きたい一人の男のお話です。
ざっと今週号のお話を書いてみます。

今回のお話の主人公になる男は、デザイナーとして働き、やる気のない部下に叱咤し、その姿が他の社員から煙たがられているようなそんな雰囲気さえあります。
社長にも、新人にはもう少し優しくしないとと言われてしまいます。
そんな彼がストレスのせいか腹を下してしまいトイレに行くと、トイレの手洗い場でいい香りがしていることに気が付きます。
そこには清掃員の男がいて、その匂いは彼が手洗い場に飾った花からしていたのでした。
彼は、清掃などロボットにさせればいいのになんで清掃員を雇っているのか?、この男はこんな仕事で満足しているのか?と少々見下していました。
デザインという仕事はAIなどのロボットにとってかわられることのない仕事で、自分はそういう創造的な仕事をしているのだという自負のあった彼にしてみればロボットにもできる仕事をしている男は見下す対象でしかなかったのです。
けれど、いつしかそのデザイナーの仕事もAIにとってかわられることになってしまうのです。

こんな感じのお話です。
働かなくてもいい世界だからこそ、人間が働くということに意味を見出さなくてはならないのですが、このお話の主人公の男は、創造性のあるデザイナーの仕事は人間がやる意味があるのだと考えていました。
けれども、その仕事も効率性を考える社長からAIにとって代わられてしまうのです。
実はラストで、転職するために別の会社を受けに来た男と、清掃員だった男が会社の傍で出会います。
何故かというと、その清掃員だった男も前の会社を辞めてデザイナーだった男が受けに来た会社でまた清掃員をしていたからです。
何故また会社を辞めて清掃員になったんだ?と聞く男に答えます。
トイレの清掃は確かにロボットができる。
でも、以前の会社でみんな腹を下していたことに気が付いてせめてトイレは居心地のいい場所になるように花を置いたりしていた。
そういう無駄に見える部分が人間にしかできない仕事なんじゃないかと思ったのだと。
それにやりがいを感じているから、また清掃員になったのだと彼は言いました。

10年後になくなる職業

以前オックスフォード大学が10年後になくなる職業を予測した記事が発表されていたことがありました。
それらはコンピュータの発達によって自動化され、人間の手を必要としなくなるゆえになくなる職業とされていました。
このまま時代が10年20年と進めば、多くの仕事は人間がやる必要がなくなるのではないでしょうか。
人間がやらなければいけないと思っていた職業さえもきっとそうなるでしょう。
ヒューマノイドが老いもせず、人間とかわらない思考と人間と違う膨大な記憶を持てるのならきっとそうなるでしょう。
以前そういう世界はどういう世界かを考えたことがあります。
機械の生み出す利益を人間に還元することで、社会保障が充実し働く必要のない世界が生まれるのではないかと。
その時人は何をして、どう暮らすのでしょうか。
AIの遺伝子では、人は今と変わらず暮らしているようなのですがそこに暮らしている人々はきっと今の人と違う感覚で生きているのだと思います。

そういう世界で生きていく

働かなくても生きていける世界に近いことがすでに実験として開始されています。
聞いたことがある方もいるかもしれません。
市民に毎月一定の金額を支給する「ベーシックインカム」という制度です。
現在、まさに今年の一月からフィンランドでその制度を実験的に導入しているようです。
今後どうなるのか…それによっては世界の社会保障制度も変わってくるのではないでしょうか。
もちろんデメリットも議論されています。
毎月何もしなくても一定の額が支給されるわけですから、仕事をしない人が増えて生産性が下がるとか、その財源はどうするのかとか…
ただ、毎月何があっても一定の収入を得られる安心感と、収入の制限がないので現在の生活保護のように収入によって制限されるためにかえって働くことができないでいる…ということもなくなるのではないでしょうか。

さて、人が仕事をしなくてもいい世界で、働かなくてもいい世界で、どうやって生きていけばいいのでしょう。
そんな世界が来るのはいつだかわからないけれど、案外こういうのは思っているより早く来てしまうものなのではないでしょうか。
私が子供の頃に、板みたいなスマホを見せられてもそれが電話だなんて携帯電話がすでに存在していたころでも思わなかった気がするけど、たったの十年ぐらいの間に携帯は薄くなってPC並みのことができるようになってしまった。
技術の進歩は人が考えるよりきっと早い。
アトムは2004年に生まれなかったけど、ドラえもんは2112年より前にできてしまうかもしれない。

2017年1月20日金曜日

ゲームで描かれる死

ゲームで死を描くことはできないのか

最近はどうなのかわかりませんが、よくゲームに対する批判としてリセットできるから命を軽く見てしまう…というものがありました。
でも、私は子供の頃にそんなことはない、むしろゲームにしか描けない死があるのだと考えていました。
そう考えるにいたったのはあるゲームソフトを遊んだからです。
そのゲームに描かれた死は、いまだに心に響いています。

さて皆さんはゲームで描かれた死というとどんなものを思い浮かべるでしょうか?
相手の兵士を撃ち殺し、名もなき兵を槍や剣でなぎ倒しその数を競う。
批判する人が思い浮かべるのはこういう死でしょうか?
もしくは、ストーリーのあるゲームで仲間や味方、力のない市民が死ぬ。
FF7はやったことがないのですが、それでもエアリスの死というのは聞いたことがあります。
仲間だったキャラクターが死んでしまうのは衝撃的ですね。

でも、私が思い浮かべるのは、そういう戦いを題材にしたゲームではありません。

牧場物語2というゲーム

子供の頃、ゲーム雑誌を読んでいてふと惹かれたゲームがありました。
その雑誌に、ゲーム内で女の子と仲良くなっていく様子が日記形式で紹介されていたゲームです。
それが「牧場物語2」でした。
その名の通り、荒れ果てた牧場を立て直し繁栄させていくゲームです。
私がはじめて自分で情報を得てほしいと思ったゲームで、発売日を楽しみにしていました。
牧場を経営しながら、女の子だけでなく村の住民と仲良くなって打ち解けていく(仲良くなるとセリフがかわっていくのです)過程が面白くて、何時間も遊んでしまいました。

ゲームというのは住人に変化が乏しいことが多い。
牧場を運営するゲームなので、季節が移り変わり年が一年二年と過ぎていくのですが、小さな子供はいつまでたっても子供のままだし、大人たちも見た目に変化なんてない。
でも、ゲームというのはそういうものだと思っていたので、だからこそ、住人との関係がかわっていくことが面白かったのです。
その中に一人の老婆がいました。
いつも庭先でロッキングチェアに座っているおばあさんは、住んでいる家が町の入口付近ということもありいつも目に入ります。
私は、そのおばあさんにも山に落ちていた木の実なんかをプレゼントしていました。
(このゲームでは特定のキャラクターに特定の食材をプレゼントするとレシピを教えてもらえることもあり、いろいろプレゼントしてまわっていたのです)
夏になってクルミをプレゼントしたら、クルミのケーキのレシピを教えてもらえました。
ああ、仲良くなってきた。そう思っていた矢先。
ある日、いつものように話しかけると急にイベントがはじまりました。
イベントがはじまるとセリフ送りにボタンを押す以外の操作を受け付けません。
一体何がはじまるのか、ちょっとワクワクしつつ眺めていると。

そのおばあさんは眠るように亡くなってしまったのです。
衝撃的でした。なんの前触れもなかったのですから。
え?なんで?と思うことしかできません。
イベントが起きるとゲーム内の一日が終わってしまうのですが、その時もおばあさんの葬式が行われ火葬されたのを表すように一筋の煙が空に立ち上る絵があらわれ、主人公のセリフがかぶさって暗転し、そして夜が明けて次の日になってしまいました。
次の日は何事もなかったかのように始まるのです。
いつものように、畑に植えた作物に水をやり、ニワトリや牛たちに餌をやり…
そうしなければ、作物は育たないし、動物たちに至っては死んでしまうこともありました。
むしろ、いつもの毎日を続けなければいけません。
町に出ると、おばあさんには孫娘がいたのですが、その彼女も泣いて目を赤くしてはいるものの、いつものように働いていました。
周囲の人たちも彼女を気遣うセリフをしゃべりますが、それも長くは続きません。
いつものように日々は過ぎていきます。
ただ、そうやって周りがかわらないがゆえに、いつもいたはずのおばあさんがそこにいない事がはっきりわかってしまうのです。
けれど、私自身もいつの間にかその悲しみを忘れていきます。
そこにいないことが当たり前になります。
そうやって日々が過ぎていくのです。

攻略本を読んで知る衝撃の事実

ゲームを買ったら攻略本を読む、というのが当時の私の好きなことでした。
ゲームってアニメや特撮とかと違って、例えばセーラームーンとか仮面ライダーとかなら主人公が浸かっているアイテムがグッズとして売られたりするわけですけど、とにかく関連商品が少なかった。
だから、ただゲームを攻略するためだけでなく、好きなゲームの世界に浸るアイテムとして攻略本を買っていたのです。
それを読んでいて、ある事実に衝撃を覚えました。
なんと、あのおばあさんは仲良くなっていくと死んでしまうイベントが発生するということだったのです。
つまり、話しかけたりプレゼントをあげなければ死なないのです。
ビックリしました。
主人公がやったことが、キャラクターの死につながるなんて。
それが例えば、RPGで敵として倒したからとかならわかります。
けれど、このゲームはそうじゃない。
ただただ、驚きでした。

そして私はある決断をします。決断と呼ぶのはちょっと仰々しいですけど。
このゲームは好きな女の子と結婚できます。
ただ、どの子もみんな魅力的ですし、ゲームとして遊べるならいろんな子と結婚した生活を見たい。
だから、何度も新しくゲームを始めるわけなんですが、そのたびにおばあさんを死なせることにしたのです。
(なんだか文字にすると物騒です…)
何故か。
死なせないために、仲良くしないってどうなんだろう。
そう思ったのです。
ゲームのキャラクターなんだからそんなこと気にしなくてもいいじゃない、そう思うかもしれません。
でも、あのころの私はそう思ったのです。
この物語は、こうして

物語として死を描くと

私自身、趣味で物語を描くことがあるのですが、作品の中に死を描くとどうしてもそこに至るまでを描く必要があると感じます。
もちろん突拍子もなく死んでしまう描写を描くことはできないことはないのかもしれませんが、ただ、それはセオリーを逸脱したゆえの面白さだったりして何度も使えるわけじゃない。
キャラクターが死ぬということは、それだけで物語の盛り上がりにできる出来事です。
嘆きや悲しみ、それを乗り越えていくこと。
十分物語のメインになる題材です。

だからこそ、このゲームに描かれた死はゲームにしか描けない死だと思うのです。
生活の中にある、親しい人との別れを体験する。
体験させる。
それができたのが、このゲームだったと思うのです。

だからこそ、私はゲームを遊ぶことで命を軽視するというのは違うと思うのです。

2017年1月19日木曜日

ゼノブレイドとゼルダの伝説

ゼルダの伝説ブレスオブザワイルドは3月3日発売です。

あと一か月ちょい待てば遊べると思うと、もうワクワクがとまりません。
ゼルダの伝説は夢を見る島と時のオカリナとムジュラしかやってないんですけど(笑)
ゼルダって難しい印象があるのでなかなか手を出せないんですよね。
でも、今回はPV見てオープンワールドと知り、ちょっとやりたくなりまして!
いつ発売なんだろうと思ってたら意外と早くてびっくりしました。
まあ、以前から作ってるよーとは言ってたんですが。

さて、新作はまだ遊べないのでゼノブレイドと時のオカリナをやった時に気が付いたことをちょっと文章にしようかと思いキーボードパチパチしております。
実は新作の開発にゼノブレイドを開発した会社がかかわっております。
ゼノブレイドやゼノブレイドクロスのマップは個性があって広さがあってとても楽しく、そこをゼルダの伝説に活かしてほしかったのでしょう。
でも、実はゼノブレイドの導入部のマップの作りはゼルダの伝説の導入部のマップとそっくりなんです。

ゼルダの伝説時のオカリナの導入部

ゼルダの伝説時のオカリナは、コキリの村という小さな村で主人公リンクが目覚めるところからスタートします。
コキリの村は成長しない子供たち(衣装もピーターパンっぽいですね)の暮らす村で周りが崖に囲まれていて狭く、もやがかかっていて暗っぽくなっています。
その小さな世界からやがて広い世界に旅立つのですが、広い平原へでる一歩手前に村の出入り口である場所があります。
そこは村よりもさらに狭く、それまで鳴っていたBGMもなく環境音(鳥や虫の声)のみ。
そしてそこを出ると崖に挟まれた小道があり、向こう側に明るい草原が見えています。
ジャランと壮大なBGMがはじまり、広いハイラル平原が広がっている…それが時のオカリナの導入部です。

ゼノブレイドの導入部

ゼノブレイドの場合、時のオカリナと同じような部分が3回ぐらい続きます。
崖に囲まれた狭い草原の中からスタートします。
細い山道を下っていくと遠くに町が見えてきます。
その町がかなり広い。
入り組んでて一つのダンジョンのようです。
でも、ここは次のマップに比べると狭いマップです。
周囲を崖に囲まれているので空もあまり見えない作りになっています。
次のマップへ向かうには、洞窟を通ります。洞窟なので狭く、そして暗い。
ダンジョンにもなっていますので比較的長い時間そこにいることになります。
そこを抜けると、一部が海の向こうまで見える崖のある小さな草原です。
ゼノブレイドは音楽も特徴的なゲームなのですが、ここは唯一BGMがなく環境音のみのマップになります。
お気づきでしょうか。
ゼルダの伝説にも出てきましたね。
このマップを抜けた先に、このゲームを印象付けるマップである平原があります。
一度開けた場所に出た後、また崖に挟まれた小道を抜けます。
この崖が結構高さがあるので光が遮られ薄暗くなっており、抜ける先の平原が明るく見えています。
そこまで走っていくとBGMがジャンっとはじまります。

強調という手法

この二つのゲームはあえて狭いマップを与えることで次のマップの広さを強調する手法をとっています。
また、他にも丘を作ることで先を見えなくしてより広さを感じさせる作りになっています。
けれど、単にだんだんと大きくするだけだと意外とわからないものです。
髪の毛が伸びていくのを想像してみてください。
毎日見てるとあんまり変化に気が付かないけど、久しぶりに会った人の髪の長さが違ってるのはわかりやすくないですか?
時間が続いていると、わかりづらいのです。
ゲームも連続した時間の中で行われる遊び。
だから、わかりやすくするために広いマップの前に狭いマップを挟み込むことでより広さを感じさせる作りになっているのです。

壮大なBGMが広いマップへ出た瞬間からなるというのも音楽を使った強調の手法と言えます。
そしてそれをいったん音を消してからやることで前のマップとの連続感をいったん打ち消して新たな気持ちにさせるのです。
それゆえにどちらのゲームも出だしが印象的になっています。

デザイン手法からゲームデザインをのぞいてみること

ちなみにこちら学生の頃にデザインの課題で扱って気が付いたものです。
一冊のデザイン技法書の中から一つ技法を選んでまとめ、それを使っていると考えられるものを自分で例として挙げる…そういう授業がありました。
そこで扱わせていただいた題材です。
A3一枚にまとめるのであまり詳しいことはできませんでしたが、ゲームをデザインの面からのぞいてみるというのもなかなか楽しいものでした。
身近なものから考えるとより理解もできますしね。

ゼルダの伝説時のオカリナは20年ほど前の作品です。
でも、それでもそのマップ作りはとても優れており、リメイク作でマップの作りを古く感じさせなかったのだと思います。
突き詰めたデザインは古くならない…その一例を見たような気がします。

ゲームって実際やってみないとわからないことがたくさんありますので、ぜひやってみていただけると嬉しいです。

2017年1月13日金曜日

ゼノブレイド2発売決定!

Nintendo Switch発表会が開かれました

さて、本日はニンテンドースイッチの発表会が開かれました。
任天堂のHPから発表会の内容が観覧できますのでよろしければ、ご覧ください。
いろいろ、面白そうなゲームも紹介されておりましたね。
FE無双とか…FEはいろいろ挑戦してきますね。
ゼルダも楽しみですね。
なんとロンチタイトルです!3月3日がワクワクです。
さてさて、そのゼルダの開発にも協力したモノリスソフトがWiiで発売したRPGをご存知でしょうか?
その名は…「ゼノブレイド」
その続編が、なんとなんと発売決定!
もう、ワクワクです。

ゼノブレイドって何?

ゼノブレイドと言われても何それ?という方が多数かなと思います。残念ながら…
2010年にWii向けに発売されたRPGです。
ゼノギアスとかゼノサーガなら聞いたことあるという方もいるかもしれません。
その開発に携わってきた方が作ったRPGなのです。
とはいえ、任天堂も関わってきているので多分違うものかと思います(他はやったことないのでわかりません)
内容は王道のストーリー。少年漫画的な熱さに引っ張られていきます。
なんですけれども…私が一番好きなのは世界観というかマップの作り。
一つのマップがかなり広い。広いし、どこまでも走っていけるのです。
移動が徒歩なので上の方にはいけない場所もありますが、地続きならばどこまでもいける!ってぐらいに広いです。
そして、どこもかしこも飛び降り可能。
ペナルティも気にするほどじゃないので、いくらでも落ちてHPなくなっても気にせず探索ができます。
探索がこんなに楽しいゲームは本当に久しぶりに遊んだなと思って何時間も遊びました。

99時間59分遊べるRPG

RPGよくやる方はむしろ少ない!とか思うかもしれません。
実はこれ、ゼノブレイドを遊んだ方ならわかるちょっとしたギャグ。
このゲーム、プレイタイムが99時間59分までしかカウントされないのです(笑)
(やはり少ないと思ったのか、3DSに移植された際にはもっとカウントされるようになりました)
実際、私がこのプレイタイムに到達したとき、まだゲームは終盤に差し掛かるかどうか、人によってはまだ中頃かなという場面でした。
もちろん本筋だけ進めていたらこの時間で十分足りるんですけれども、このゲームの醍醐味はキズナグラムと呼ばれるものにあり、それを埋めているとどんどん時間が経っていってしまうのです。
キズナグラムとはキズナと名がついているように、町の住人達の関係を線でつないでいって可視化したもの。
それが、主人公たちがサブクエストをクリアして行ったりすることで埋められていくのです。
面白いのが、サブクエストの選択肢などでキャラクターの関係がかわっていくところ。
それにサブクエストをクリアすることによって、その世界で暮らす人々がどんな暮らしをし、どんな思いで生きているのかもわかってくるのです。
世界中を歩き回りまだ見ぬ光景を探す楽しさ、そして人々の暮らしを探求していく楽しさ。
個人的に、ドラクエなんかで人のうちのタンスを開けて回り、町の人にひとり残らず声をかけていくような遊び方をしていたタイプは好きなんじゃないかと思っています。

そんなゼノブレイドの続編(?)ゼノブレイド2発売決定!

実はゼノブレイドクロスっていうのもあったんですけどね。
タイプの違うRPGだったので私はちょっと…って感じでした。
(少し遊んでみたんですがクエスト受注型っていうのはどうも私は合わないみたいで…)
でも、今回は正統派というか路線はそのままって感じのようですね。
キャラデザはちょっとアニメちっくよりになりましたが。
実際遊んでみてどうなるかはまだ未知数。
とはいえ、綺麗に終わったので2と名を冠したものが発売されるとは思ってなかったのでもうワクワクしております。
しかも予定では今年中には遊べるみたいじゃないですか!
久しぶりにゲームが楽しみです。

そうそう、ゼノブレイドといえばノポン族という可愛い生き物がおります。
見た目は丸っこくて長い手がウサギの耳みたいな生き物。
あれが好きです。
彼らが仲間になって一緒に戦えたらいいな♪

やる気とメンタルと体調

 やる気というのは意外と体調に影響を受ける。 いや、考えてみれば当たり前だった。だって、風邪をひいてる時に、よし!何かを始めよう!なんて気にはならない。病気の時なら簡単に気が付くのに、例えばちょっと疲れてるとかそんなときはわからないものだ。 メンタルも疲れてる時は駄々落ちする。人...