2016年12月22日木曜日

祝「聖闘士星矢セインティア翔」アニメ化決定

セインティア翔アニメ化決定おめでとう!

12/19発売のチャンピオンREDにてアニメ化決定の報が出されました。
放映(かな?)楽しみです。

といいますのも、私「聖闘士星矢」が大好きなんです。
こないだも予約はじまった3万ぐらいするフィギュア(とは言っても2体セットですけどね)をさっと予約したぐらい好きです。
世代とは違うのではじめて読んだのは5年ぐらい前。
たまたま息抜きにどう?と勧められて読んだのがきっかけです。
それまでは、名前は聞いたことあるようなぐらいの認識でしたが、シンプルなストーリーながら勢いのある展開が逆に新鮮でハマりました!

で、このセインティア翔という作品は、聖闘士星矢の数ある派生作の一つ。
せっかくアニメも始まることですから、これから星矢を読んでほしい!ということで作品紹介していきたいと思います。

「聖闘士星矢」

まずはこれ、原作たる聖闘士星矢!
80年代後半に車田正美先生が描いたギリシャ神話をモチーフに、神と人との戦いを描いた作品です。
ギリシャ神話というと煌びやかというか華やかというか…そんなイメージであろうかと思いますが、はっきり言ってそんなものはない。
聖闘士がまとう聖衣(クロス)と呼ばれる鎧はキラキラ煌めいてますし、車田先生の描くキャラクターは目が大き目でイケメン系に描かれてたりするので見た感じは煌びやかな風もありますが、中身は泥臭い世界です。
何せ、聖闘士は男しか本来なれないのです。
女子が聖闘士になりたいなら仮面で顔を隠し、女であることを捨てなければいけないのです。
男の世界です。
キャラクターたちは、どこか武士道とか仏教思想とか、登場人物は主人公以外はほぼ外国人なのですがどこかしらみな日本的な思想というか雰囲気がします。
そんなギャップが個人的に好きですね。

彼らは、地上を他の神々の魔の手から守る女神アテナを守護する者たちです。
なんですけれども…いやー最初の物語は言ってしまえば内輪もめ(笑)
女神アテナの力を信じられなくて聖闘士の最高位である黄金聖闘士の男が彼女を殺そうとしたことがそもそもの物語の始まりだったりするのです。
でも、そんな事件があったからこそその後は一致団結できるのかも。
そんなストーリー展開が面白いです。
ストーリーはシンプル、勢い重視。
近年の設定の練られた作品に比べるとやや物足りないかもしれませんが、説明がストーリーを展開するのに必要なだけで構成されているので自分であの描写はこうだったのではないか?ああだったのではないか?と考えるのが逆に楽しいかもしれません。

というか私は、それが楽しいです。
限られた描写から謎を解く。
そんな読み方が楽しい作品だと思っています。

「聖闘士星矢セインティア翔」

ではでは、アニメ化も決定したセインティアのご紹介。
こちら、派生作品の中では新しい作品です。
先ほど、聖闘士は男しかなれないと言いましたが、こちらの主人公は女の子。
あ、決して女体化ではありません(笑)

主人公は聖闘士の中であって、女子しかなれない聖闘少女(セインティア)なのです。
言ってることが違うじゃないか!と言わないでくださいね。
セインティアとは、女神であるアテナの身の回りの世話をするため特別に少女のまま聖闘士になることを許されているのです。
この作品は、このセインティアを中心に原作の裏側を描くストーリーとなっております。
主人公の翔子は、聖闘士のことも、もちろんセインティアのことも知らなかった少女なので、そのあたりの説明もあるので聖闘士星矢を知らなくても読み進められるかと思います。
とはいえ、やっぱり派生ですから星矢を知っていると楽しいですけどね。

それからイラストレーターでもあった久織ちまき先生のイラストは綺麗ですね!
アニメ化で公開された絵は原作アニメ寄りの絵になっている点がちょっと残念。

原作とはうって変わって女の子だらけの作品なのも新鮮です。
ちょっぴり女の子っぽいあれやこれもあったり…
とはいえ、これを書くにあたって少年漫画をいろいろ読んだと言っていたのもあり、少年漫画してるおもしろい作品。
ぜひ、読んでみてください。

他にも派生いろいろ…

数年前、朝に聖闘士星矢Ωなんて作品がやってたのを聞いた方もいるのでは?
実は聖闘士星矢今年は30周年を迎えた年でもあったのですが、派生作品たくさんあるんです。

派生ではなくて原作者が描いてる続編であり過去を描く「聖闘士星矢冥王神話NEXT DIMENSION」
その過去と同じ時代のパラレルワールド「聖闘士星矢冥王神話Lost Canvas」
原作の7年前、黄金聖闘士をメインに描いた「聖闘士星矢EpisodeG」
原作のあと、未来を描いた「聖闘士星矢EpisodeGA」
マンガだけでもこれだけあります。

これだけいろいろ作れるのは、根幹の設定がしっかりしていることと、詳しく説明しなかったからこそある物語の余裕のおかげかなと思います。
それから・・・作者の姿勢ですかね。
原作連載当時、アニメも同時進行ぐらいでやっていたのですが、アニメで出された設定を作者が華麗に無視してるんですよね(笑)
気に入ったものは取り入れる、でも、他は知らない。
好きにやってくれというスタンスだからこそ、いろんな作品が作れるんだと思います。
なので、私も派生作は好きにやってくれたらいいと思ってます。
なにせ、たとえ他の人が好きにやってくれても原作は揺らがない、という信頼があるから。
安心して見てられるんですよね。
長くアニメ見てたり、シリーズもののゲームやってたりすると、そういうのは求めてなかったんだけどな…とか思ってしまう瞬間があって冷めちゃうことが多々あったので、これは本当に安心できます。

ぜひともこの機会に、星矢ワールドを楽しんでみてはいかがでしょうか?
難しいことはありません。
要は小宇宙です。

2016年12月11日日曜日

「君の名は。」を見てきました

今更ながら「君の名は。」を見てきました

今年の話題の映画の一つといえば「君の名は。」だと思います。
普段あまり映画館に行かないので、話題になってるし見に行こうかなと思いつつも足を運ぶことがなく…ようやく見に行ってまいりました。
ラブストーリーっていうのが苦手なところもありましてどうなんだろうと思いつつ…
田舎かつ平日ゆえに人は少なかったものの、ちょっと年のいった感じの夫婦なんかが見に来ていて、アニメ映画に親子連れでもなければ若い人でもないそういう年齢層だけできていることに、話題になるってこういうことなんだなと感じました。

背景の綺麗さ

すごく個人的な話をします。
私は漫画なんか趣味で描いたりするんですが、背景を書くのがすごく嫌いです。
細かい労力を使うわりに、漫画を自分で読んでて思うのですが背景なんてほとんど見てない。

で「君の名は。」なんですけど、とてもきれいです。
監督さんの名前を聞くときだいたい背景がすごいとか言われてたので、これは確かにすごいなと思いました(しかも、これで今回はそこまで力を入れてないらしいからすごい)
そして、その中にちゃんとキャラクターが生きている。
その中になじんでいる。
そこがいいなと思いました。
雄大な自然を描くからこそ、悲劇が浮き彫りになる。
そんな気がします。
背景の綺麗さがあるからこそ、生まれる感情がある感じです。
背景なんて、どこにいるかとかそんな情報さえわかればいいと思っていましたが、こだわることでこんなにもいろんな情報を載せることができるのかと、はっとさせられました。

綺麗だからこその悲劇性

さて、ここからはネタバレが入ります。
数か月前に公開された映画とはいえ一応お気を付けください。

ストーリーの後半。
急に入れ替わりが起こらなくなって、主人公の一人の瀧は自分が見た風景を頼りに三葉に会いに行こうとします。
そこが岐阜県の飛騨地方というところまではわかったのですが、どうしてもその場所がわからない。
もう、帰らないと…そんな時間になって入ったラーメン屋で、自分が見た風景を頼りに描いた三葉の暮らした町の絵を取り出しているとふいにラーメン屋の店員がその場所の名前を教えてくれました。
夫がその町の出身だったのです。
しかし、その町は3年前に失われていました。
彗星から分かれて落ちた核が隕石となってその町を破壊したのです。
その風景はまるで2011年の東日本大震災によって失われた町を思わせる風景。
そして、被害者名簿の中には瀧が三葉として仲良くしていた友人、そして三葉自身の名が刻まれていました。
ついこないだまでいたはずの存在が、失われていた。
ついこないだまであった場所が失われていた。
何度も何度も描かれた風景だからこそ、その悲惨さが浮き彫りになりました。

聖地巡礼

今年の流行語大賞に「聖地巡礼」がノミネートされました。
以前は、おたくと呼ばれる人たちが漫画やアニメの舞台やモデルとなった地へ出かけるものでしたが、流行語大賞にノミネートされるということはおたく以外の人たちも聖地巡礼をしたくなったからでしょう。
背景が綺麗に描かれているからこそ、その場所に行ってみたいと思うのでしょう。

そしてもう一つは、描かれた物語が魅力的だった、共感できたからこそだと思います。
主人公である瀧が三葉の暮らしている糸守に行きたくなったことと同じことではないでしょうか。
そこにある何かに共感できる、だからキャラクターと同じ風景が見たい。
三葉がいるから、だけではなかったはずです。
彼女が暮らした世界をもう一度自分の目で確かめたかった、夢ではなかったと確信したかったから、だと思います。

キャラクターはキャラクターのみでは存在できない

背景とは、彼らが暮らす世界です。
田舎に暮らしているからこそ、カフェに憧れ東京に憧れた三葉がいます。
彼らの性格や個性は暮らしている世界が密接に関わってくるものだと思うのです。
それは見ている風景としての背景だけではありませんが、その一つである風景を緻密に描くことでキャラクターのいる世界を生かしているのだと思いました。

2016年12月4日日曜日

インターステラーを見ました。

今更ですがインターステラーを見ました。

インターステラーとは2014年に公開されたSF映画です。
簡単にあらすじを言うと、もうすぐ地球に人が住めなくなってしまう…そんな世界観で、移住できる星を探すべく宇宙へ旅立つ父と取り残された娘のお話。

かなりSF要素が濃く、正直私はSF詳しくないのでこの星の1時間は地上の7年に相当すると言われればそういうもんかと思いつつ見ておりました。
一緒に見てた人はそういう部分が意味わからないと言っておりましたが、わからないものはその瞬間に理解しなくてもいいんじゃないかと思いますね。
それに詳しくなくても、父と娘の親子愛のお話として見られるストーリー進行はよいと思います。
ネットで検索すると詳しい方の解説などがありますので、気になる方はそちらをご覧ください。

個人的に注目した部分

この映画の最大のポイントと私が思っているのはラストにこれまでの謎や伏線が一気に明かされていくところですね。
想像の及ばない世界というのを表現しただけだと思っていた部分さえも、そういうことだったのか!と明かされた瞬間は何というか、カタルシスみたいなものを感じました。
私は、そう来たか!とかそういうの感じるのが好きなのでSFとか関係なくストーリー展開が素晴らしいと思いました。

SFというとても科学的な世界で一つ異質な存在だった、主人公の娘が語る幽霊の存在。
幽霊に導かれることで主人公は宇宙に旅立つことになるのですが、旅立ちの日、なぜかその幽霊はここに残れ!というのです。
宇宙へ旅立つきっかけを与えたはずの幽霊がなぜかここに残れというのは、なんだかとても不思議でした。
けれど、そういうオカルトっぽい部分はストーリーが進行していくと少々姿を消します。
宇宙脱出へのカギは幽霊と呼んでいたものにある。
そう考えた、学者となった娘が自宅へ帰ってくるまでは。
そしてラスト、その存在の正体が明かされます。

なんと、その存在は5次元空間へ落ちた主人公だったのです。
5次元は時間と空間をも支配するのでいろんな時間へ鑑賞できるのです。
存在に気が付いて欲しい父が娘へメッセージを送っていたのです。
だからこそ、別れ際にここに残れ!というメッセージを送ったのです。
異質だった幽霊が、実はオカルトではなくてそれさえもSFの枠にあるものだったとわかった時、そう来たか!と思いました。

そんなインターステラーですが、科学的理論的に進めるだけじゃなくて、愛というものにも触れています。
そもそも、主人公が宇宙へ旅立ったのは滅びゆく地球から娘が生きられる星を探すため。
親子愛の物語としても鑑賞できるようなストーリーとなっています。
また、物語の途中、限られた燃料で向かえる星を選ぶとき、クルーの一人が恋人が旅立った星に行くことを提案します。
愛というものに導かれてここまでやってきた。
ただ、その提案は恋人に会いたいがためだと却下されます。
けれど最後それは正解だったという映像が出てきます。

ただ…まっすぐ向かっていたら不正解だったとも言えます。
宇宙移住にはプランAとBが用意されていました。
Aは移住できる星を見つけ、宇宙ステーションで皆が移住する。
Bはそれができなかった場合、船に乗せた受精卵を使って新たな人類を生み出して種を残すこと。
けれど、実は発案者である学者はAが不可能であることを知っていたのです。
Aを実行させるには重力の問題を解決しなければなりませんでした。
しかし、それを解決するにはブラックホールの中に入り観測をしなければならず、そしてそれは不可能だったのです。
ブラックホールは一度入れば抜けることができないのですからデータを取り出すことができないのです。
クルーの提案を却下した結果、不測の事態が起こり、主人公がブラックホールへ落ちる。
そのことで重力の問題が解決され、人類は宇宙へみな移住できた。
それを考えると確実に正解だとは言えません。

それに、提案を却下したのだって確実に娘を助けたいという父の愛からでしょう。
そのために不確実なものを信じることはできなかったのです。
ラストの映像を見て、ええ?と思ってしまったのは、結局恋人に会いたいというそれが正しかったのかよ、結局恋愛かよと思ってしまったところでしたが、考えるとそうとも言えないなと思いました。

恋愛の愛

個人的な意見ですが、なんか世界を救ったのは恋愛の愛ですというのがなんかしらけるというかなんというか…そんな感じなのでついついラストもええ?と思ってしまったのだと思います。
ストーリーのスパイスとしてならいいですし、例えば王道の勇者が姫様を助けに向かうというのならそういうものだとわかるのだけど、何でもかんでも恋愛の愛で済まされるとなんでやねんという気持ちになります。
多分、子供の頃に呼んだ恋愛物語が、好きな人に告白するために釣り合う人間になるために頑張る主人公…みたいな読み切り漫画ばかりだったせいでしょうか?
そんなに高尚なものですか?と思ってしまうのでしょう。
そんな人間の感想でした。

やる気とメンタルと体調

 やる気というのは意外と体調に影響を受ける。 いや、考えてみれば当たり前だった。だって、風邪をひいてる時に、よし!何かを始めよう!なんて気にはならない。病気の時なら簡単に気が付くのに、例えばちょっと疲れてるとかそんなときはわからないものだ。 メンタルも疲れてる時は駄々落ちする。人...