2018年10月10日水曜日

ゲームが描く死~500年という時の流れ

最近は聞かないが、私が子供の頃はゲームにはリセットボタンがあるから、子供たちは人や動物が死んでも生き返ると思ってしまう、そんな批判がありました。
戦争や戦いをテーマにした作品をやることによって、人殺しが楽しいものと勘違いするのではないか?そんな批判もあったと記憶しています。
ただ、私の記憶の中でフィクションにおける人の死の描き方で一番衝撃的だったのは、ゲームの中の死だったんです。
それは以前の記事に書いてあるので割愛するとして、今回は最近触れたゲームの中の死について触れたいと思います。

ゼノブレイド2黄金の国イーラ

2017年12月1日に、nintendoSwitch用ソフトとして発売された「ゼノブレイド2」
その物語の500年前を描いたのが9月14日よりDLCとして、そして21日はパッケージソフトとして配信、販売されている「黄金の国イーラ」です。

※ネタバレが含まれますのでご注意ください

本編をプレイされた方はご存知かと思いますが、この「黄金の国イーラ」の主人公となっているシンとラウラの悲劇的な最期に向かう物語、それがこの「黄金の国イーラ」です。
死んでしまうのはラウラだけでなく、仲間として戦っていたユーゴ、彼のブレイドであったカグツチワダツミは彼の死によってコアクリスタルに戻ってしまいます。
(知らない人に補足しますと、ブレイドというのはコアクリスタルと呼ばれる石に資格があるものが触れることで生まれる生命体で、生み出した人のことをドライバーと言います。ドライバーとブレイドは一心同体で、ドライバーが死んでしまうとブレイドも石の状態に戻ってしまいます)

DLCとして開発されていますので、本編に比べるとラストバトルまでのプレイタイムは短いのですが、一緒に冒険してきた仲間を失うのは悲しいものです。
ゲームの死が刺さるのは、共に旅してきた仲間だからこそ、という面もあると思います。
ストーリーを追っていった、それだけではなく、そのキャラクターを強くするために装備を考えたり、戦っている間に助けられたり…プレイヤーにだけある思い出というものも蓄積されているからです。
また、今作はストーリー自体は短いものの、サブクエストで得られるヒトノワというものが進行に必要なため、自然とサブクエストをこなしていくことになるのですが、それらがキャラクターに愛着が湧くような、いろんな一面を見せてくれるものとなっています。
本編でも、意外な一面を見せたことで愛着が湧いたキャラがいました。
ストーリーの雰囲気的に描けないようなシーンやキャラクターの側面も、サブクエストやキャラクター同士の会話イベントによって、同じ世界に同時に描けるのはゲームという媒体の特徴かもしれません。
アニメや漫画でも番外編という形で描くことはできますが、ゲームはストーリーを追いながらプレイヤー自身の判断で寄り道ができます。
また、攻略法を見たにしても自分で発見できることは、より愛着を深めるのではないでしょうか。
だからこそ、失うことの悲しさを強めるのだと思います。

500年という時の流れ

記事のタイトルに500年という時の流れとつけました。
「黄金の国イーラ」は本編から500年前が舞台です。
500年もあればかつてを覚えている人なんていないでしょう。
(生き残る方法があるため、今作では500年前を知るキャラが何人か出てきますが)
イーラ編エンディングでは、本編の回想で出てきたラウラの死を描かず、シンのコアクリスタルの色が変わることで彼女の死を表現していました。

というわけで、今回は描かないことで描かれた死というのを考えてみたいと思います。
主人公であるシンとラウラ、ではなく、500年前世界を救った英雄アデルについて。

イーラ編の操作キャラクターで唯一生き残っていたドライバー、それがアデルでした。
国を失い、守りたかったものを守れず、自らのブレイド天の聖杯のヒカリの力を扱いきれず封印することにし、イヤサキ村を拓いたアデル。
天の聖杯同士の戦いによって命を落としたユーゴ、アーケディアの襲撃にあい死んだラウラと違って、彼だけは生き残っていました。
けれど、500年。
本編には、記憶の断片が彼の封印した第三の剣に残されていたものの、彼の姿はどこにもありません。
だって、彼は英雄とのちに呼ばれることになっても、ただの人間でしたから500年を生きることなんてできません。
私は2週目を途中で止めていたので、本編を再開しヒカリの口からアデルの名前を聞いた時、あ、もういないんだと寂しくなりました。
時間や予算、エンジンの違いの関係もあるでしょうが、ゼノブレイド2のDLCには追加ストーリーである「黄金の国イーラ」以外にも過去のゼノブレイドシリーズからゲスト参戦したキャラクターが配信されていましたので、やろうと思えば、本編に彼や500年前のキャラクターたちを呼び出すこともできたでしょう。
でも、それをしなかった。
本編にも登場し、さらに一時的に使えるシンも最後までずっと使えるキャラクターとしての配信はしなかった。
それは多分、意図があったからなのだと私は考えます。
500年という時の流れで失われたもの。
ゲームとしては別々のものなので、いつだって再開すれば500年前にも現代にも行くことはできますが、決して同じ時には存在できないのです。

考えてみれば当たり前ではあるけれど、ゲームでは同じ時に存在することを可能にできるからこそ、決してできないことでそれが色濃く映る。

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