2021年3月20日土曜日
「その日」を越えた物語
2021年3月19日金曜日
長文を書くために必要なこと
学生の頃、レポートというのは苦手だった。
2000字が埋められない。8割で大丈夫という噂を聞きつけ、なんとかちょっと多めに1800字ぐらいになるように本を見ながら、ネットで検索しながら、ほとんど写したような文章をPCに打ち込む(本来はいけない)
でも、大学生となれば卒論を書かねばならぬ。
2000字なんかじゃ足りない。それすら書けないのにどうしたらいいのだろうか。
そんなころ、ゼミの教授がこんなアドバイスをくれた。
「毎日、何かしらの文章を書くといいよ」
メールでも日記でも何でもいいから、とにかく長めの文章を常日頃から書いておこう。
そういうアドバイスであった。
アドバイスを貰った時は、まあ、そういうものだろうか。慣れが必要なのだろうか。それぐらいの理解だった。
はてさて今、改めて理解している。
あの頃なんとか卒論を書きあげたというのに、今この文章を打ち込むのだって難儀している。
あまり長文を書いてこなかったから。
書き慣れたはずの文章を書かずに放置した結果、書けなくなってしまっている。
あの頃、アドバイスをもらったからではないが、ある漫画にはまってしまって毎日卒論そっちのけで小説らしき文章を打ち込んでいた。
それのおかげか、以前よりはすんなりと卒論の文章も書けたので結果オーライではあったが。
とにかく、書き慣れていなければ文章というものは意外と書けないものなのである。
もう一つ、必要なものがある。
それは情報である。その文章を書くための資料である。
ただ、2000字のレポートが書けなくてヒィヒィ言っていた時だってもちろんレポートに必要な本を読んでいた。
問題は、読みながらレポートを書いていた点にあったのだろう。
必要そうな箇所をレポートに書き出す。
実はこれはレポートを書き出す前にすべきことだった。
必要そうな箇所を抜き出すのは、本番のレポートではなくてまずメモの方だった。
文章の書き方というのは習ったような習ってないような、そんなあいまいな記憶しかない。
ただ、学校行事の感想を書けと言われたら、用意された感想用紙という本番に書かされた記憶がある。
それだって何を書けばいいのかわからないで時間ギリギリまで悩むか、当たり障りのない分を書くかしかなかった。
必要だったのは、学校行事に参加して、何をやったのか、何を思ったのか整理する作業。
レポートだってなんだって同じこと。
本番を書く前に、集まった情報整理することこそ、文章を書くために必要な作業だったのだ。
というわけで、実はこれを打ち込んでいるのも、もう一度長文を書くことに慣れるための訓練みたいなものである。
文章とは、言語がわかれば簡単にかけそうでいて、思っているより難しい。
2021年3月18日木曜日
絵を描くモチベーションについて
Twitterを眺めていたら、絵を描くモチベーションについてタイプ別に描いたイラストが流れてきた。
しかし、どれを見てもなんだかピンとこない。
なので、自分で考えてみることにした。
さて、考えるには手がかりがいる。自分がどんな時に絵を描いていただろうか。
しかし今まで何となく描いていたような気がするので、考えても思いつかなない。
なにせ、多分子供のころのらくがきの延長線上に延々と描き続けていたから。
でも、らくがきでもわっと描きたいときもあるし、特に書く気もおきない時もある。
ちょうど今は特に書く気もない時だったせいだろうか。
(だから、モチベーションについて気になったのかもしれない)
書く気になった時のことを何となく思い出す。
それは、ハマった漫画があった時。
ゲームで楽しんだとき。
それも、ただ楽しむだけでなく、その漫画やゲームについて考える時があった時。
どうしてそうなるのか、どうしてそんな行動をしたのか。
そんなことが気になった時。
もう一つは、誰かの創作でその考えはなかったとか、何か発見があった時。
刺激を受けて絵が描きたくなる。
あと一つ、何か作りたくなったとき。思いついたものを形にしたいとき。
そんな時だった気がする。
つまり、私は外から刺激を受けて何か書きたくなるタイプだったのだ。
絵を描くこと、創作することってなんだか内から湧き上がるものを形にするとかなんとかそんなイメージだった。
だから、内から湧き上がるもの、何か表現したいものがないということは絵を描くことが好きじゃないんじゃないかとかそんなことを考えてしまっていた。
でも、別にそうじゃないのだ、自分は。
そして、多分、それでいいのだと思う。
こうでなければならない、というものはない。
昔は、描き方だってこうでなければいけないみたいな考えがあった。
それをこだわりというのかもしれない。
でも、そんなこだわりもいらないのだ。描くことが嫌になるようならば。
最初に行った、Twitterで見かけたモチベーションについてのイラストにピンとくるものはなかったのだけど、でも、いろんなモチベーションがあってもいいと気づかせてもらった。
私はそう、外から刺激を貰わねばならないタイプだったのだ。
そう思って、とりあえずピンタレストを眺める日々。
2020年8月6日木曜日
簡単!デフォルメの描き方
2019年9月6日金曜日
ゼノブレイド リマスター版発売決定!
そのトリを飾ったのが…
ゼノブレイド ディフィニティブエディション!
2010年6月に発売されたゼノブレイドシリーズ一作目が、2020年、10周年の年にSwitchに登場するんですね!
当時はWiiで発売され、知る人ぞ知るRPGという感じでした。
スマブラに、主人公シュルクが登場してからは広く知られるようになったものの…
Wiiはファミリー向けのイメージが強かったか、周囲でゲームやってる人も持ってなかったりしてなかなか勧めても遊んでもらえなかったのですが…ついに、ついにSwitchで遊べるようになったんですね!
ゼノブレイド発売当時、「ゼノ」というと、ゼノギアス、ゼノサーガとなんだか難しそうでファンじゃなければわかりずらそうだな…というイメージがあったのですが、発売一か月くらいの間に、おもしろい、フィールドがすごいという感想をいくつも目にしました。
そして手にとってみると…本当に面白かった。
3Dで作られるようになってだんだん2Dの頃の広さを失っていたRPGのフィールドが、ゼノブレイドでは2Dの頃の印象そのままにどんと広がり、どこまでも走って行ける。
最近はわからないですが、RPGなのに水を泳げ、柵を飛び越え、崖から落ちれるRPGは珍しくて感動しました。
とにかく、ゼノブレイドはフィールドを走り回っているだけでも楽しい!
そして、王道の熱いストーリーと豊富なサブクエストが飽きさせずに先へ進ませてくれる(いや、サブクエはむしろとどまらせるか?)
とにかく、楽しいんです。
99時間59分遊べます(Wii版のプレイタイムカンストが99時間59分というネタ)
当時、RPGクリアするのにのんびりやって60時間ぐらいだった私も、気が付けば中盤あたりでカンストしていました。
後ですね、ゼノブレイドの魅力の一つが、Wiiのリモコン+ヌンチャクという、左右で分離されたコントローラーによる操作だと私は思っています。
従来型の両手の位置を固定されたコントローラーをお使いの方はピンと来ないかもしれませんが、これは発明だと思うぐらい両手の自由が利くことの手軽さを感じました。
移動だけならカメラ操作も含めて片手でできちゃったんですよ。
スイッチでも形は変われど分離されたコントローラー。
ぜひともその手軽さを感じていただきたいです。
2020年が楽しみになりました!
はやくもう一度あの世界に行ってみたい!
2019年6月23日日曜日
物語にして自分事にする
興味のないことはどこか他人事で、さっと過ぎていく。
最近はニュースサイトも個人の好みを反映したニュースを流し、余計に興味のないことから離れていく。
今、興味がなくても、明日、興味が出るかもしれない。
それでも、今の興味を頼りに人は日々の出来事を選んでいく。
明日のことなど、知りはしないから。
でも、物を作ったり、描いたり、言葉にしたり。
そうやって何かを作り出そうとするのに、狭い興味の中だけじゃいつかアイディアは枯渇していくだろう。
同じものを何度も見返しての発見だってあるだろうけど、やはり新しい刺激が欲しいものだ。
けれど、いつの間にか防衛反応か、古い興味のあるものしか手を出さず、流行にのれず、枯れていく。
別段、創作なんてしなくたって生きてはいけるものだ。創作して食べていく人間でない限りは。
でも、作り出すって楽しいはずなのだ。
じゃあ、どうやって興味を広げよう。
私の場合は、物語にする。
断片的な情報は咀嚼しなければ、情報でしかない。
私にとっての咀嚼行為が物語にすることなのだ。
不謹慎だろうかなんだろうが、構わない。
それを表に出さない限りは。
そう、表に出さなければ自分の妄想でしかない。誰も文句は言わない。
想像することさえダメだというのは恐ろしいことだ。
アメリカのドラマに、クリミナルマインドというものがある。
あれだって、現実に起こった事件を下敷きにしている。
日本向けなのか、時折日本で起きた凶悪事件が参考事例として名前をあげられていたりする。
臭いものに蓋をするべきではないと思う。
蓋を開けない限り、臭いかどうかわからない。
わからないと、興味本位で開けてしまう人だっているだろう。
その臭いにあてられてしまう人もいるだろう。
理解してこそ、わかることがある。
物語にするというのはなかなか骨が折れる行為だ。
ニュースに出てくるような一瞬だけを思い描くならそこまで難しくはないのかもしれないけれど。
スポーツ選手のニュースなら、ニュースに読まれた輝かしい記録だけじゃなくて、そこに至るまでの努力だったり、挫折だったりを想像して、すごいなと思うわけだ。
多分、人は無意識にそれをやっている。
それを意識の上に上げる。
上げることが、咀嚼することだと私は思う。
上げることで、何がわかっていないのか、何を知らねばならないのか、ようやくわかるのだ。
目にできる形にするともっといい。
頭の中で考えていることは、意外とつじつまが合わなくても綺麗に決まっているように思える時がある。
それを目に見えるようにした時、違和感を感じる時が来る。
そうやって、肉付けをする。
そうしていくことで、いつの間にか、自分が感じたことを明確にできる。
私は感性って言葉が嫌いだ。
嫌いなのは、学生の頃に美術教育の授業で子供の感性を伸ばすとかなんとか言いまくってるのを聞いたからだろうけど。
目に見えないものをどうやって伸ばすんだ?どうやって伸びたと判断するんだ?そう思っていた。
でも、自分が何に、どう感じるのか、知るのは大事だと思う。
何が好きで、何が嫌いで。
多分、それがわかるというのが感性なんだろうなと、最近は思う。
誰もが同じものを持つわけじゃない。
けれど、世間は同じであることを案外強要してくる。
常識という言葉、疑わずに使っている人の多さ。
そして、常識的な感じ方、というものに案外縛られている気もする。
それは自分だけなのかもしれないけど。
誰かに評価を求めてるって、そういうことなんだろう。
自分が正しいと思いたい。正しいは多数派。
決して評価が多いことが悪いわけじゃない。
ただ、それにふりまわされない様に。
自分の気持ちは、自分で選ばなくては。
2018年11月14日水曜日
全く文章が書けない人がを文章を書くための話
学校が苦手を作る
中学生だった頃、学校に招かれた偉い人の話の感想を書け、見学した博物館で何を思ったか書け、それも時間内に。なんてことはよくあったと思う。
白紙の提出用紙を前に、何を書いたらいいのかわからないまま時間は過ぎていき、最後は話のあらすじを書きなぐって文字数を稼いでしのぐ。
または、授業で作文を書かされる。
こっちはもう少し時間が貰えたけど、何を書いたらいいのやら。
得意な人はすらすら書いていくけれど、私は全く得意じゃない。
長文を書かされることが嫌いだったので、どうして短文でパパっとまとめたらいけないのかと、ダラダラ書いた文章のどこがいいのかとずっと思っていた。
あれではいい文章など書けはしないと今では思う。
考えてほしい。
いきなり本番に立たされて、いい結果など出るだろうか。
たまにはうまくいくかもしれないけど、準備が必要なのだ。
思えば、学校はなんだっていきなり本番を書かせようとする。
絵を描かせれば真っ白な画用紙を渡し、作文も清書用の作文用紙。
新しい紙は用意しているよと言われても、貰った一枚に書き続ける子供が大半だった。
だって、時間が決まっている。
やり直したらその分時間が無くなる。
だから、失敗なんてできない。
そうしてなんとかひねり出した文章や絵。
ウケは微妙。
苦手になっていくのは仕方がない。
けれども、年齢が上がれば上がるほど、文章を書かねばならない場面にあたる。
学校生活の中においても、レポート課題が増え、大学を出るなら卒論を書かされ。
苦手だからとは言っていられなくなる。
だから仕方なく書くのだが、2000字程度と言われてぎりぎり許容範囲だろうと言うとこまで書いて終わり。
いい文章を書こうとかそんなレベルじゃない。
まず、書けないのだから。
よけいに苦手意識がつのる。
けれど、卒論を書けなければ卒業できない。
2000字どころじゃない。1万字は必要だと言われた。
もしかしたら少ないと思う人がいるかもしれない。
多分少ない方だ。
何故なら、私の卒業した学科は美術系だったからだ。
3年になる前に選択を迫られる。
卒論は作品を作るか、それとも文章を書くか。
そして私は文章を書く方に決めた。
文章を書く以上に絵を描くことが嫌になっていたせいだ。
その時の私は、文章ならまだ書ける。そういう気持ちだった。
趣味なら長文でも書けるのに
やる気とメンタルと体調
やる気というのは意外と体調に影響を受ける。 いや、考えてみれば当たり前だった。だって、風邪をひいてる時に、よし!何かを始めよう!なんて気にはならない。病気の時なら簡単に気が付くのに、例えばちょっと疲れてるとかそんなときはわからないものだ。 メンタルも疲れてる時は駄々落ちする。人...
-
先日海外ドラマの「クリミナルマインド シーズン8」を見ておりました。 WOWOW入ってないので、スーパードラマTVで見てるものだから今頃シーズン8です(笑) まあ、それは置いといて。 先日やっていたのは「死小説」というお話でした。 この話では死小説という字のごとく、人が死...
-
2000字のレポートが書けなかった私 学生の頃というのは、何かとレポートを書かされるものだ。 授業の内容についてとか、題材を調べてきて書けとか… 文系の学部ではあるものの、文章を書くというのがことごとく苦手だった私にとっては何を書けば2000字に到達するのかさえ分か...
-
ネットニュースを見ていたら、こんな記事を発見。 白山陶器、ダイソーに抗議 波佐見焼白山陶器 ダイソーに抗議 「デザイン模倣」 販売中止、在庫破棄求める 白山陶器が販売している「ブルーム」という食器シリーズに使われている柄そっくりの扇子を販売していたことで、白山陶器がダイ...


